寝たきりの少女を私のオーラが包み込む。
目を閉じて白兎と少女が断絶される様を正確にイメージしようとした。
薄い瞼を突き抜ける部屋の明かりを感じながら、闇の中の白兎と少女を色濃く浮かび上がらせる。
銀時計を開けて盤を確認した白兎が少女を見つめた後私を見やる。
しかしやはりすぐに視線を逸らし少女に視線を移す。
好きの反対は無関心であると人の心理について格言を残した人物がいた。
兎が私に無関心なのは喜ばしいことだが、ちょっと殺意が湧いたことも否めない。
さらに集中してオーラを絡ませ、疲れを感じてきた時にふと気付いた。
そういえば私は足を引き摺るほど眠かったはずじゃなかったっけ。

 

ミスマッチ08

 

ゆっくりと目を開けてオーラをすべて自分に戻した。
時間にしてまだ30分程度だ。あと23時間半。
累計24時間の厳しさを改めて実感しうんざりしてきた。
今まで自然に纏をしてきたわけだが、寝ている時も纏をし続けていたのだろうか。
当たり前だが私は知らない。いつも纏をしていようと思ってしているわけでもない。
でも特に意識せず纏をしているのだからおそらく眠っている時でもし続けているのだろう。
しかしオーラを他人に覆いながら眠る芸当などまず無理だ。
もしできたとしても眠りながら疲れ続け悪夢を見るか疲れが取れないかの反動がきそうである。
あわよくば寝ながらオーラを絡ませ時間を稼ごうと思っていたが成功する可能性があまりに薄い。
とりあえず体力の回復をしようと少女から視線を外し部屋を出た。も付いてくる。
リビングに顔を出し、寝床がどこになるのか聞こうとして声を押さえ込んだ。
そうだ駄目だ声を出しちゃ。
せっかく人と会えたのに不便だなと先が思いやられたが、私が眠そうな顔でもしていたのか
気付いた女の人が私を客室へと案内してくれた。
この人は少女の母親だ。凛とした顔立ちだから見た目より若いことはないだろう。
20代後半までいってないことはわかった。綺麗な栗色の毛を一纏めにしている美人である。

通された部屋は少女の部屋の斜め前。すぐ近くだった。
あまり使われていない感はあったが掃除がされており清潔感がある。
一人で大丈夫かと聞かれたが、もちろん問題ない。小さく頷いた。も小さく吠える。
少女の母親はそう、と空気に溶かすように静かに言って私の頭を撫でた。お前もか。

「なんだか娘が元気になったみたいで嬉しいわ」

多少やつれた顔で力なく笑い、ごめんね、と小さく呟いて私は抱きしめられた。
それが誰に向けられた言葉なのかはわからない。
私を介して少女を見ていたことかもしれない。私を少女の代わりにしていることかもしれない。
この家に来てまだ一日目であるから事情はわらないが、ぎりぎり苦しくない力で
それでも精一杯抱きしめてくる少女の母親に、私も自分の母を重ねた。
これでおあいこだ。私もその人の服を握り静かに佇んだ。
夜の空気は冷たかったがそれが心地良く感じた。

最後に少女の母親はおやすみと一言掛けて部屋から出て行った。
私も何か言ったほうがいいのかとも思ったが頷くだけで留めた。
ノブを捻りながら音もなく閉じられたドアを前に、先ほどの体温を思う。
やっぱり自分の娘が一年も原因不明で眠り続けていると精神的にくるようだ。
部屋に置かれていたベッドに潜りこむ。シングルだったが小さい体には広く感じた。
これから私の体温がため込まれ温かくなるのだろうが、今はまだ布団の中は冷たかった。
が所在なさげにうろついていたので、仕方なくベッドに入れてやる。
自分の母親や家族を先ほどの体温で思い出したからだろうか。
元の世界の自分がどうなっているかわからないが、あんな風に心配されていたら嫌だ。
やつれて欲しくない。元気で暮らしているといい。心底思う。
なんとなく私も少し弱気になったのだろう。人肌恋しくなったのだろう。
の体温と聞こえてくる規則正しい呼吸に安心した。
明日からはもう少し真面目に少女にかけられた念に向かい合おう。
実験5割、兎への殺意3割、少女の救助2割だったのを、
実験2割、兎への殺意4割、少女の救助4割で考え直すことにした。
意気込んでも累計24時間の制約は変わらないが、気持ち的に。
兎の銀時計をぶっ壊してその口に詰め込んでやると心に誓いながらさらに布団に潜った。
が前足を私に乗せてくる。
やっぱりお前は母親ポジション保持するんですかとその前足の肉球をいじりたくなったが、
とてつもない眠気が襲ってきたのでやめた。まぁいいや。
この世界にきて初めての布団に包まりながら意識は闇へと沈んだ。



