私の手に戻されたそれをくるくると回しながら観察し、解れも縫った痕跡も残すことなく綺麗に完璧に
元通りとなったに感嘆する。

「それでいいかい?」

準備した時と同じようにちゃっちゃか裁縫道具をしまったマチに、当初よりは柔らかい口調で問いかけられる。
文句のつけようもない。ひとつ頷いた。
すぐ近くに落ちていた石を拾い上げ、廃材に"ありがとう"と一言掘る。
それを見たマチが一瞬止まり、「どういたしまして」と小さな声で言った。
出来栄えに満足してフィンクスに見せてやろうと振り返ってみると、座ったままのクロロが一言。

「その人形、の媒体か?」

…この人形がの媒体だというのはきっとここにいる旅団連中であれば誰もが気付く事実。
私にぴったりとくっついていた黒い犬を全員が目撃している。
仕事から戻ってくると犬は消え私の手には存在しなかったはずの黒い犬の人形。
簡単にイコールで結ばれることだろう。だからクロロがそれを察していても何も驚かない。当然のことだ。
だが。黒い犬の名前がだということを、クロロは知らない。はず。
だと紹介した覚えはない。10年前にも、再会した病院でも。
ふとクロロの横に座っていたフィンクスに目を移すと、さっと視線を逸らされた。
…あのお喋りめ。内心で舌打ちした。



ミスマッチ34



今度こそ本当に廃墟を出ていったマチとパクノダに手を振って見送り、フィンクスに一応が直ったことを報告し、
そしてまたクロロとフィンクスの間に座った。フェイタンは壁。コンクリート。マネキン。銅像。ただの飾り。
ずらずらと無機質の固有名詞を並びたて、それだと思い込む作業に没頭する。
石膏だ彫像だと、いい感じに自己暗示が効いてきたところでもう一度注意深くを観察。
本当に見事なものだ、なんて褒め言葉にもならない呟きを心の中でもらす。
だがそれは率直な感想でもあった。
量産品のような仕上がり。手作業とは思えない、機械のような正確さ。
原作でマチはヒソカの切断された腕を神経から骨からすべて完璧に繋げてみせたシーンがあった。
天空闘技場での話。
それを一瞬でこなすのだから、人形と化したの解れを直すなんて作業は朝飯前、寝ていてもできる。
泥酔していても寸分狂わずこなすに違いない。
A級犯罪集団の一員として肩を並べられる所以か。

ぬ、と視界の隅から伸びた手にが取り上げられる。
早い、といういより迷いがなく突然のことに呆気にとられた。
追いかければ私と同じようにしげしげとを観察するクロロの姿。
顎に手をやり犬の媒体か、と独り言を呟く。

「ところで、なんでは元に戻ったんだ?」

を私の手元に戻しながらとても今更な問いを口にする。
なんてことない、ただの成り行きだ。そして私の落ち度が生み出した結果である。
だがそこらの細かいことを抜いて、フィンクスの容赦ない攻撃のせいだと言っておこう。
クロロを見ながら後ろを指さす。
げ、と小さな声が聞こえた。

「なんだ、やっぱりロリコンだったのかフィンクス」
「違ぇっつってんだろ! つかなんでそっからロリコンになんだ!」
「見損なたよフィンクス」
「てめぇ!」

フェイタンって意外とノリが良いのだろうか。
それとも少し酔っているんだろうか。
フェイタンが酔う? いやいやまったく想像ができない。
残念なことにそちらは視界に入れない、意識しないと決めているので顔色を窺うことは叶わなかった。
が、声はしっかりしているのだから泥酔しているわけではないのだろう。
酔っているとしてもちょっとテンション上がってるとかそんなものだ。

「どうせを襲おうとしてに邪魔されたんだろう」
「それで逆恨みか。見損なたよフィンクス」
「しつけぇえ!」

まったく仲の良いことだ。

「コイツが逃げようとしたからだっつの!」
「…逃げようと?」

あ、馬鹿。余計なことを。
矛先がこちらに向いたじゃないか。

「逃げたかったのか、?」

それはもう。
大きく首を縦に振りたかったが、そこまで考えなしではない。
どうせ逃がしてはくれないだろうし、拘束を厳しくされても嫌だ。
しかしここで首を横に振っても嘘っぽい。
結局なんの反応もせずただその顔を見上げた。
実際そのどちらも正解ではないのだし。
逃げたいのは山々だ。だがあの時は逃げるために外へ出たわけではない。ナイフの為だ。
ナイフ。そうだ、ナイフ。
があんな状態になって、すっかり忘れていた。
外に出た時ちらりと見えた黒塗り車のボンネット。絶対とは言えないがきっとクロロの車だ。
あそこに私の鞄とナイフがあるはず。
クロロなら大丈夫だろうか。

す、と立ち上がってクロロの服の裾を引っ張った。
外を指さす。ついてこい。そういうことだ。
ぐいぐいとさらに引っ張り促す。別に一人でも良いのだが、止められること必須。
保護者同伴なら文句ないだろう。逃げだす訳ではないのだから、負い目もない。
クロロは私の弱い力に抵抗することなく立ち上がり、付いてくる。
ふと見えた口元が片方だけ吊り上っているのを見たが、気にしない。
どうせ面白そうとか何とか思っているんだろう。
だが残念だ。特に面白いことなど何もない。


