残り6分というカップラーメンの汁が半分以上なくなるだろう時間、少女に自分の念を絡ませる。
横には少女の祖父が立ちその様子を興味深そうに見ていたが、どうやら凝も完全に
使えるわけではないらしく、ぼんやりとおぼろげにしか見えないのだそうだ。
兎に対しても兎の形が見えるから兎と称しており、目の色や服装、銀時計までは見えないのだと言う。
それならば少女の寿命についても知らないんだろうな。
もし私があと1週間遅く起きていたならこの男性も少女も死んでいたのだろうか。
家族は悲しんで白兎とこの念の能力者が喜ぶ結果となったに違いない。
白兎に対しての殺意が沸々と湧き上がり、やる気が出てきた。
の頭を撫でて、さぁ新鮮な兎の肉だぞとその真っ黒な目に語りかけた。

 

ミスマッチ10

 


私と男性は本当の孫と祖父のように公園から並んで帰った。
その間私達はほとんど喋らず歩いていたが、ふと男性が思い出したように言った。

「以前、ちゃんと同じように犬を連れた薬売りの青年がこの街を訪れたことがある」

あまり人の出入が多くないこの街で客人は珍しいらしい。
偶然飲食店で見かけたその客人に、なんとなく覚えたての凝をしてみた。
すると驚いたことにその男も念能力者だったという。
その時すでに少女は念に侵されて眠ったままだったこともあり、その青年へ接触。
森へ薬草を集めに来たのだと言う青年に事情を話し、自宅へ招き少女を診てもらった。
念によって侵されていることまでは青年にもわかったが、しかし除念の能力はなかった。
自分には治せないと告げ、ただひとつだけ薬草を渡して男性の元を去った。

「その草を煎じてカレンに飲ませると、それまで苦しそうにしていたのが嘘のように安らかになった。
 唯一、その薬草だけがカレンに効いたんだ」

しかしそれでも少女は目覚めず、ただ眠っているかのように念に侵され続けた。
それでも少女を少しでも楽にしてくれた青年に礼が言いたいと探したが、すでに街を去った後だった。
それから半年。だんだんと顔色の悪くなっていく少女を見かねた男性が森へと入り、遭難。

「そしてちゃんに助けられた」

初老の男性を思わせる穏やかな笑みを浮かべながら私の頭を撫でる。
その後も少女が念に侵される前、一緒にサーカスを見に行ったことや、
家族で旅行に行ったことなどを話し続けた。先ほどの無言の時間が嘘のようである。
やたら饒舌だな、と思っていたがこれから少女が目覚めるかもしれないと思うと
落ち着いてなどいられないのかも知れない。
事実さきほどから私の頭を撫でたり手を握ったり離したりと何がしたいんだお前はと
感じるほどの落ち着きのなさだ。
その両手を封じ込めてやりたい衝動にかられたが、仕方ないことなんだと自分に言い聞かせ
その衝動を押し込めた。
今もなお喋り続けているその声には安心したような、嬉しそうな色が含まれていたが
それでもどこか不安そうな雰囲気も醸しだされていた。
やっぱりこんな子供にどうにか出来るのだろうかと深層心理が疑っているのだろう。
またもや頭を撫でられた私の深層心理がこのオヤジを昏倒させろと囁きかけた。

家に辿り着くとさっそく私は椅子を移動させベッド横に配置した。
隣で見ててもいいかと男性が聞いてきたので、頷くだけで了承する。声は出さない。
たかが6分。されど6分。でもやっぱり6分。
少女の頭上にあった数字はすぐに0のぞろ目になった。
それまで覆わせるだけだった私のオーラを、少女の体内へ潜り込ませた。
多量ではないが少量でもない。少し疲れる。
しかしこれで準備はすべて整ったのだ。ようやくあの銀時計が壊せる。