広くもなく狭くもない部屋の中央に天蓋付きのベッドが置かれている。
ダブルほどの大きさのそれは、この部屋に対してはアンバランスでその存在を際立たせていた。
そこで私は寝かされていた。
ベッドの端には口髭を生やした男の人が腰掛けていて何かを私に語りかけている。
逆光の中にいるその人の顔は黒く塗りつぶされており、目元は隠されていた。
ただその口許だけは柔和に笑んでおり、ゆっくりと口を動かし言葉を紡いでいるのは見える。
しかし私にはカーテンを揺れ動かしている風や、空気を震わす音を一切感じることはできなかった。
男が私に手を伸ばし、ゆっくりと頭を撫でる。その暖かさだけが伝わってきた気がした。



硬質な音が控えめに響き私は目を覚ました。
とても緩やかな空気が流れる朝で布団の暖かさが二度寝を誘った。
しかしドアが開く音とともに自分のいる状況を思いだし上半身を起こす。
はすでに目を覚ましていたのか床で毛繕いをしていた。

「おはよう、ちゃん。よく眠れた?」

現れたのは少女の母親であった。
エプロンを付けているので朝食の用意をしていたところなのだろう。
漫画のようにオタマ片手に現れたりはしなかったが、その脇には洋服が携えられていた。
見える服は地味ではないがピンクばかりの服でなもない。ほっとした。

「もうすぐ朝ごはんができるからこれを着ていらっしゃい」

きっとピッタリだと思うから、と昨日とは打って変わって花の咲くような笑顔を見せた。
母親、というよりも年の離れた姉のように若々しくて元気だった。
しかしスカートは勘弁して欲しい。全身ピンクよりはマシだが我儘を言わせてくれ。
手渡された服の中からスカートを引っ張り出し、首を横に振りながら手渡し返した。
一瞬私の言わんとしている事がわからなかったのか呆気に取られた顔をしていたが、
すぐに意味を汲み取ってくれて少し笑いながら二つ返事で変えてくれた。
良かった、ズボンだ。小さく頭を下げると、少女の母親はすぐにおいでと言い残し部屋から出て行った。

着替えてみるとやっぱりピッタリだった。
少女は横になって眠っていたからわからなかったが、背は私と一緒なのだろうか。
一緒といってもこの一年少女は成長していないのだから、去年の身長なんだろう。
着替え終わり人形サイズになっていたに声をかける。
滝で水浴びをした時にわかったことだが戻れと言えば人形に戻れるようだ。
大型犬になるには私が何でもいいから声を発しオーラを与えれば良いらしい。
木の根が張られたあの洞窟で、私が殺意を感じながら「邪魔だ」と言ってが飛び出した。
知らない内に殺意とともにオーラがポケットに入っていたに行き届いたのだろう。
結果オーライな訳だがあまりに運が良すぎて使い果たしたんじゃないだろうかと心配になってくる。
おでこが出てると運気を集めるとどこかで聞いた事があるが、私も実践すべきだろうかと
家の廊下を歩きながらちょっと真剣に思った。

朝食はスクランブルエッグとかパンとか、外国の食事であった。美味かった。
食器を片しながら、今日の予定を考える。
少女に私のオーラを絡ませるのも優先順位の高い事柄であるが、
それよりも今は情報収集をしなければならない。
しかし誓約により声を発してはいけない私は、ジェスチャーで紙とペンを借りた。
生まれて初めて書くハンター文字に私自身躊躇いながらもスラスラとペンを走らせた。
それを近くにいた少女の父親に見せる。
私からアクションを起こしたのがそんなに驚くことなのか水を飲み込むのを忘れ
口に含んだまま私とその紙へ交互に視線を向けた。
早く飲み込めと言いたいのを抑え、その紙を手に取るまでじっと待つ。
真意を測ろうと私を見ていた少女の父親は目を逸らし紙を手に取った。
同時に口の中の水を飲み込む。喉仏が上下に動いた。
視線が左から右へとゆっくりと動いている。読んでくれているようだ。

『現在の西暦は?』
問1である。

「今は、1996年、だけど」

ちょっとどもりながらも答えてくれた。
電話機の横に置かれていた小さなカレンダーを手にとり私に手渡す。
そんなに、私は眠っていたのか。カレンダーを握りながら思う。
クロロと会った時あいつがまだ10才だったなら西暦1984年である。
誤差があったとしても1年か2年ほどだ。大差ない。
10年近くも眠っていたことに驚きを隠せなかった。ハムスターどころじゃない。
やっべ冬眠しすぎたと慌てて土から出てくる蛙さえも私には遠く及ばないだろう。
ギネスブックに登録できるだろうかと乾いた思考であの分厚い歴史書を思い浮かべた。
とりあえず今が原作の4年前であることがわかったのだ。収穫である。
では次だ、と同じ紙に質問を書き足した。それを同じように渡す。
今度は迷いなく受け取った。

