2日で19時間半という偉業を私は成し遂げたのだ。4時間などあっという間に過ぎるだろう。
定位置となったベッド横に椅子を置き、腰を下ろした。始める前に凝で白兎を確認する。
相変わらず少女と時計だけを見ていたが、それに構わず視線だけで殺せないかと睨みつけた。
もちろんそんなことは叶わない。
聞きなれた銀時計を開閉する音が、白兎が存在している証拠のようである。
絶対ぶっ壊してやると唇だけを動かした。自分に言い聞かせるように。
凝をやめる。禍々しい空気が霧散し開け放れた窓から朝の透き通った空気が流れ込む。
が横にいないので首を回して探してみると人形のにおいを嗅いでいるようであった。
ちょっとお前その人形に鼻水がつくよと慌てて引き剥がす。
何やってんですかと怒気を滲ませながら口を引っ張る。鋭い歯が剥きだしになった。後悔した。
あれ、デジャヴ。

 

ミスマッチ09

 

凝をしたまま少女に視線を移す。
少女の頭上には「4:02」と煙のような字が浮かんでいた。私の念の一部である。
これは念を絡ませる残り時間。
初めて少女を見たときはなかったから、一度念を絡ませないと表示されないのだろう。
それを確認して目から力を抜いた。凝をやめる。
今からやれば昼食の時間には終わるだろう。
そろそろ慣れてきた動作で、少女を私の念で包んだ。

午後、この家は決まって12時に昼食をとる。規則正しいな。
少女の部屋に軽いノックが響き、一拍おいてから扉が開かれた。
現れたのは少女の父親である。
お前仕事はどうしたと聞きたくなったが、そういえば今日は日曜日だ。
昼食の用意ができたと伝えてくれる。ひとつ頷く。
最後に一度、凝で少女の頭上を確認する。「0:06」との表示。微妙だ。
でもとうとうここまで来たのだな、と感慨に耽っている時にそれは起きた。
白兎が今まで見せたことのない動きをしたのだ。
これまでに見たことのある動作は銀時計を確認するか、私を横目で見るか、少女を見るかのいずれである。
しかし今この白兎は体を折り曲げ少女から立ち込めるオーラを食っている。
この光景を上下逆にしたら、引力に従い零れ落ちる水を口で受け止めている図柄になるのだろう。
口を開けたまま咀嚼することもなく飲み込むこともなく、ただオーラを口の中に流し込んでいる。
これが白兎の食事風景か。今まで見たことがなかった。
きっとこれが白兎の動力源。自動で働いているだろう念のエネルギーであった。

使った食器を流し台に置く。
さっきの白兎のあの行動はやっぱり食事なんだろうなと空になった食器をみつめる。
あと6分。ようやく24時間だと少女の部屋に行こうとした私を、少女の父親が呼び止めた。
穏やかな笑顔でおいでおいでと手招いている。ほんとに童顔だな。

「実は今日、父が退院するんだ」

そういえば少し忘れていた。森で倒れていた男性。
怪我はなかったらしく、点滴を受けただけで入院した翌日にはすでに目覚めたらしい。
その後いろいろな検査を受け異常がないことを確認し、3日目の今日、退院するとのこと。
それは良かった。きっとその男性も少女のことを大事に思っているだろう。
少女が目覚める日に帰ってこれるとはなかなか運のいい奴である。

「それで、もしよければちゃんにもお迎えに行って欲しいんだ」

なんたって命の恩人だし、と歯を見せながら笑った。
先日見たような、力のない笑いではなかった。本当に幸せそうな笑顔である。
私が今履いている靴。買ったのは少女の母親だがお金を出してくれたのはあの男性だと聞いた。
これは行かないわけにはいかないだろうと、首を一つ縦に振った。
あの白兎に生まれてきたことを後悔させるのは少しの間おあずけである。
少女の父親はまた笑った。


病院は街の中心部にあるのだと言う。
私が世話になっている家は郊外だから、病院へは車で1時間かかるらしい。
崖の上から見下ろした時はそこまで広い街に見えなかったが、どうやら地平線へと
沈んでいた部分があったようである。
私は助手席へ、は後部座席へと乗った。
後ろへと流れる人や人工物、建造物を目にして森から出られたことを改めて実感した。
も窓を開けてそこから顔を出している。
風に押されて顔が多少ブサイクになっていたがあえて突っ込まなかった。
あの状態で窓を閉めてみたいだなんて思ったわけではない。断じて違うのである。