ここから先はさすがに見せられないと男性の背を押して部屋から出した。
ドアを閉める直前、よろしくと言われた。任せておけと意を込めて頷き、ドアを閉める。
ガチャンと音がして少女の部屋は密室になった。空気の流れが僅かに鈍る。
椅子へと腰を下ろし凝をする。ちょうど白兎が銀時計を開いたところであった。
盤を日々移動する赤い針はとうとう頂上の二つ後ろまで迫っている。
一度、目を閉じて少女と少女を取り巻くここの家族のことを思い返した。
目に入れても痛くないという程に孫を溺愛している、どこにでもいる初老の男性。
同じく孫を愛し、豪快な印象と快活な笑い声が特徴なふくよかな女性。
入社一年目ですかと思わず聞きたくなる童顔で、笑うと更に幼く見える少女の父親。
凛々しい顔立ちをしているが雰囲気は柔らかく、少女と同じ栗色の髪をした母親。
絵に描いたような幸せ一家になぜ白兎の念がかけられたのかは謎だが、
時計を確認しているだろう白兎の親玉、すべての元凶に舌を噛ませてやりたいと強く思う。
蓋が閉じられるバチンという音を合図に、私は前方を睨みつけ、念を発動させた。


『小さな子供の大きな我儘 -ウィルフルネス-


私の体からオーラが大量に放出され、大きく波を打ちうねった。
が姿勢を低く構えその鋭い歯を剥き出しにし、地を這う声で唸る。
今にも兎を噛み殺さんばかりのを横目に、私は息を吸い込んだ。

「カレン」

呼び掛けるように、突き刺すように言う。

「いつまで寝ている。さっさと起きろ」

私の声に反応し、カレンに送り込んだ私のオーラがカレンの持ち得るオーラを促し連動した。
カレンと私のお互いのオーラが混じり合いさらにその大きさを増していく。
少女の部屋全体に濃密なオーラの塊が膨れ上がっていった。
臨界点を越すんじゃないかと思われるほどの集中力を保ち続け、
私たちのオーラは徐々に食虫植物の口を象った。
凶悪なまでのその口は全てを飲み込まんと限界まで広がり兎を見据えている。
この時初めて白兎が私を意志ある目で睨みつけてきた。
念能力者がそうプログラムを組んだように兎は形容しがたい声で叫び、
私に向かって突進し爪を振り上げた。
開かれた口の上下を涎が結び、猫のように顕わにされた爪と同じく銀色に光る。
椅子に座ったままその様を眺め、振り下ろされる拳の風を頬に感じ始めたが、
それが私へと到達する前にが横からその腕に噛み付いた。
そのまま白兎は横へ流れていくかと思われたが、と共に視界から消えたのは腕だけだった。
トカゲの尻尾のように呆気なく胴体と離れた腕を気にすることなく、銀時計を持った逆の腕を振り上げる。
しかしその腕も私に届くことなく食虫植物の餌食となった。銀時計が光に反射しながら宙に舞う。
なおも諦めず、口の両端を裂かせながら規格外の大口で噛み付こうと向かってくる。
ここまでの反撃を予想していなかったとは言え、私だって何が起きてもいいように集中し続けていたのだ。
座っていた椅子すら一緒に倒す勢いで身を捻り床へと飛び込んだ。
背に風圧を感じ、椅子の壊れる音が聞こえる。
白兎は椅子の背凭れ半分を齧り、部屋の反対側へと着地した。
裂けた口に比例するような耳障りな雄叫びを上げ、その自慢の跳躍でまたもや飛び込んでくる。
この騒ぎで乱雑に放られた人形の中から手当り次第に1つを掴み取り、その口へと押し込んだ。
黒い目の、可愛い顔をした兎の人形であった。
喉の奥深くまで押し込み、白兎が一瞬怯む。その隙を見逃すはずがない。
がその白兎の喉元へと噛み付いた。
びくりと1度痙攣した体が反対側から襲ってきた食虫植物の口に飲み込まれた。
銀時計が床へとぶつかる重い音と、それに付けられた鎖が煩わしく床を滑る音が響いた。
すべての音が止むと同時に、白兎は獣と植物の口の中へと吸い込まれ、消えた。

