水面ぎりぎりのところで浮いている感覚。
沈んで浮いて、どこぞの中間を漂い流される。
目を開けようとしても酷い眠気に襲われて、深く眠ろうとしても神経が逆立ち引き上げられる。
ずっと以前成長痛に悩まされ真夜中をうっすら漂った時のようだ。
ゆらゆら、ふわふわ、とかそんな感じの言葉がぴったりなこの状態。
穏やかなようで、平和なようで、日曜日の朝をも思わせるこの言葉も、
長時間続いていたならばそれは立派な睡眠妨害であり私の三大欲求の一つを潰した責任を
どう取らせてやろうかと滾る殺意を隠しもせず夢と現実の間で思い描いた。
文字通り針千本飲ませてやろう。あの膨らむ魚を。

 

ミスマッチ05

 

目を開ける。暗い。
一瞬どこにいるのかわからなくなったがすぐに思い出す。洞窟の中だ。
しかし軽く身じろぎして手を翳してみるが輪郭すら浮かんでこないほど暗いのはなぜだ。
まだ3日しか寝泊りしていないがこんなことは初めてである。
昔夜の森で懐中電灯を消してみたことがあった。
あの時の暗闇は部屋で暗さに慣れてうっすらと様子がわかるとかそんなことが
可能なレベルの暗闇ではなかった。
黒い水が視界一面を埋め尽くし手の届くところまで迫っているような。
そんな出口のなさそうな暗闇のなかで、とりあえず体の下にある土の感触を確かめる。
乾いてはいるがざらざらとしている、3日間世話になった寝床そのものだ。
だがいろんな所にいくら手を伸ばしてもあの毛の塊がいない。
私は別に枕がなくても寝られる派だから特に困りはしないが、
さすがにこの硬い地面の上では体が凝るというか痛くなる。
はどこにいったのだ。私のベッド。

いやしかしそれよりも明かりだ。
こんな暗い中で探し回るより明かりを探してからの方が確実に効率が良い。
洞窟の壁をぺたぺたと触りながら、もともと入り口であったであろう壁に手をつける。
それはゴツゴツしていた。今までの土のような感触では決してない。
それにどうやら凹凸が存在しているようで、時に私の手は窪まりに埋まった。
そのまま辿ればすぐにまた反対側の壁へと到着し、念のため一週してここが
寝床としていた洞窟であることに確信を持たせた。
入り口を何かが塞いでいるのだろう。
しかし人工物でもないようだし、1日でできた物体に疑問しか浮かばない。
でもまあ考えていても仕方ないのだ。
とりあえず状況把握だとその壁を叩いてみるが小さくペチ、と鳴って私の手が痛んだだけだった。
自分の思い通りにならなくても怒りはしないが、私の邪魔をするようであればふつと殺意が湧く。
この壁を壊そうものならベルリンのように大きく世界が変わるわけでもないのだ。
手加減していても解決しないと 何度か握りこぶしで叩いてみたが、やはり無駄だった。
檻に閉じ込められたゴリラの心境になりながらも、掴むところが無いので暴れることは叶わなかった。

まったくは本当にどこへ行ったのか。
どうやらこの洞窟内にはいないようだし、もしこの入り口に立ちはだかっている壁が
あいつの仕業だとしたならば必ずその毛を一本一本ピンセットで抜いてやると
決意を固め、壁から一歩下がった。
前後左右の見分けがつかない闇の中でじっと前を見据える。
叩いて駄目ならば普通は体当たりをするのだろうが、体当たりというのは 想像以上に痛く衝撃の強いものなのだ。
冗談半分でやったどつき合いの時のようにもう後悔はしたくない。そんな危険なことはしたくない。
ではどうすれば良いのだろう。
寝起きでまだ覚醒しきっていない頭で考える。
何か武器になるようなものはないかとポケットを探ってみたところ、掌に収まる長方形の物体を発見した。
の毛で拭き、昨日魚を焼いて役にたったライターである。
これは良いとさっそく火を灯し、シュッと摩擦の音がした後にぼんやりと周りが照らされた。
もし明かりをつけていきなり人の顔があったらどうしようと密かに心配していたが、
そんな霊的な障害にはぶち当たらなかった。
その明かりを前に差し出すと、そこには入り口を塞いでいる犯人の全貌が映し出された。

