灰色しかない廃墟群を、冬の朝霜が覆う。
完全に姿を現しながらもまだ低い位置で控えめに主張している太陽が、それらを白くきらきらと照らし。
冬の朝。
暖かい布団の中で二度寝をすることが最大の幸せであり最大の贅沢だと思っていた。
羽毛布団を被ってぬっくりしながら深い呼吸を繰り返して欲求のままに目を閉じて。

だがこんな朝も悪くない。
手足はかじかむほど寒いし、吐き出す息はいつまでも白く空中を漂っている。
鼻は感覚がなくなり、きっとみっともなく鼻水が垂れていることだろう。
それでもこんな綺麗な朝を見られるなら、それもまた一興。
清々しい気持ちになれる。


…まあそれらは眠気が意識を呑みこもうと猛威を奮っていない時に限るのだが。
気付けば丸一日眠らず眉なし頑固を説得しようと頭を働かせたり激しい戦闘を繰り広げたり
酒豪の集まりに付き合ってジュースをひたすら口に含んで飲みこむ作業に徹したり
複数の隙ない視線に晒されながらもを直してもらおうと勇気を振り絞ったりしていた訳で。
どんなに空が青白く晴れ渡っていてどんなにスズメが平和を象徴するように可愛らしく鳴いていたとしても、
今の私にはすべてが喧嘩を売っているようにしか思えないのである。



ミスマッチ35




まだ太陽が半分しか地平線から見えていない内に、フェイタンはアジトを出て行った。
仕事は終わったのだからとどこかへ、自分の塒にでも帰ったのかも知れない。
もしくは拷問の獲物でも探しに行ったのかもしれない。
どちらであっても私に迷惑がかからないのであればそれで良い。言うことなしだ。
知らず強張らせていた肩の力を、吐き出した息とともに、抜いた。
いつまでも殺気や牽制するような鋭い視線を寄こしていたフェイタンがいなくなって緊張が解ける。
の解れも直り、フィンクスの交渉も成功とは言えないが失敗という結果にもならず、
カレンの祖父に借りていたナイフも手元に戻ってきた。
なぜかナイフが一本増えたが、それは置いておくとして。
これで目下気を張っていた事柄がすべて一段落ついたのである。
眠気が一気に襲ってくるのは生命体として当たり前のことだった。
瞼は厚ぼったく重く。瞬きは遅い。
フィンクスは空いた酒瓶に埋もれるようにして寝ている。もちろん鼾を最大に鳴らしながら。
クロロはしつこくもまだ酒をちびちび仰いでいる。一人で。
さしたる危険はないこの状況。
幻影旅団のアジトでメンバーの2人が両隣りにいる状況が危険はないと断言できるかは
甚だ疑問ではあるが、危害を加えようとしている訳ではないことは既知の事実だ。
フィンクスとは軽口も交わせるようになったし、クロロに至ってはどういうわけだか知らないが
さり気なく保護をしてくる。フェイタンの視線とか殺気とかオーラから。
パクノダやマチがこの場にいてもきっと眠くなっただろうな。
原作では人間味溢れる2人ばかりを目撃し、残忍な殺しはあまり描写されていなかった為か、
あまり警戒心が働かない。

パクノダ。
さっきはつい手を振って見送ってしまったが、そういえばオーラを24時間絡ませなければいけなかった。
が直ったことにほっとして一時忘失していた。
24時間と言えば短く聞こえるだろうが、これが中々に苦労だ。カレンで体験してみて分かった。
例えば、 世の社会人のように朝9:00〜夕方18:00までやったとしよう(内1時間は休憩だ)。
それでもまだ8時間。たったの8時間だ。それを3回繰り返す。
更に今回はパクノダとウボォーギンとクロロの3人。計9回。
死んでしまう。疲労とストレスで死んでしまう。
いくら絡ませるだけでオーラを消費しないと言っても、それはつまり疲れない、ということではない。
集中力は必要だし、何よりずっと座っているから飽きる。
精神面に多大な負荷と圧力がかかり、これはけっこうキツい。
なので今からでも少しずつ少しずつオーラを絡めていって負担を分散させようとしたのだが。

