の背で揺られること数時間。
昨日と同じ寝床へと私とは帰ってきた。
鼻の器官はまだぴりぴりとして感覚が鈍っているようだったが、
あの環境に留まり続けることにならず本当に良かった。
どこぞの団長に出会うなど嬉しくも楽しくもないイベントに 遭遇する災難には見舞われたが、
野生を取り戻していないだろうかと 不安に思っていたも平常心で歩き続けていた。
私にはまだ噛み傷1つないのである。

 

ミスマッチ04

 

帰り道にずっと腕に抱えていたあの奇妙なりんごをボリボリと食し、今後のことについて考えていた。
私の身に起こったのは異世界トリップという昔友人に熱く語られた状況で、
現在は原作の過去編である。
これから起こるだろうことの一部を私は知っていて、人の命を救うことも可能である。
しかしそれよりも私は現実世界へと帰りたいのだ。
勉強はつまらないし学校も暇で授業も眠くてたまらないが、それでも友人とどつきあったり
校内鬼ごっこを実施して後々教師が鬼になり本気で逃げ回ったりした時は楽しかった。
家族も両親は放任主義のおかげで好き勝手に遊びまわることができて、兄とはゲームの話でよく盛り上がった。
ゲームと言えば最近買ったRPGをまだクリアしていない。
まだ序盤ではあったが「起承転結」の「承」の部分まできてようやく面白くなってきたのだ。
こんな念とかいう危険物が転がっている世界で私は生きたくない。
早く帰ってゲームをクリアさせ友人との賭けで手に入れたケーキを食さねばならないのだ。
早くしないと父か兄のどちらかに食われてしまう。それだけは避けたい。
帰るためには何をすべきなのだろう。
ここに来る前のことを思い出すが、別段事故にあったり不思議なものを見たりした覚えはない。
寝て覚めたら森の中。
もう一度寝れば戻っているだろうかと昨夜期待したが、今朝現実はそんな甘くないよねと諦めた。
 

川の魚を見つめながら深い深い溜息をつく。
私の横では今しがた川から魚を銜え戻ってきたが体を震わせて水を払っている。
その払った水が私にかかっていることなどこいつは知らないだろう。
外見は子供だが中身はもうすぐ成人である。
私のために水に潜り魚を取ってきてくれたに対して多少殺意は湧いたが、
ここで暴れてはあまりに 大人気ないと自分を諭し、目の前で華麗にUターンする
蛍光ピンクの魚を見て気持ちを落ち着かせた。
原始人のような火の起こし方は知らないが、流星街でさりげなく拾ってきたライターがある。
それは私が見たおぞましきGの歩いた道上にあったものではあるが、背に腹はかえられない。
指先でつまみ悪いとは思ったがの毛で少し拭いた。
おかげでこうして魚を焼くことが出来るのである。の毛と私の根性に乾杯。
山火事にならないよう川辺の小石が並ぶスペースで枯葉や乾いた小枝を集めて置き、
その上に多少大きめの枝を乗せた。
もしかしたら欠陥品で火が点かないかも知れないと心配していたが、問題なかった。
なかなか燃え広がらず指が熱いと奮闘したが、の前足が伸びてきてちょいと
小枝の位置をずらした途端勢いよく燃え広がった。
負けたような気持ちになり悔しさと殺意がまた湧いたが、魚に枝を刺すことで落ち着かせた。
先に魚の内臓を取り除きたかったが、ナイフをクロロに渡してしまった。
よくよく考えれば流星街には探せばまだ武器になりそうなものがたくさん転がっていたのだ。
渡さずやはり持ってくれば良かったと早々に後悔したが後の祭りだ。
食べないように気をつければ寄生虫の心配もないだろう。きっと。

派手な水しぶきを上げてまたは水の中へと飛び込んだ。
今度はきっと自分の分だろう。
私の体が幼児化し、力もなく足も短くなり不便ばかりだと思っていたが、当然のごとく胃も小さくなったらしい。
もともと大食いだった私にとって魚一匹、果物一つで腹が一杯になるのは
このサバイバル生活において大変役に立っていた。
火に焼かれていた魚からいい匂いが立ち込めてきて、そろそろ食べ頃だと知る。
塩も何もないがこの際贅沢などできない。
最後に火の上で魚を反転させながら仕上げに焼き、もちょうど川から上がってきたことだしと
焼き魚にかぶりついた。

 


今夜も空は澄んでいて月明かりが森を照らしている。
昨日と変わらず静かで青白く照らされていたが時折どこかから炭酸水のような殺気が流れてくる。
この世界にきてから私の体は大きな変化を遂げていることにようやく気付かされた。
外見的な変化ではなく、内面、もしくは感覚器官や強靭さといったところだろう。
体力面については昨日元いた世界と変わらないことが証明されている。

この世界に辿り着いた1日目の夜。私は熊に襲われた。
その際木から飛び降りて走って逃げたが、確か私が座っていた枝は地面から数メートルはあった。
3メートル程であれば問題なく着地はできるがその時はビル4階から飛び降りたようなものである。
受身を取ろうとしても上手くいかず地面に叩きつけられたが、肺が圧迫されただけで大きな痛みも傷もない。