これはあれだ。木の根っこ。
太い根が何本も上から下へと突き抜けて、この空間を密閉状態にしていた。
なるほどこれでは私が叩いたところで指の骨がベボキと奇怪な音を鳴らすのも納得である。
この根を燃やし尽くして道が開けないかと思ったが、こんな太い木には何の効果もない。
もしこれが巨大生物の背中とかだったら熱さでどいてくれるのだろうが、相手は木。
この時ほど静寂に佇む大木が憎く感じたことはなかった。
仕方なく私はもう1度洞窟内に目をやった。
もうこの際なぜ1日で木の根が張り巡らされているのかという考えは殺意と共に捨てた。冷静になろう。
この洞窟は 狭いから歩き回らなくてもぼんやりと照らされている。
しかし小さなライターでは角まで光は届かないのだろう。
小さな明かりを灯したことで余計濃くなった闇が角に蠢いていた。
それが多少恐怖を増長させたが、それよりも地面に転がり小さな影をつくっている物体が目に入った。
しゃがみこんで拾い上げてみると、それはこの場に似つかわしくない人形であった。
いや、人形というよりもストラップのようである。
最近よくテレビに出ている「お父さん犬」のストラップそのもののように思えた。
こんなに黒くなければ。
「お父さん犬」は白である。見つけたこれは黒である。姿形は犬である。は黒い犬である。
そして行方不明なのだ。

「……」

さすがに私もそこまで馬鹿ではない。
もし昨日の巨大化を見ていなければこんな仮説は生み出されなかっただろうが、
それはもうほとんど確信に近いものであった。
しかしなぜ今度はストラップと化しているのだ。昨日は縮小化できないと言ったじゃないか。
縮小化とストラップ化は別物なのだろうか。
ぜひどういう理屈なのか教えていただきたいものだ。
部屋脱出ゲームのようにキーアイテムを手に入れたと喜んでいたところでこの仕打ち。
多少荒んできた心情を宥め、おそらくであろう掌サイズの黒い犬を観察した。
だがこんな人形の姿で何ができるのだろうか。
持ち運びは楽だが、もともとこいつは自分で歩いていたのだから軽くても私の荷物になる。
じっと打開策を求めながら黒い人形を見つめたが、当たり前のように何も浮かばない。
眉間に皺を寄せ、人形をポケットに捻じ込み仕方なくいい加減熱いと思っていたライターを消す。
角に縮こまっていた闇が再び洞窟全体を包み込み方向感覚を奪った。
慎重に入り口の根まで戻り、触りながら思案する。良いアイディアは浮かばない。
私にここで一生過ごせというのだろうか。

喉が渇いた。腹も減っている。
こんな受験生の挫折を招くような壁を相手にしている場合ではないのだ。
そういえばさっき完全に眠りきれず睡眠欲を邪魔されたばかりである。
更には食欲をも邪魔しようと言うのか。
まったくもってどこまでも腹の立つ事実と憎たらしい壁である。
イラ、なんて可愛らしいものではない熱が腹の底で煮え滾り沸騰させながら、
可愛く言えば上目遣いに根を睨みつけた。
ああもう、本当に、

「邪魔だ」

ポツリと小さな声で殺意たっぷりに呟いた瞬間、私の横を覚えのある風が通り過ぎた。
それと同時に轟音が空間に鳴り響き、その直後にはびっくりして大きく見開いた私の目に光が刺さった。



 


よくやった、と普段であればの頭を撫でてやるところだが、
先日言ったように寝起きに眩しいものを当てられると殺意が沸くのだ。
このやろう。それを知っててやったのか。
まさか目を眩ませて怯んだ瞬間息の根を止める寸法なのかと警戒したが、
そんなことをせずとも私の息の根は簡単に止められるだろうと結論に至り力を抜いた。
いやしかしそこがの思惑で力を抜いた瞬間食われるかのかと思い、眩しい中
必死に見開いた先にいたのは伸びと欠伸をしていたであった。こいつ。

食欲を満たした私は考えたいことが増えたために、の背中へと跨った。
これで槍があれば完璧かなと結果的には宝の持ち腐れになるだろう姿を想像しながら、
に人がいる場所を知っているか聞いてみた。もちろん流星街以外でだ。
しかし返ってきた返事は情けない声色のグゥ、というものだった。
チッと舌打ちしそうになったがそんなことをしたら間違いなく食われる。
危ないところだった。
耳を伏せ申し訳なさそうに見上げてくるの頭を撫でてやり、
昔テレビで見た「遭難したときの十か条」の知識を記憶から引っ張り出す。
たしか川沿いに進めば人に会える、みたいな項目があった気がする。
上流とか下流とかの指示もあった気がするが、そんなところまで憶えていない。
とりあえず上流へと向かってもらった。

