普段は絶対に見せないであろう唖然とした顔のシャルナークの横を通り、外へ出た。
もっと表情がよく出る奴だったらきっとオプションで口をあんぐり開けていたことだろうなと、
どうでもいいことを思いながら、弱い風が通り過ぎる廃墟群へ身を滑らせた。



ミスマッチ38




適当なビルに目星をつけて空洞となった口へ潜り込む。
壊れた受付所、奥に潜む砕けた扉のエレベーター、枯れた枝が刺さっている割れた植木鉢。
入り口横にはローテーブルを中心として向き合っているローソファ。
黄色い綿と錆びたバネが安っぽい茶色の革を破って飛び出している。
天上から崩れたであろう瓦礫とガラスが広がる地面。
あちらこちらに捨て置かれた過去の遺物が転がっているのに、ごちゃごちゃした感じはなく。
流れる空気は冷ややかだ。
比較的綺麗なソファのクッションを手で払い、そこに腰を下ろす。
先ほどシャルナークの話を聞いて一瞬に意識を向けた時。
確かに感じたのは元気な息遣いだ。
今までの、なりを潜めたような殺した息遣いではなく。
ここまでの大怪我をが負うのは初めてで。
対処のしようも傷が完治したと判断する方法も分からないまま様子を見ていたけれど、
もう大丈夫なのだと直感で分かった。
私の念獣ではないので詳しいことは分からないが、イリアがそう思ったのかもしれない。
ポケットから出し、握りしめてみる。
意識してオーラで覆ってみれば聞こえる鼓動。
それに連動して揺れるオーラ。
周りに誰もいないことをなけなしの円で確認して、小さな声で呼びかけた。

「……

慣れてしまった骨の再構築される音。
そしてすぐに姿を現したのは3日ぶりの再開となる、懐かしき黒い犬。
最後のばきん、なんて音とともに体を震わせてする伸びと欠伸。
いやあ、相変わらず凶悪な牙だなちくしょう。


ひとしきり感動の再会(飛びつくと避ける私、圧し掛かると耐える私)を
演出した私たちは、 陽のあたるソファの上で呆けていた。
考えるのは、さっきシャルナークから聞かされた情報。そして辿りついた真実。
真実。だなんて、そんな格好よく言ったって重みは増さない。
私自身そんなに深く考えていないのだから、重みが増すことはこの先もきっとない。

さて。
はイリアの念獣だったと。
シャルナークが言った違和感。どうせ念の質が違うんだろう。
凝で念を見てみたって違いは分からないけれど、一般人でいう雰囲気のような不確かなものだと思う。
視認して理解するものではなく肌で感じるもの。
……そういえばカレンの祖父も念が使えていたが、気付いていたんだろうか。シャルナークの言う違和感に。
が纏うオーラと私が醸すオーラ。その毛色の違いに。
ううん分からない。
祖父からそんな話を持ち出されたこともなければ、それに付随していそうな話題を振られたこともない。
気付いていなかったのか、はたまた気付いていて敢えて口にしなかったのか。
前者だとしたら念の違いを見極めるのは難しいことなのだろう。
後者だとしても、口にしないのはきっと優しさからだ。変に気を使ったに違いない。
まあどちらでもいいか。

ふいとに目をやって、凝で纏っている念を視てみた。
続いて自分が纏っているオーラを。
だがやっぱりというか何というか。私には念の違いが分からない。
どちらも同じように見えるんだが。
よもや私が纏っている念もイリアのものだったりするのだろうか。
いやでもシャルナークは違和感と言った。と私の纏うオーラが違うと言ったのだ。
そこは信用してもいいだろう。あいつに信用なんて言葉を使うのは酷く癪だったが、腐ってもロリコンでも幻影旅団。
観察眼は信用しないわけにはいかない。少なくとも私のそれよりは信憑性がある。
私が身にまとっているオーラは自分の生命力。そう判断して間違いはないはずだ。
でもそうするとは誰のオーラを食っているのだろうか。
まさかオーラの補充なしに動いている訳ではないだろう。
普通誰かに創られた念獣ならば、その能力者のオーラを食うのではないのだろうか。
イリアはいない。私が憑依してしまっている(なんだか自分が幽霊のような気分だ)。
オーラも私のものだ。そうするとは動力源となるものが無いということになるのだが。
まさかドッグフードがそれだとは言うまい。もしそうならどこまで精巧に創られているんだと突っ込みたくなる。
私のオーラでも食っているんだろうか。
生み出した念能力者でなくとも、オーラを食うことが出来るんだろうか。
私の念に対する知識は原作を読んだだけなので拙い上に記憶が怪しい。
もともと難しいことは苦手なんだ。
円とか凝とか、応用技の周だとか、その辺のごちゃごちゃしたことを覚えていただけでも凄いのに。
そんな私が念の特性やら特徴やらを理解できるはずもない。ぶっちゃけ理解する気もない。難しすぎる。