白兎の口へと押し込まれていた人形が重力に従い、私の手の中でだらりと下がった。
終わったのだろうか。
食虫植物は白兎を食って満足したのか大人しく口を閉じている。
も飲み込む動作をして満足そうに鼻を鳴らしたが、気が緩んだ様子はない。
部屋の雰囲気もまだ禍々しいものが隅で蔓延り続けている印象を受ける。
未だ重い色を残したままの部屋を見回し白兎がいないことを確認した。
しかし視界の端で何かが光り意識を向ける。
そこには白兎が持っていた銀時計が落ちていた。そうだ、忘れていた。
あの時計を壊して白兎の口に詰め込む計画は遂行できなくなったが、
粉々に壊すくらいのことは可能だ。そう思い、それを拾い上げた。
銀時計を開閉する音が蘇る。時計を近づけて確認する赤い目が反射する盤が蘇る。

これで終わるのだ、と気を抜いて銀時計を開いたのが悪かった。
そこに現れると思っていた365本の線と数字と赤い針は跡形もなく、
代わりに現れたのはドラクエで見るミミックのような凶悪な牙と舌と目だった。

「…っ」

咄嗟に手放そうと思ったが、その前に銀時計ミミックは鎖を使って跳ね上がり
私の左目へとその鋭い歯を突き立てた。
小さく悲鳴を上げると同時、異変に気付いたがすぐさま銀時計を鋭い爪で叩き落した。
反射的に身を引いた勢いのまま私は床に尻餅をついた。
それがまた牙をむく前に、がその口の中で噛み砕く様を片目だけで見届ける。
ようやく本当に部屋の重苦しい空気が霧散し静寂が訪れた。
しかし噛み付かれた左目が潰れてるんじゃないかと、平和の訪れた部屋に息をつくことができない。
噛まれた衝撃はあれど、それ以降痛みも違和感もない目を恐る恐る左右に動かしてみる。
問題ない。手で覆われているから暗闇しかないが、動かそうと思えば正常に動かせる。
噛み付かれたのは目ではなく、その周りか瞼なのだろうか。
ならば噛み傷くらいは瞼に出来ているかもしれない。
少女の部屋にあった姿見の前に、人形を踏みつけないようにしながら移動し、ゆっくりと手をどかす。
瞑ったままの瞼には傷がなかった。あれ、やっぱり噛まれたのは目だったのだろうか。
今度は瞼をゆっくりと持ち上げた。

そこに現れたのは見慣れた黒目の、自分の目だった。
瞼にも目にも傷がないことを確認して、 深く深く息を吐きだし、心底安心した。
これで目が見えなくなっていたらどうしようと本気で思った。
無駄なことに神経を張り詰めて疲れた。早く終わらせよう。
部屋を見回すとと少女と、巨大な食虫植物がいた。
なぜ食虫植物なんだろうと疑問に思ったことは数え切れないが、役に立ったのだからいいだろう。
念を解除し、混ざり合っていた私のオーラと少女のオーラはそれぞれの体に戻った。
それにしても疲れた。念を消費するとなるとこんなにも疲れるものなのか。
体が重くなって今すぐ床とお友達になりたいと思ったが、踏ん張った。まずは報告をしないと。
少女はまだベッドで眠ったまま安らかな顔をしている。寝返りを打ってその布団へと顔を埋めた。
そういえば、今まで少女が寝返りを打ったところなど見た事がない。
白兎の念から完全に解放されたことを改めて悟った。
この「我儘」は念によって引き起こされた事実にしか作用しないから、きっと少女は
一晩寝ただけの感覚しかないのだろう。
あと数分もすれば自然に起き上がり、おはよう、とリビングへ顔を出すのだ。

散らかった人形を片付ける気など微塵も湧き上がってこず、ただ踏まないように気を付けながら
白兎と死闘を繰り広げた部屋を後にする。
いや死闘を繰り広げたのは私ではなくと食虫植物なのであるが、私だって頑張った。
ドアノブを捻る前に、もう一度凝をする。
少女から溢れ出るオーラが緩やかに立ち昇っているだけであることを確認して、ドアを閉める。
ノブを捻らず閉めたドアは、ガチャンと小さな音を出して閉まった。

 

09 text 11          念について