周りに目を配らせてからさて考え事をするかと空を見上げた。
まず先ほど私の指の骨を鳴らせたあの木の根だ。
洞窟の入り口を遮っていた木の根は1日足らずで出来上がるようなものではない。
少なくとも数年の時を要するはずである。
その根だけが異常発達し偶然にも入り口を塞いでいるだけであったなら問題はない。
いや問題はあるが、もう1つの仮説の前では無いに等しい。
もう1つの仮説は私が眠っていたのは1日ではなくそれ以上なのではないか、というものだ。
非現実的すぎて私の健康を心底心配してしまうものではあるが、
この世界に私の常識が通用しないことなど初日から思い知らされている。
この仮説が有力になったのはりんごらしき果物を採りに行った時である。
なんかさらに巨木になっていた。
生まれ育った場所は都会であるから、木がどの期間でどれ程大きくなるのか
知らないが、あの大きさはどう考えても数年はたっている。
それを見た瞬間、悪い予感こそ的中するという世の中の定理を改めて実感した。
この仮説を確かめるには人に会い、現在が西暦何年なのか確認する必要がある。
原作のゴンがハンター試験を受けるのはちょうど2000年だったはずだ。
先日クロロに会ったとき、あいつはまだ10〜12歳くらいであった。
クロロは原作で26…だった気がする。
ということはクロロと会ったとき西暦1984年、だと思う。
計算結果に確信は持てないが今はそんなこと重要ではない。
とりあえず人に会い、西暦を聞こう。その為に今に歩いてもらっているのだ。

次は人形になっていたについてか。
いや、それについてはもう答えは出ている。
よりもまずはこの目に見えている白いモヤについてだろう。
これはおそらくオーラだ。この世界独特の念という存在。危険物。
なぜか起きた時から目に見えるようになっていた。
洞窟から出た後が身に纏っているモヤが目に付きまさかと思い自分の手を見て呆然した。
私はすでに纏をしていたのだ。白い湯気を身に纏っていた。
は念が使えるのだろうか。原作では念が使える動物など出てこなかった。
だが巨大化したり人形になったりと、こいつは「念が使える動物」というカテゴリよりも
「念獣」と言ったほうがしっくりくるし納得もできる。
後ろ足を伸ばしながら2度目の欠伸を漏らすを見ながら今朝、
喉につかえていた奇妙な塊がストンと胃に落ちていったのを感じた。
未だなぜが付いて来てくれるのかという部分では解せない点があるが、
こいつは念獣で、かつ無条件で私を守ってくれているのだ。私が作り出した念獣の可能性が高い。
これは更に仮説の仮説である考えなのだが、おそらくの媒体はあの人形だ。
元々が人形、通常が大型犬、その上が巨大化。こんな感じなのだろう。
ふと集中していた目から力を抜き、凝をやめる。疲れた。目が痛い。
私はこの世界に来た時から念が使えていたようだった。
いくら歩いても足の裏が切れなかったり、落ちても傷がなかったりで頑丈さが増したのかと
思っていたが、実際は纏ができていたからだった。
そう思えば頑丈になっても体力が上がらないのは納得だ。

念獣であるを作り出したのは私だとすると、系統は具現化系になるのだろうか。
それとももっと別の系統なのだろうか。わからん。
にしても最初から念が使えるなど卑怯ではないのか。修行も何もしていないのに。
しかしなぜ突然今日になって見えるようになったのだろうか。
…いや、少し違う気がするな。
私が念を意図的に使えるようになったのは今日から、という方が合っている気がする。
最初は無意識に纏を。
眠りから覚めてからは意図的に念を。
きっかけは何なのか。なぜ急に念を操作できるようになったのか。


ああ、なんだか考える度に深みに嵌っている気がする。
ごちゃごちゃしてきた頭の中を晴らすように一旦考え事を止め、周りに目を凝らす。
相変わらず森ばかりだが川の幅が大きくなっている。
耳を澄ましてみると遠くから水の叩きつけられる音が聞こえてきた。
この先は滝なのだろうか。
そうなると人の住んでいる所ではないのだろう。失敗した。
しかしこのまま引き返すのも癪である。
とりあえずにはこのまま進んでもらい、この森の把握に勤しもうと思った。

ふと、そういえば浅い眠りの中で夢を見ていたことを思い出す。
どんな夢だったのかは木の根に阻まれたおかげで忘れてしまっていたが、
なんとなく、誰かに語りかけている夢であったような気がした。
今思い出しても穏やかな気持ちになるのだから悪い夢ではなかったのだろう。
滝がすぐそこまで近づき、薄い霧の中を進む。
の毛についた雫を取り払うように撫でてやると、やっぱり嬉しそうな感情が伝わってきた。



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