この辺りについてはシャルナークやクロロに聞いた方が早いんだろうな。でも話せない。
フィンクスに聞いたって「知らねぇ」の一言で済まされそうだ。あ、ちょっとイラっときた。
まあいい。は他の誰かのオーラでも食える。食って動力源に出来る。そう解釈しよう。
声を出してまで追求することでもない。

ところで根本的な疑問になるが、なぜ私は念が使えているのだろうか。
正確にはなぜ10年間眠った後に意識して使えるようになったのか、だ。
念の扱いを忘れることはない、と聞いたことがある。
それは自転車に乗ったり泳いだりといったものと同じで、体が覚えているのだと。
この体はイリアのもの。
幼い頃より自然に念を使っていたのだとしたら、私が使えていたことも、まあ無理やりだが納得はできる。
しかしなぜ突然自分で使えるようになったのか。きっかけはあったか。ない。起きたら使えていた。
起きたら森の中でした、なんてことも経験している身。この期に及んで身体変化など驚くに足らず。
なんてことはない。もちろん驚いた。それはもう盛大に吃驚した。
しかしきっかけなんてあっただろうか。寝て、覚めたら使えていて。
寝て、覚めたら、木の根が這っていては人形になっていて。寝て、覚めたら。
……寝て?
そういえば、長期間寝てしまう前の晩、金縛りのように身体が動かなくなった。
最後に聞こえた何かが切れる音。ブツリ。知らず耳の内に焼き付いていたのか、鮮明に思い出せる音。
あの時に何かあったのだろうか。明らかにおかしなことが起こったあの夜に。
真っ黒な目と視線がぶつかる。凛として精悍で従順な忠犬。
こいつが何かをしたのだろうか。意識が真っ暗闇に落ちる寸前、声を聞いた気もする。
のオーラに触発されて私のオーラが動き出した?
いやいやそれはいくらなんでも考えられない。
それとも念獣ってのはそんな能力も有しているんだろうか。
念獣とは言っても、それは個人の発。何かの目的で創られて、それに沿った能力を秘めているものだ。
ああでも生み出したのは幼いイリア。あまり何も考えていなかったことも十分考えられる。
傍にいてほしい。守ってほしい。
襲撃の直後、そんな願いとともに生み出したのかもしれないが、他人の念を引き起こすなんて芸当を
目的として創られていないのは、きっと間違いではない。
だがあの夜の出来事はさすがに無関係だと捨て去ることもできない。
私が念を使えるようになったことと、何かしらの関係がある。
それがにも関係しているのかどうかはまた別問題だ。そう考えるのが妥当だろう。
すぐ横でが欠伸をする。ずらりと並んだ鋭い歯。いつかこの大きな口に飲みこまれるんだろうか。うわあ。
私の視線に気づいたが、その頭を摺り寄せてくる。頬に鼻水がついた。コイツ。
それを拭うように私も頬をの頭に擦り付ける。ピンと立った耳が顎に当たってくすぐったい。

は、私がイリアではないことを知っているんだろうか。
イリアが創ったのなら、守るべきはイリアだ。私じゃあない。
勘違いで私を守っているんじゃないだろうか。私をイリアだと思い込み、その身を投げ打ってまで。
だとしたら止めてやりたい。私は別人なのだと知らせてやりたい。
取り返しのつかなくなる前に。
……後に私がイリアではないと知って激昂されて噛み砕かれて飲みこまれて後悔する前に。
想像しただけでぶるっとくる。
早めに告白すればきっと傷は浅くて済むはずだ。そう信じたい。
温厚なを信じよう。強力なパンチなど思い出さない。酷烈な体当たりなど私は見ていない。
意を決して。

「――イリア」

ぴく、と耳が大きく動いて顔を上げる。
目が爛として輝き、大袈裟に反応した。
やっぱりイリアって単語に覚えがあるんだろう。

、私はイリアじゃあない」

首を僅かに傾げる。
犬が首を傾げるのは、理解している言葉を聞いた時か、必死に理解しようとしている時か。

「お前を生み出したイリアじゃあ、ない」

だから守る必要はないんだと。
ああここで噛みつかれたらどうしよう。この体制だと頭からがぶりかな。
そんなことを考えながら、でも目は逸らさずに。ただじっと。

数度が瞬きを繰り返して、大きく鼻を鳴らした。
なんだそんなことか。
そう、言っている気がした。
が頭を摺り寄せて、私の体を押し倒す。
ぼすんと長い毛に包まれた腹へダイブ。
その上から尻尾が乗せられて、べろりと頬を舐められる。
そのまま、また頭を倒して、ゆっくり呼吸しながら寝始めた。
あやすように尻尾が軽く体を叩き、頭の下からはトクトクと心臓の音が聞こえる。
横向きに寝がえりを打って膝を抱えて、丸くなった身を包むように尻尾が追いかけてきて。
いつもと何ら変わらないその行動に、いつも以上に優しい仕草に。
全くいらない心配だったなと思った。

こんなに長くつらつら考えていたのに解明したことは何ひとつなく。
でも、最後にの気持ちが少しでも理解できた。それが何よりの収穫だ。
それで良しとしよう。
いつもと何も変わることなく、午後の緩やかな空間にまどろむ。



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