森を裸足で歩いているのになぜ足の裏が切れないのだろう。
硬い石が転がっていないからだとは思っていたが、木の枝を踏んだだけでも通常皮膚は切れるのだ。
私は普段から裸足で過ごしていたから多少皮膚は厚いだろう。でもそれでは説明がつかない。
ここは森。綺麗に掃除された家の中でもなければ、建設された床でもない。

そして殺気を感じる。
熊に襲われた時は恐怖や焦燥とまざりはっきりとした殺気はわからなかったが、
流星街で感じた若者とのものはそれであると断言ができる。
全身がぴりぴりした。狙われた眉間はじりじりした。
夜になると活動的になる肉食獣の殺気はすぐ近くで泡が弾けるようにシュワシュワする。

たったこれだけの変化ではあるが、私にとっては大きなことである。
特に身体能力が上がったわけではないのに、体が丈夫になるだけなんて使えない。
それだけの特典なら必要ないから私の体を返してくれ。不便だ。

変化といえば私だけではない。もだ。
考えないように目を逸らしてきたが、なぜこいつは巨大化するのだ。
普通の犬ではないような気はなんとなくしていたが、よもや私とは逆で大きくなるとは。
どのような条件で、どんなふうに巨大化するのかまったくわからないが
私に危害が及ばないようであればそれで良い。細かいことは気にしない。
巨大化の代わりに小型犬みたいに小さくならないのだろうか。
が小さくなって私に利点はないが気にはなる。
試しに小さくなれるか聞いていみたが毛繕いを中断させ少し顔を上げるに留まった。
どうやらできないらしい。

…頼めば、巨大化もしてくれるだろうか。
月を 見上げていた視線をもう一度ちらりとに向ければ、耳をピンと立てたと目が合う。
どうやら毛繕いは終わったらしい。

「…

巨大化できる?
そう聞いてみると、数回瞬きをしてから徐に腰を上げた。
その緩慢な動きは親戚のお祖父ちゃんを彷彿とさせたが、入れ歯をふっ飛ばした記憶も
一緒に蘇ってきたためすぐに思考から追い出す。
こんなところで思い出し笑いなんてしたら怒ったに食い殺されてしまう。
青白い明かりの中で黒い毛が輝いている。
黒い毛って金色よりも綺麗な気がするなと感慨深げに見ていると、その毛がざわざわと喚きだした。
猫が怒って毛を逆立てるように膨れ上がり、むくむくとの体が巨大化していく。
開いた口が塞がらないとはこのことだ。
ビキビキと骨が変形しているような痛そうな音が聞こえてきて私の毛も逆立ちそうになったが、
当の本人は痛がる素振りも見せないまま、段々と毛は鎮まり空気の振動も止んだ。
あぁ、やっぱり巨大化できるんだね
訳の分からない蛇とか訳の分からない果物とか訳の分からない魚とかこの2日間で見てきたが、
1番訳の分からない生物はこんな身近でこんなごく普通の成りで生息していたのか。
本当にもののけ姫に出てくる山犬のような大きさである。
さすがにモロ(母犬)まではいかずとも、その子供たちくらいはある。十分巨大だ。

巨大化したがじっとこちらを見つめている。
視線はいつもどおり穏やかだが、私くらいの子供であれば噛まずとも丸飲みにできるだろう。
そうか、噛み殺されるのではなく蛇に飲まれるようにゆっくりと消化されるのか私は。

新たな心配事が増えたと思いながらも鼻頭を撫でてやれば目を細め擦り寄ってくる。
この大きさだと擦り寄られただけでも後ろに転びそうになるがそこは
絶妙な力の入れ加減で私が転ばないよう気をつけているようだ。
おかげでぎりぎり踏ん張れるほどの圧力をかけられながら私は耐えなければならなかった。
こいつは頭が良いのか悪いのか。これでは生殺しである。足がぷるぷるしてきた。

 

とりあえずの生態についての検証がとれたため元に戻ってもらった。
あの大きさだと最近やっと大型にも慣れてきた心臓が縮み上がって仕方ない。
空の観察をやめて洞窟へと潜る。
またもやが母犬のように横たわりながら私を促すように尻尾をぱたりと振った。
お前はもう私の母親ポジション決定なのかと問い質したかったが、事実落ち着くので文句が言えない。
昨夜と同じようにふわふわの毛へとダイブをし(が少し呻いた)、楽な姿勢を探す。
横向きで体を丸めると一息ついた。吸い込む空気が冷たくて気持ちいい。
静かで平和な、昨日と同じ夜である。…はずだった。


つい先ほどまでは眠気など微塵も感じなかったはずなのに、急に体がずしりと重くなり
まるで金縛りにあったように動かなくなる。
これは殺気に当てられて筋肉が硬直したなどではない。
本当に金縛りのようだ。
耳はまわりの音を拾わなくなり、圧迫されたように空気の動く音と自分の心音だけを大きく響かせる。
体を動かそうとしても筋肉だけが反応し、鉄の鎧と化した皮膚に拒まれ指一本動かせない。
なんだ、これは。
触れているであろうの毛の感触さえ伝わってこず、だんだんと闇色に染まる視界に混乱しながら
必死に現状について把握しようとしたが、焼き焦がされる写真のように景色が消えていった。
次いで、どこかでブツリと何かが切れるような音と共に、意識は重力に従いどこかへ落ちていった。
 


最後の最後、の声を聞いた気がした。たぶん。



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