『あの子の名前は?』
問2だ。

この質問にはよほどびっくりしたのか、紙を凝視しながら固まっていた。
あの念に侵されている少女の名前。目の前の男性の娘の名前。
油の足りなくなったロボットの首のように視線を私へと移し、小さな声で名前を教えてくれた。
カレンと言うそうだ。
少し泣きそうだった少女の父親は昨日の母親のように力なく笑った。
あの子は愛されてるなぁと実感しながら、必ず治すよと視線で語った。
伝わっていないだろうがまぁいい。
最後に紙にありがとう、と書いて私は席を立った。向かう先は少女の部屋である。
半日はオーラを覆わせる勢いでやらないと間に合わなそうだ。
椅子を客室から持っていき、昨夜と同じベッド横に設置した。
ここにいることを咎められないだろうかと心配したが、背後で見守っていた
少女の父親が足音をたてずに去っていったから許してくれたのだろう。
も私の横に腰を下ろし、私はオーラを揺らがせた。始めよう。


それから2日。
予定通りにはいかなかったが、あと4時間で達成だ。
本当によくがんばった。自分がんばった。褒めてやりたい。
他人にオーラを覆わせる行為は、消費する行為ではないから体力面では問題なかった。
問題は精神面だ。途中で集中力が足りなくなってくると凝をして白兎を見るようにして
殺意とやる気とを集中力に変換し地味な行為に没頭した。
相変わらず少女をガン見しており時たま銀時計を開く。その繰り返しだ。
運良く銀時計が開くところを見る事ができた時は残り日数を確認する。
あと5日はある。十分だ。
それでも日に日に顔色が悪くなって衰弱していく子供を見るのは、親としては辛いだろう。
私は森で倒れた男性を助けたので、向こうとしては「お礼」として私をここに居させてくれているのだろうが
私にしては食事や風呂やベッドを3日間も与えてくれたことに感謝くらいはしている。
それにあの泣きそうな両親の顔。
小学生の頃私が事故に遭い病院で目覚めた時に見たあの顔と一緒である。
父親なんかは涙を流しながら無事で良かったと喜んでくれた。
子供ながらに親が泣くということに戸惑ってとても悪いことをしている気がしたのだ。
あの頃は怪我の痛みよりも罪悪感のほうが勝っていて、謝ることしかできなかった。
それと同じ顔をしているこの子の両親に、宿を与えてくれた「お礼」をしたい。
更には私が裸足でいることに心を痛めたのか靴まで買ってくれた。
動きやすい運動靴である。これはかなり嬉しかった。
あんな流星街に続く森から出てきた私を、事情も聞かず置いてくれたのだ。
まったくこの白兎と念をかけた奴に対しては今までにないほどの殺意が湧く。
に濡れた体で擦り寄られ体に毛が纏わり付いた時以来である。
少女を救う、よりも白兎を殺す方に意識が持っていかれる時もあるが結果的には一緒だ。
白兎が銀時計を閉じるのと同時に、私は凝を解いた。

あと4時間。
それくらいなら明日中に終わるだろう。
水音が波紋のように壁を反射し消えていく風呂の中で、やるべきことを反復する。
大丈夫、できる。
夢でしか見たことのない「発」。制約と誓約でさえも合っているのか疑わしい。
しかしどこかで確信している。だってなんとなくで意思疎通が可能だった。
あとは明日、鶴の恩返しのように振舞えばそれで良いのである。
いや別に覗かれてもまったく問題ないが一般人には見せられないだろう。

考え事をして長風呂しすぎたようだ。
風呂場のドアの曇りガラスの向こうに黒い塊が座っているのが見えた。だ。
その前足をドアへとくっつけて何かを訴えているらしい。
風呂くらいゆっくり入らせろよとイラッとしたが湯も温くなっているし出るとしよう。
お前がそこにいると出られないからあっち行けと意を込めて肉球が透けている
場所に私の手も合わせて乗せた。
おとなしくが戻っていく。
さて、明日がいよいよ本番か。
こんにゃくのような気合を固めるために頬を軽く叩き、着慣れたピンクのパジャマに袖を通した。
いい加減違う色のパジャマを貸してはくれないだろうかと思いながら。

 

07 text 09