どうして手なんか振って見送ってしまったんだろう。

そう後悔の念が渦巻く。
だがもし制約を憶えていたとして、私はパクノダを止めたのかと問えば、答えはNOだ。
いくらフィンクスに口添えしてもらったとしても突然オーラで覆われたら反射的に手が出るだろう。
私なんぞ簡単に殺せるくらいの手が。
まだまだ関係が浅い。信頼関係なんて骨組も出来ていないのである。
そんな状態では引き止めたとしても私の目的は達成できない。それどころか殺されるフラグだって立つのだ。
またそれはクロロにも言えることだった。
本当にどういう訳で私をここに置いてフェイタンからさり気なく庇ってくれたりコートを貸してくれたりしているのか
判然としないが、それは即ち私を護っているということに必ずしも繋がるものではない。
クロロのことだ。ただ単に観察しているだけなのかもしれない。
10年前と変わらぬ姿で、何を考えているか分からない無表情で、咽喉を潰されたように無口な子供の、見物。
それの何が面白いのか。それは本人に訊いてみなければ闇に葬られた真相のように謎である。
唯の観察であるならば。唯の見学であるならば。動物園の動物を観賞しているような感覚だろう。
近くにあれば興味本位で生態を観察するが、身の危険を覚えれば多少手荒なことは厭わない。
最悪、殺しても。
観客に怪我を負わせた動物が如く。

いやでもそれは流石にネガティブすぎるだろうかとは思ったが、しかしあながち間違ってもいない、とも思う。
なんたって相手は殺すことに慣れた不穏集団。
警戒することに慣れた犯罪集団。
気配もなく後ろに立てば肘鉄が飛んでくるだろうし、急に上から降ってこようものなら首を落とされる。
それが例え自分の意志とは無関係であっても。優れた反射神経が故に。
なんて低空思考に任せれば更に悪い方向へと進んでいくが、それはどうせ憶測でしかないのだと持ち直す。
4年後までに念の制約を果たせるのか。もしかしたら果たせないかも知れない。だがもしかしたら果たせるかも知れない。
つまり今からどう考えていようが結果は先にならないと分からないということだ。
悪い方向へ転がるかもしれないし、良い方向へ進むかもしれない。
だったらポジティブに行こう、ポジティブに。オプティミスト万歳。


そろそろ本気で瞼が重い、と思っていたら、突然クロロに抱え上げられた。
吃驚はするがすぐに状況を理解する。慣れとは恐ろしい。

「寝るなら部屋で寝ろ」

さも当然のように言われたその言葉。
こんな廃墟にまともな部屋なんてあるのかという疑問に満ちた視線は黙殺された。
というかフィンクスは良いのか。まだあそこで腹を晒しながら寝ているぞ。
遠くなっていく鼾を聞きながら、まあいいかフィンクスだしと結論付けて、クロロが突き進む廃墟の廊下へと視線を移した。

辿りついたのは階段をひとつ上がった階の手前の部屋。
扉を軋ませながら開けたその向こう。
想像通りの殺風景。そして荒れ様。
壁はくすみヒビが蔓のように這いずり所々崩れている。
日があまり当たらない為か部屋の中は暗く淀んで、生活感のなさが暗澹とした空気を装飾している。
だが幸いなことに窓は壊れていない。
隙間風はあるかもしれないが、少なくとも必要以上に風通しの良い部屋ではないようだ。
それに比較的綺麗なベッドもある。以前誰かが使っていたのかどうかは分からないが、
コンクリートの上で寝ることを決心していた私としてはとても有難いことだった。

「ここを使え。何かあれば言え」

相変わらずの命令口調だったが、そこに無理やり従わせようとする強制力は感じられない。
どちらかと言えば穏やかな、"団長"でない時のような口調。
本当に私をどうしたいのか更に解らなくさせる言い方は頭を軽い混乱へと導いたが、嫌ではなかった。

共同トイレの場所、水の通っている水道、そして風呂はないことを教えられる。
マジか。
森の中で数日間過ごしたのだから、多少風呂に入らずとも我慢はできるが、それは人気のいない自然の中限定だ。
私にだって羞恥はある。いくら見た目が子供であろうと臭う子供なんて嫌だ。
だが文句も言っていられない。そもそも文句を言うのは心の内だけなので何の解決策にもならない。
悲しきかな、なんて思いながらベッドへと歩み寄り、最後に出てけと意を込めて手を振ろうかと振り返った。
そのとき。
クロロの右手にあったのは、『盗賊の極意(スキルハンター)』。
低い位置からはその表紙が丸見えで。
不吉な手形が目に入った。

