ある日の、突然の襲撃。
宝石鑑定士なんて職についていれば、堅気相手だろうといつの間にか裏社会へ片足を突っ込んでいる。
そうでなくとも身に覚えのない敵愾心を向けられることはざら。
ただでさえ人の欲が惜しみなく溢れる宝石業界。
成功への妬み、結果の不満からくる憎しみ、それらが蓄積した勝手な怨恨。
嫉視や仇視を向けられるのは当然のことだった。

そうして起こった惨劇。
顧客や発掘者との取引トラブルとも、商売敵の恨みとも、それ以外の対人関係とも、
未解明な事件は犯人やその動機について諸説、あることないこと連日新聞の上を踊った。
惨殺された夫婦。焼き尽くされた家。そして、行方が分からなくなった、子供。
壮絶で、且つ子供が消えたミステリアスな事件は当時メディアを賑わせた。
捜査をしても出てこない、犯人へ繋がる証拠。
捜索をしても見つからない、子供の足取り。

進展もないまま月日が流れ、やがては他のスクープへと埋もれていった。
それから10年。今更になって現れた、当時の姿のままの、子供。つまり――私だ。




ミスマッチ37




アゼルドは念能力者だった。
しかし強かった訳でも、珍しい能力を有していた訳でも、ハンターだった訳でもない。
発も使えていなかったのでは、というのはハンター専用サイトに挙げられた噂。
実際のところどうだったのかは知らない。知りようがない。
当の本人は死んでしまっているし、私はそもそも知らない。
あと何か情報を掴んでいるとしたら三次試験官くらいだ。

だがそれよりもハンターの興味を引いたのは、その家の子供。
イリアと、その兄。
父親が念能力者だった為なのか、詳しい原因は分からないが、幼い頃より二人は念を使用していたという。
水を飲むほど当然に、呼吸をするよりも自然に。それが親の教育だったのかは不明。
しかし幼少の時分より自然な纏がなされていたとすれば、それはとても凄い可能性を秘めていたに違いないのだろう。
アゼルド家襲撃には、そのような念の存在が関係しているのだと吹聴したのは誰であったのか。
それは有力な仮説というよりも、都市伝説を好む者の間で伝播した。
しかしそれは一般人が知らない念の存在を含めた噂。
メディアにこそ取り上げられなかったが、当時ハンター専用サイトも賑わせていたようだ。
子供が行方不明になったのはその類稀なる能力を秘めていたからだ、とか。
実は子供が犯人で今も姿を眩ませているのだ、とか。
根も葉もない噂。とても有力とは言えない情報。不謹慎な想像。
しかしそれらもやがては風化して。
子供は行方不明のまま――。



私は、この世界に来た瞬間より無意識に纏をまとっていた。
そして見知らぬ念獣。身に覚えのない忠誠心。
これらは何を意味するのか。

「最初調べた時、"イリア"の情報はすぐに出てこなかったんだよ」

兄の方はすぐ出てきたのに。
どうやらイリアは身体が弱かったそうだ。
四六時中ベッドの上で過ごし、薬を飲みながら生き永らえて。
と言うのも、どうやらもっと小さな時に念が何かの拍子に暴走し、その後遺症なのだと。
これは噂でも何でもない真実。
当時イリアの担当医であった医師のカルテ情報が流出した為だ。
病名はない。前例がなく、名前すら存在しない症状なのだと。
厳密に言ってしまえば、それが病気なのかどうかも怪しいところらしい。
とにかくその所為で外に出ることはおろか、ベッドから出ることも間々ならなかったと。

ふと。
ふと、思い出されるのは、2度見た夢。
天蓋付きベッドに横たわっている視界。端に座る口髭を生やした男性。
そっと写真に写る男性の目元を隠してみると、奇しくもそれは酷似していた。


「しかしあの家の子供が念を使えるって噂は本当だったんだね」

相も変わらずにこやかに。
今ポケットに突っ込まれているのことを指しているのだろう。
事件が起きたのはクロロと会う直前……つまり私が目を覚ます直前らしい。
その時には既に完成度の高い念獣、を連れていた。
ならば更に幼い頃より念が使えていたのだと解釈するのも無理はない。
……私がイリアであったなら。

いまいち踏み切れない、飲み込めない話を聞きながら、しかし頭は徐々に理解していった。
決定的だったのは、シャルナークの言葉。

「にしてもさ、って本当にの念獣なの? 最初はすごい違和感あったんだけど」



違和感。


――ああ、そうか。


完全に理解をしたのは、私だけ。

おかしな夢を見たのも。
念が使えたのも。
文字が読めたのも。
すべてがすべて。

なんて、簡単なことだったんだろう。
考えてみれば当然のことだった。
どうして気付かなかった。
なぜそんなことも思いつかなかったんだろう。

いや、きっと。
気付かないようにしていたのは自分自身。
どこかで、無意識にどこかで否定していたんだ。
事実から逃げていた。見ないように目をそむけていた。
そうすることで自分のことを"私"と呼び続けた。
それが不自然ではないのだと言い聞かせてきた。


でも、もう。
理解した。理解した。理解してしまった。
頭は整理整頓を始める。
ストン、と事実が飲みこまれた。
それらは浸透した。


"この身体"はイリアのものなのだと。


身に覚えのない記憶も。
身に覚えのない念獣も。
すべてがすべて。
イリアのもの。


この身ひとつで飛ばされ、ここまで生きてきたと思っていた。
視界に自分の靴が映る。
なんだ、酷く滑稽だな。
この靴も服も鞄も念獣もナイフも目も髪も鼻も口も顔も体もすべてがすべて。

この世界に私のものなど、何ひとつとして存在しなかった。











……でもやっぱり、ただそれだけ。

ただそれだけだ。
この身体がイリアのものだからなんだというのだ。
トリップではなく憑依だったからなんだというのだ。

どこにいらっしゃいやがる神の悪戯であろうと、今、この身体を使っているのは私だ。
イリアには、まあ、もちろん悪い気はするが、私の意志でこうなったのではない。
不可抗力もいいところである。抵抗なんて無に等しい。というか無だ。
もしかしたらイリアが私を呼んだのかもしれないじゃないか。
経緯とか、そんなものはどうでもいい。
重要なのは今現在"こう"なっていることにおける私の身の振り方だ。


視界に自分の靴が映る。
履きやすくてデザインも気に入っていてちょっと汚れていて。
その裏にちらちらとカレンの一家が思い起こされる。
充分だ。それだけで充分。
イリアの記憶を夢で見ようと、起きているときに思い出すのは私の記憶。
元の世界にいた時の記憶。
家族とか友達とか近所のおばさんだとか。
それで充分だ。
もし。もしも、私が元の世界に帰れたとして。
この身体を使うのがイリアに戻ったとして。
私が積み重ねた記憶をイリアが夢で見るかもしれない。
それはそれで面白い。
カレンの口にホットケーキを突っ込む映像を夢で見るかもしれない。
そう考えるのもまた一興。

この身体もも私のものではない。
それはそれでいいじゃないか。
だからといってこの先何かが変わるわけでもない。
せいぜい私は私で好きにやらせてもらうさ。
唯一気をつけるとすれば、四肢が欠けないようにとか、傷跡を残さないようにとか。
立つ鳥跡を濁さず。
そんな諺を表すように、私がいた痕跡など一切この身体に残さず、消える時は消えてやろうじゃないか。


ずっと手に持っていた写真をシャルナークへと突き返す。
目を合わせて、小さく首を横に振った。


この身体はイリアのもの。それは認めよう。
だけど意識は私のもの。それだけは譲らない。





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