舗装された道路の上を信号に捕まりながらもスムーズに病院まで走った。
着いたのは14時。ぴったり1時間だ。
ちょっとここで待っててと少女の父親は言い残し病院の口へ飲み込まれた。
日曜日の昼間というだけあって人が多い。
車椅子に乗った者。松葉杖をついている者。お前病人かよと思うほど元気よく体操をしている者。
あまりにも原作とかけ離れていて、ここがハンター世界だということを忘れそうになる。
聞こえてくるのは風や葉が擦れ合う音、人々の談笑、たまに車のエンジン音。
カーディガン一枚羽織ればちょうど良さそうな陽気に、時間が穏やかに過ぎているのを体感する。
こんな平和な空気の中、こうしている間にも少女は念に侵され死に掛けている。
念をかけた人物はのうのうとどこかで生きている。
10年前に会ったクロロが幻影旅団として活動している。
主人公組が将来を目指している。
退院したことを病院の玄関先で祝されている男性がいる。
不思議だな、と一度大きく暖かい空気を肺へと押し込み、吐き出した。
ドアを開けて外に出る。陽が暖かい。
後部座席のドアも開けてを下ろした。
こちらへと歩いてくる童顔と男性を直立不動などにせず自然体のまま待った。

森で倒れていた男性もとい少女の祖父は元気そうだった。
まず最初にお礼を述べられた。自分の無謀な行動を恥じながらも嬉しそうに。
挨拶代わりのように頭を撫でられ車へと乗り込む。
私の頭はそんなにも撫でやすい位置にあるのだろうか。ちょっと殺意が湧いた。
今度は私も後部座席に座る。少女の祖父も私の隣に座った。
来た道を戻る車の中で、いろいろと話した。
話したといっても私は頷くか首を横に振るかだけであったが、話は尽きなかった。
ほとんどは事の顛末、少女のこと、そしてこの街のことだ。
私が崖の上から見た背の高い建造物は時計塔のようだ。通り過ぎる時教えてくれた。
そろそろ家に着くという時、男性が少女の父親へこの辺で下ろしてくれと言った。
少女の父親は当たり前ながらも怪訝そうな顔をバックミラー越しにこちらへ寄越す。

ちゃんと2人で話がしたい」

深い追求を許さないようにはっきりと言い放つ。
え、私ですかと突然当該者になったことに戸惑ったが、きっと大丈夫だろう。
そんなロリコンとかではないだろうし、あの家族のもう一本の大黒柱である。
おかしな人であるはずがない。
普段から突発的なことを言う人なのか、少女の父親は困ったように笑いながら路肩に車を停めた。
先に帰ってていいよと伝え、私とと少女の祖父は車から降りる。
向かった先は公園だった。郊外の小さな公園。ブランコと滑り台、小さな砂場とベンチ。それだけだ。
誰もいなかった。砂場に残されたままのスコップが余計寂しさを強調している。
それでも公園を覆おうとする葉の間から漏れる陽が地面に綺麗な模様を作り出しており、平和的な空気があった。
もしここでさぁ好きなだけ遊びなさいとでも言おうものなら偶然を装って鳩尾に頭突きをかまそうと
思っていたのだが、どうやらそうではないらしい。この公園に呻き声が響かなくて何よりである。
促されるままに私と少女の祖父はベンチへと座った。は私の横に腰を下ろす。

静かな時間が流れた。
すぐにでも話題を振ってくるかと思っていたが、少女の祖父は前を向いたまま黙っていた。
何の用だと聞いてみたかったが、時おり何かを言おうとして躊躇っている動作が見えたので
何も言わず、私も前を向きながらただ待った。風でブランコが少し揺れる。
一度、深呼吸をするのが隣から聞こえてくる。話す気だ。
私も聞く体制に入り、顔を横に向けた。目が合う。
少女の祖父は一度困ったように笑った。口を動かす。

「君は…」

視線が揺れた。まだ言おうか迷っているのか。
先を促すように小さく首を縦に振る。
決心したのか大きく息を吸い込んで、言った。


「カレンの近くにいる兎を見たことがあるかい?」


時間が止まったように感じた。
息をするのを忘れた。
瞬きさえできなかった。
その言葉の意味を一瞬理解することもできなかった。
私の驚きが顔に現れたのか、取り繕うように更に話し始めた。

