鼻の細胞が死に、嗅覚が麻痺しながらも強烈な悪臭を まざまざと伝えてくる
体の構成に殺意を覚えながら、ようやく目的地まで着いた。
着いたのは良いが、そこで聞こえてきた音は
なぜいつもタイミングの良い時に発生するのかと疑問に思う他ない争う声と物音だった。
目の前に立ちはだかるゴミの山とある意味壮大な景色を見ながら私は、
鼻に細胞なんてあったっけかとこの場合どうでも良いことに力を費やした。

関りたくない。その一心で。

 

ミスマッチ03

 

の背中は快適だった。
四肢を使い歩く生物特有の揺れは確かにあり、私の体はワカメの様に
ゆらゆらと揺れたが、しかし落ちることはなかった。
だんだんと臭いのきつくなっていく中に、その内やっぱり悪臭に耐えられなくなった
に振り落とされ我が血肉にせんとする姿を想像したが、
私は今もこうして無事に揺られているのである。

いよいよ頭痛がしてきたと思い始めたとき、鬱蒼と茂っていた木がだんだんと
巨木から萎びれた細く枯れた木へと変わりだした。
更に進むと今度は粗大ゴミが捨てられているのを確認する。
冷蔵庫、テレビ、車、何かの機材。
もともとは耀いていただろうそれらも、今では錆だらけで
活躍していた頃の逞しさなど微塵も感じられなかった。
しかしこれまで人や文明に触れることの出来なかった私には
その打ち捨てられたゴミが唯一、この世に人が住んでいることを
示してくれる希望であった。
タンが絡まるようなどんよりした臭いも忘れ、僅かに高揚しながら
進むにつれて増えていくゴミを見ていたが、その中に人の足らしきものを
発見してからは私のテンションは海溝の底へと沈み込んだ。
極力辺りを見ないようにしながら、目の前で上下するの頭に
自分の顎を乗せて目を閉じた。
いくぶんが慎重に歩き出したのを感じながらその喉を撫でてやる。
猫のようにゴロゴロ言うわけでもなく、表情も読みとることができないが
なんとなく気持ち良いのだろうというのは理解できた。
感情が伝わってきたのだろうか。

私の気持ちは和み、いつもだったら眠気が襲ってくるのであろうが、 なにせ臭い。
眠気も裸足で逃げ出すほどの悪臭の中、安らいで眠る根性など 私にはなかった。
眉間に皺を寄せて耐えていたが、突然の歩みが止まったため
疑問に思い前方を見やった。
そこには大量のゴミが敷き詰められ山となり私たちの前に聳えていた。
私はから降りてゴミの山へと近づく。
それは急斜面でゴミが重なり合い開けるはずの視界を
およそ5mほどまで縮めていた。
まずは状況確認だと意気込み、人に会えると期待しながら
2日目のロッククライマー魂を燃やす。
そこらに出っ張っているゴミの一角のおかげで軽々と登り終え、
そこで見渡した景色は現在私が置かれている状況を理解させるには
十分すぎるほどの材料が揃っていた。

 


パラレルワールド。
それが私に起こった事件の全貌であった。

灰色の雲との境界線まで続くゴミの世界と頭上を飛ぶ飛行船。
この景色は以前眠いという理由だけですべての宿題を私に押し付けた
友人宅で読んだ覚えがある。
HUNTER×HUNTERの流星街だ。
ところどころから煙が立ち昇り、風が吹けば強烈な臭いが攻め寄せる。
ゴミ山の下から熱気が立ちこめ、それこそわかめの様に 砂漠で見るような景色を作り出していた。
呆然と立ち尽くす私の横で、は行儀良くおすわりをして 周囲の観察に勤しんでいる。
犬のくせによくこんな悪臭に耐えられるなとその平然とした顔を 妬みながらも、
先ほどからぴくぴくと忙しく動いていた耳にならい 私も周囲への状況にない神経を尖らせた。