どういうつもりだ

今更、なんだと言うのだ。この期に及んで危害を加えるつもりなのか。
それとも、の念でも奪うつもりなのか。奪って、自分の念のように使うというのか。
どちらにしろ。
…どちらにしろ、それは友好的な証明には成り得なかった。
身体を完全にクロロへと向けて、手を少し後ろへ下げてナイフの柄をなぞる。
掴んで、引き抜いて、突き出す。掴んで、引き抜いて、突き出す。
数回、脳内で繰り返した。だが勝率なんて考えるだけ馬鹿馬鹿しい。しかし今更だ。
先ほどまでの笑みを顔に張り付けたまま私を見下ろすクロロ。
先ほどまでの無表情を保ちながらクロロを見上げる私。
沈黙が重く部屋を支配する。その上に張り詰める細い糸。ガラスのように薄い壁。
それらのバランスが崩れた時、沈黙は破られ細い糸は切れ薄い壁は砕け散る。
殺気もなにも出していないのに気おされているようなこの空気。
手元が震えてきそうだったが、ぐ、と顎を引いて唇を噛みしめて耐えた。
黒板を爪で引っかく音が聞こえてきそうなほど鋭利な針が漂っていたが、
次の瞬間、それは突然消えた。

「…冗談だよ」

パタン。
分厚い本が勢いよく閉じられる。
それと同時に消え去った。
ついで最後に深い笑みを湛えたクロロも部屋を去る。
一人残された私は、柄を握ったまま唖然として立ちつくし、本気で何なんだあいつはと久方ぶりの殺意を覚えた。







(シャルナーク視点)




三次試験。毒虫毒草毒茸、毒と付くものならなんでもござれ、な森での薬草探し。
四次試験。勝った者勝ち降参した者勝ち(生死の意味で)何でもありなトーナメント戦。
を経て、俺はついにハンター証を手に入れた。


手に入れてまずやることと言えば、と。
俺はパソコンを起動させ、ハンター御用達情報検索サイトへと飛ぶ。
検索ワードは

「――""」

ハンター御用達情報検索サイト。
一般サイトの情報からライセンスがないと表示すらされないサイト、
金を払えばプライバシー無視の情報まで すべてを表示させる、所謂ハンター専用の情報サイト。
情報量は言うまでもなく膨大で、それは国際人民データ管理を徹底・完璧にしている国でさえ
範疇外へと追いやる勢いだ。 ちょっと弄れば国家資産にもアクセス可能。ちょろい。
待ちに待ったこの瞬間。知識欲の強い自分にとってこれは、新しい玩具を手に入れてはしゃぐ子供と同じ。
柄にもなくうきうきとページを捲り、無防備に晒された情報を読み飛ばしていく。
まるで自分の浮かれ具合を現すように軽快なキータッチ音とクリック音が響く。
鼻歌でも歌いそうな気分はしかし、20分後へ向けて一気に急降下していくこととなった。


「…は?」

空白空白空白。もしくは欲しい情報とは掠りもしないページばかり。
ハンター御用達情報検索サイト。情報量は膨大で、国 ですら全貌を把握できていない、ハンター専用サイト。
なのに。

「なんで、何の情報も出てこないんだよ…!」

""
10年前と姿かたちの変わらない、無口で無表情な子供。
そのくせ首傾げたり親指立てたり 、稀に感情を見せる、子供。
クロロも俺も興味を示し、ハンター証を取ったら真っ先に調べてやろうと思っていたのに。
ヒットしない名前。ヒットしまくる容姿。ヒットしても誰のか解らない人間の情報。
なんで。

まさか、偽名?
…有り得る、が、有り得ない。
偽名を使っている奴はどうしても呼んだ瞬間の反応が鈍い時がある。
今まで何度かを呼んだことはあるが、そういった動作はまったく見られなかった。
もちろん自分の名前だと信じきることもできる。
長年その名前を使っていれば、自然と身に染みてくる ものだ。
しかしそれほど長い間同じ偽名を使っていれば、それが偽名であったとしても情報として挙げられるはず。
ましてやはあの成りで念獣を従えている。
念能力者にとってその存在はかなりの異質。
嫌でも目を引く存在なのだ。視界に入れたが最後、誰だって少なからず瞠目する。

それなのに、どうして。
先ほどから同じ疑念が頭をぐるぐると回っていた。
これは自分にとってかなり珍しいこと 。10年前の屈辱が蘇る。
何かないか。名前以外の情報が。もっと核心に迫られそうな、何か。

あ、そうだ、と。手をぽんと打つ。
が不正受験を見破られて失格になった際、なぜだか 三次試験の終了を待たずに
別の飛行船で街まで運ばれていった。
体調が悪そうだったからか、ともその時は思ったが、三次試験で瀕死の奴が出ようがお構いなしに試験を続け、
終了後にまとめて失格者を運んでいたところ をみるとのそれは特別対応だったことが窺える。
確か手配したのは三次試験官だとちらりと耳にした。
あの試験官、ね。
妙にと雰囲気が似ていて。飛行船の中での自己紹介を思い出す。
ニ、と口角を上げて、再びキータッチ音を響かせた。


そして、ついに、一枚の写真へと、辿りつく。


「…見ーつけた、」


""




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