「私には…私は、少しだけだが念が使えるのだよ。使えるといっても4大行の内の3つ。
 それと少しの凝。発はできない」

かじった程度だと続けた。
凝をしてみて、気付いた。淀みはあるが纏をしている。念能力者だ。
だとしたらこの人も少女を蝕むあの白兎を見ていてもおかしくはない。
おそらく病院で会った時から、遅くても郊外に来るまでに凝をして私のオーラを見たのだろう。
私は無意識に常に纏をしているようなのだ。気付いてもおかしくないだろう。
しかし驚いた。まさかこんなに近くで念能力者を見かけることがあるとは。
それもあの少女の祖父。なんと皮肉なことか。
原因が分かっていながら対処ができない。それを周りに相談することもできない。
いや、原因が分かっているからこそ対処法がないことを知っていたのだろう。
除念師などプロハンターでも探し出すことは困難なのだから。

「私が念の存在を知ったのはつい2年前だ。年を取りすぎていた。
 修行なんてものをしても体がついていかないことは分かっていたから、何もしなかった。
 たまに思い出して纏をする程度だ。それだけだった」

悔やんでるんだろうなというのがその声色からでも十分わかった。
でも修行をしてさらに強力な念を身に付けていたとしてもどうしようもないだろう。
すでにかけられた念を振り払うことなど、能力がなければ不可能である。

「病院で目が覚めた後、君のことを聞いた。命の恩人だと」

靴は気に入ってくれたかい、と聞いてくるので少し足を持ち上げて靴を視界に入れた。
とても履きやすく動きやすくしっかりした生地である。きっと高いのだろう。
目を真っ直ぐに見ながら強く頷いた。
良かった、と柔和に笑った。

「ずっと君が孫の部屋に篭っていると聞いてね。とても低い可能性ではあるが、もしかしてと思ったんだ。
 もしかしてその子も孫の側にいる兎に気付いているのではないかと」

勘が鋭いのか、本当に藁にすがる思いなのか、それにかけたのだと言う。
私を見て確信したのだろう。念の存在を知っているのだと。

「君の纏は淀みがなく静かで綺麗だ。相当な念能力者なんだろう?」

質問のようでありながらそれは確認の色が含まれていた。
しかし私は修行をして身につけた能力ではないし、実際意図して使ったことも皆無に等しい。
わからない、と意図をこめて首を斜めに捻った。
少女の祖父はきっと私に、必死に助けを求めていない。無理だろうと諦めている。
だが理解者がいることに安心しているようであることは、目許に刻まれた深い皺が表していた。

「孫と近い年の君にこんなことを聞くのは恥だが…」

またも迷ったように視線が彷徨う。
聞かれることはわかっている。ただ目を見つめたままじっと待った。

「…あの子を、カレンを救う手立てはないだろうか」

目が少し赤くなっている。涙をこらえているのだろうか。
徐々に視線は下がっていき、最終的には俯く。
少し間をおいて、私も決心した。
強く握られていた手に、自分の手を重ねる。
私のそれはだいぶ小さく見えた。
驚いたように顔を上げる男性の目をまっすぐ見つめた。

「だいじょうぶ」

助けるから、と少ない言葉で信じてもらえるようはっきりと言った。
たまに吹く強い風にさえ吹き飛ばされないよう、しっかりと聞こえるように。
男性が意味を汲み取り何かを私に言う前に、その目から涙がこぼれた。
顔を歪ませて俯く。ベンチの上に水玉がいくつかできる。
私の手を挟むように、さらに手を重ねて小さな声でありがとうと何度も呟いた。
私も大丈夫だと繰り返し、落ち着くのを待つ。
もいつの間にか男性の膝の上に前足を置いて座っていた。
葉がざわりと揺れて静まる音を何度か聞いた。

遠くに子供の笑い声が聞こえ始めた頃、男性はようやく顔を上げた。
目は赤くなっていたがだいぶ落ち着いたようでその顔には笑みが浮かんでいる。
私達は揃ってベンチを立ち、公園を出た。
入れ違いに数人の子供たちが元気に公園へと入っていった。
砂場へ黄色いバケツを放り込みブランコへと走る。
寂しい印象だった公園はすぐにその華やかさを取り戻した。

並んで帰る途中、 小さいのにしっかりしてるねと頭を撫でられ、やっぱり偶然を装って
鳩尾に頭突きを かますべきだろうかと思ったが、そのズボンの膝上に犬の足跡が
くっきり付いているのを見て 私の復讐心は収まった。
この平和な住宅街に男性の呻き声が響かなくて何よりである。

 

08 text 10