間違ってもこんな劣悪な環境に人など住んでいないだろうと
踏んでいた私の確信をいとも簡単に崩れさせた物音が
すぐそばから聞こえてきた。次いでどなり声。
とっさに身を低くし音のする方へと近づくと、そこにはいかにも
私悪者ですよといった身なりの中年オヤジが2人と、
その前方で腹を抱え蹲っている少年が1人いた。
もし私がヒーローであったなら、これは絶好のチャンスだと
テレビのアングルを考えながら颯爽と飛びだし決まり文句で
自己紹介を始めるところであろうが、私にそのような熱い魂は
線香花火ほどもなかったのである。

しかしこのまま引き下がり見てみぬふりも後味が悪すぎる。
先ほど見てしまった人の足を思い出し、意識せずとも
少年の足を見てしまった。
今は問題なく動いているあの足が、切り落とされ力なく
森の中で横たわっていると思うと吐気がしてきた。
まったくなぜこんな面倒なことを絶妙のタイミングで行っているのか。
暴力なら人目のつかない夜にやるものだと誰宛にでもない愚痴をもらし、
さてどうしたものかと思案する。
中年オヤジの話す内容からするに、この健康そうな子供は
貴重な臓器提供者であるためあまり乱暴に扱ってはまずいよね、ということだ。
…まさかここで解体ショーをやるんじゃないだろうな。
もしここでが生肉を目の当たりにし野生の本能が目覚め、
私を噛み殺すのではないかと懸念したが、幸いなことに
どうやら少年はどこかに運ぶらしい。
そういえば臓器は新鮮でなければならなかった気がする。

少年を攫う算段を立てている彼らのすぐ横で彼は 未だ腹を抱え蹲ったままだ。
鳩尾に拳か足がめりこみ痛すぎるのだろうかと思ったが、
それはなんだか違う気がする。直感で頼りないが。
オヤジ2人の話し合いが終わったのか少年へと足を進めた。
これはさすがに出て行って助けるべきだろうかと頭を悩ませる
私の横でおとなしくしていたが、突然唸り声を上げ後方へと身を翻した。
まさか本当に野生が目覚めたのかと身を硬くしたが、
後ろから聞こえてきた情けなくとも低く太い声に不快感を感じ振り向く。
そこには大型犬に押し倒された若者がいた。
若者といっても20代後半だろう。
しかし服装が前方のオヤジ2人組にそっくりである。
こいつらもしかして同じグループだろうかと思った瞬間、
なんだこのガキ、という失礼極まりない言葉を聞いた。
いつの間にこんなに近くにいたのだろうか、私のすぐ近くには
メタボ予備軍である腹を持つ黒スーツのオヤジが立っていた。
まるで角煮マンを食べてみたらチョコマンでしたみたいな顔をしている。
つまり不機嫌な顔だ。

「なんでこんなところに子供がいるんだよ」
「さあ? でもいーじゃん、1人より2人、2人より3人ってさ」

背が高く痩せているように見えるが肩幅はしっかりと広い
もう1人のオヤジがメタボの横に立って私を見下ろしている。
この2人、背の高低差があり体格も痩せ型と太り型。
悪役の2人組っていうとよくこういうコンビを見るなと思った。
そしてこういうコンビは最初に出てきて最初に消える。
つまりは

「おい、こいつも攫おうぜ」

雑魚だ。

伸ばされた細く骨ばった指が私に触れる直前、
若者を押し倒したままこちらに殺気を放っていたが動いた。
耳へと音を運ぶ空気が一瞬遮断され、直後に風が襲い掛かる。
黒い毛が横切った。
一部始終を見ていたはずだが速すぎるその動きが捉えられるわけもなく、
ただ事後の景色だけを見つめていた。
私を掴もうとしていた痩せ型のオヤジはゴミの壁へと叩きつけられ、
派手な音と共にその壁を崩した。
は歯を剥きだしにしたまま私を庇うように立ちはだかり
メタボオヤジを睨みつける。
少しずつ後退りながらも、今までその世界で生きてきただけあって
やる時はやるらしい。肝が据わっている。
懐から小型の歪な形をしたナイフを取り出しへと隙なく構える。
その姿は昨日の熊を連想させるような気迫を兼ね備えていた。

しかし動物というのは強い。
もともと死ぬか生きるかという世界に生まれたときから身を投じているのだ。
人間ごときが敵う相手ではない。
オヤジは殺すことに躊躇しない勢いで突進してきたが、あえなく負けた。
痩せ型の上に折り重なりさらにゴミの壁が崩れ2人を視界から隠した。
私は1歩もその位置から動くことなく見学だけして終わった。
がふん、と鼻息荒く勝利に満足したようだったので、
とりあえず褒める意味合いで撫でておいた。尻尾が揺れる。
さて先ほどの少年は立ち直っているか逃げているか確認しようと
視線を巡らせたところ、何やら平和ではない物を持った黒スーツが見えた。
そこに焦点を合わせて理解する。
若者が銃を持ってこちらに向かって構えていた。
もうこうなれば内臓云々ではなくなり私も殺すのだろうな。
諦めではなく相手の心情を読みとり理解したが、焦りはなかった。
たぶん死ぬことに恐怖を感じていないわけではないのだろう。
ただ、私はここでは死なないことがわかっていた。

やはりが私と男の間に滑り込む。
威嚇こそしていないがその姿勢はいつでも相手に飛び掛り
喉元を食い破ってやろうというぴりぴりとした殺気を放っていた。
私にはそれが心地良く感じる。
緊迫した空気が流れたが、 とうとう男の指に力がこもりその引き金を引いた。
男の腕が反動でわずかに跳ね上がるがさすが軌道は逸れない。
スローモーション感覚をまた体験していたが、
体の動きもスローモーションなのである。避けられるわけがない。
それはまっすぐ私の眉間を通過するであろう流れであったが、
不意に暖かいものに包まれ銃弾を弾き返した。
何が起こったのか理解する前に、銃を撃ったはずの男は絶命していた。
巨大化したの口の中で。
それを不快感に思うだとか、畏怖するだとかの感情は湧きあがらず、
よくやったとを褒めてやりたい感情だけがあった。
こいつは私を守ったのだ。まったく奇特な奴である。

それにしてもこのの大きさはなんだろうか。
少なくとも私はこいつの背中より頭が出ていたはずだ。
しかし今は体長2メートルを超す超大型犬になっており、
若者の体を飲み込むくらいはできるんじゃないかと思った。
しかしすぐにの体から白いもやが立ち昇りはじめ、通常の大型犬へと戻った。
私がその変化に唖然としていると、劇的な変化を遂げたこの奇怪な犬は
銜えていた男をぺっと吐き出した。
それで良い。
もしここで人の肉の味を覚えたら次は私だなという 心配事が発生せずにすんだ。
の巨大化についてはまあ今は置いておこう。
それよりもまずはあの少年だ。

さすがにもう立ち直っただろうと思い、先ほどまで
少年が蹲っていた場所に視線を移してみるが、そこには誰もいなかった。
逃げたかのだろうか。懸命な判断だ。
感心していたのも束の間、が私に寄り添い何もない前方を強く見つめている。
まさかまた黒スーツが現れるんじゃないだろうなと思っていたが、
ゴミの影から姿を現したのは少年だった。逃げてなかったのか。
しかしが一向に警戒心を解かないことからきっと
たすけてくれてありがとう! な雰囲気ではないことはよくわかった。
不適に笑みを浮かべている黒髪黒目の少年は、私と
交互に見ながら面白そうに観察している。

「ねえ」

不意に少年が話しかけてきた。
その声に苦しさも恐怖も滲んでおらず、つい先ほどまで攫われ
解体されようとしていた子供のようではない凛とした声だ。
黒スーツに殴られ蹲っていた姿は虚像なのだということが想像できた。

「おもしろいペットを持ってるね、君。」

やっぱり感謝を述べなかった少年はの視線を真っ向から
受けながらのたまった。
これはあれか。
お前のものは俺のもの、俺のものも俺のもの。という素敵精神からくる
恩を仇で返すという行為なのだろうか。
ここでもしその犬ちょうだいなどと言ってみろ。
それに従うしかない私に愛想を尽かしたが一瞬で私を殺すぞと
内心脅しながらも、少年の視線を私も真っ向から受け止める。
ニヤニヤというよりもニヤリな笑顔で止まったまま少年は続けた。

「ね、名前は?」

なんという不躾な。
さっきから人を観察し犬を品定めしこちらの反応をおもしろがっているだけでなく
名前は? ときた。
名乗るならお前から名乗れ、と言ってやろうかと思っていた時、
私の荒波を察知したのか少年は自ら名乗った。クロロと言うそうだ。
ふざけるな。
私はつい先ほど自分の身に起こった不幸を理解しピンチを乗り切ったのだ。
一難去ってまた一難とはこのことだ。
なぜ未来の幻影旅団団長にこんなところで会わなければならないのか。
やはり見捨てて解体ショーを見学すべきだっただろうかと思ったが、
見たところクロロはすでに年齢が2桁ありそうだ。
原作のクロロは強い。
これくらいの年の時にはすでに念を知っていてもおかしくはない。
黒スーツどもに襲われていたのも、黙って蹲っていたのもすべて演技だったのか。
おそらく私との存在に気付いていたからこその芝居。
こんの性悪が。

ところで名前を教えてもらったのだから私も名乗らなければならないのだろうか。
別に名前くらい教えてもなんの問題もないが、実は口を開きたくないのだ。
流星街に着いてからというもの自分の不幸な状況に気付かされたり
誘拐現場に遭遇したりの巨大化と縮小化に遭遇したりで
忘れていたかもしれないが、とにかくここは臭いが強烈である。
もう鼻も喉も頭も痛い。
この淀んだ空気が鼻から吸い込まれ肺に辿りつくのは百歩譲って許そう。
しかし口にこの空気が入るのはどうしても嫌だった。
しかたなく瓦礫に埋もれていたメタボの手からナイフを奪い取り、
そこらにあった家電製品へと自分の名前を刻み込んだ。



たぶん読めないだろうが、嘘はついていないので別にいいだろう。
早くここから立ち去りたい。
自分の置かれていた状況とこの世界のことがわかったのだ。
もうここに用はない。
ナイフはこれから先使えるかも知れないなと思ったが、
私が書いた字を物珍しそうに眺めるクロロにこそ必要かも知れないと思い、
余計なお世話かと思ったがそのナイフを差し出した。
クロロは目を丸くして、くれるのかと聞いてきたが、渡さないのなら
そもそも差し出さないだろうと一刻も早くこの場から去りたい私は
イラッとしながらも小さく頷いた。
クロロはナイフを裏に表にひっくり返して鉛色の空を反射させていたが、
ナイフの鈍い輝きに 満足したのか視線を私へと寄越した。
真意を測ろうとしているのだろうが、特に深い意味があるわけじゃない。
そろそろ本当にここを出ようと歩き出したとき、クロロに呼び止められた。
やはり先ほどの字は読めなかったのだろう。
名前ではなく万人に対する先ほどと同じ「ねえ」という呼び掛けであった。

「ここに住みなよ。仲間を紹介するよ」

何を突然言いだすのかと度肝を抜かれたが、私はこんなところでは生きていけない。
実は流星街に着いたばっかりの時におぞましきGを見つけたのだ。
そんなものが地面の下で数多も蠢いているのだろうと思うと
鳥肌と嫌悪感が底なしに湧いてくる。冗談じゃない。
私は返事をせず踵を返し森の方向へと歩き出した。
幸いにもそれ以上話しかけられることもなく、殺気を投げかけられることもなく
と共にその場を立ち去ることができた。
森に入る直前、ふと後ろを振り返ってみたがそこにはもう誰の姿もなかった。

 

02 text 04