壊れた扉、というかぽっかり空いた外に繋がる穴へ身を潜らせてもやはり何も言われない。

もし私が切り札を持っていたとして。それがクロロであっても死へ追いやることのできるものだとして。
私がここでそれを使おうとした時、どうするのだろうか。
こんなに無抵抗で、どうする気なのだろうか。観察だけしてどうする気もないのだろうか。
いや、"どうする"? 何を考えているんだろう私は。愚問だった。
殺すんだろう。私を。それはそうだ。でなければ殺されるのだから。

…本当に、何を考えているのだろう私は。
生産性のない考えだった。それはいつものことだけど。

クロロのコートとフィンクスのジャージをずるずる引き摺りながら歩き、車の横まで着いた。
裾は言うまでもなく埃で汚れてしまっている。
コートは白っぽくなっていたし、ジャージは黒っぽくなっていた。どちらも灰色に近い。
少し罪悪感を感じたが、私に被せた時点でこうなることは予想済みだろう。
その証拠に、どちらも何も言わなかった。洗濯して返すことはできないが、せめて叩いてから返そう。

助手席を指さす。ここに私の荷物があるはずだ。
中を覗きこんだクロロが、ああ、と納得のいったように呟いた。
やっぱりここにあった。カレンの祖父から借りたナイフ。
鍵を差し込み、回す。車のロックが解除された低い音が聞こえた。
そういえば、フィンクスを振り切ってここに来れていた場合、私はどうやってドアを開けようとしていたのだろうか。
ふとそんな疑問がちらついたが、答えは考えずとも悲惨で残念な結果であることはすぐに分かった。
仮想の失敗談は私の気分を低迷させたが、開いたドアの向こうに荷物が見えた途端、霧散した。



廃墟の中、手元に戻ってきたナイフをと同じようにくるくる回しながら観察する。
私にしては大振りで、革製の鞘に入れられたナイフ。ずしりと重いが、その重さが心地よい。
満足してベルトに挟もうとすると、ぬ、と視界の隅から伸びた手にナイフが取り上げられる。あれデジャブ。
鞘からナイフを抜き、その刃の部分をじっくりと眺めている。
いつの間にか白んできていた空の弱い光を反射して、薄らと刀身が白く見えた。

「あまり使われていないな」

鞘に戻したナイフを私の手に押し込みながらそう一言感想を漏らす。
その使われていない、とは、どういう目的でのことを言っているのだろう。
刃こぼれしていないから通常利用もされていないということだろうか。
それとも殺人者のみが分かるような鈍い光が放たれていないから、
そういう目的で使われていないということだろうか。
後者の意味合いで言われているのであれば、素直に喜ぶところだろう。
まさかカレンの祖父が持っていたナイフに血の臭いが染み付いていると言われるのは勘弁である。
前者の意味で言われたのであっても、刃こぼれしていないのは良いことだ。
どちらにしても私としては有難い。
戻ってきたナイフを、私も鞘から抜いてじっくりと眺めてみる。
思えばこうやって眺めたのは初めてだ。
角度を変えれば反射される光。
きらりと光る刀身は職人の手に掛かったのだろうと容易に想像がつくほど綺麗だ。
綺麗だが、確かにその綺麗さが実用的な成りを潜めて、まるで飾り物のような雰囲気である。
クロロの言うとおり、あまり使われていないのかもしれない。
ナイフに詳しいわけではないのでどこまで自分の想像が合っているかは分からないけれども。


「そうだ、ナイフと言えば……

これが欲しかったんだよこの野郎、と隣にいるフィンクスへ見せつけるようにナイフを掲げていた私の頭を
ぽんと軽くたたいてクロロが呼ぶ。
何だろうかと顔をそちらへ向けたけれど、クロロは構わず一人でどこかへ歩いて行ってしまった。
廃墟の角で止まり、足元から何かを拾ってまたこちらへと戻ってくる。
ナイフを鞘に仕舞いながらそれを見ていると、こちらへと何かが放られた。
綺麗な放物線を描きながら飛んできたそれを両手で受け止める。
これもずしりとしている――ナイフ?

「遅くなったがな、返す」

いや、返すと言われても。
クロロにナイフなんて貸していた憶えはまったく…。
…いや待て。あれか?
時間でいうと10年以上前、私にとっては1年ほど前の、クロロと初めて会った時の。
まだこの世界にきてから数日しか経っていない頃、流星街で黒スーツどもに絡まれていたクロロを助けた。
助けたといってもコイツがわざと手を出していなかっただけだけれども。
その時、黒スーツが持っていたナイフを拝借してそのままクロロに渡した記憶が、ある。
投げ渡されたナイフを見てみると、なんとなく、その時のナイフのようにも見える。
私の手にすっぽり収まったそれは今まで私が持っていたナイフよりも小さい。
世間一般では小型ナイフと呼ばれる部類だろうと思う。
その割には大きめの鞘に入れられていた刀身を覗かせてみると、なんとなく、嫌な感じがした。

「ベンニー=ドロンが初期に創った、ベンズナイフだ」

…聞かなければ良かった。というか聞かせないでくれれば良かったのに。

「ドロップポイントをモデルとされたナイフだが、アレンジが加えられて今の形状になった。
 ドロップポイント自体は刺すことに優れていないが、このナイフはポイントが上がっているからな。
 刺そうと思えばでも刺せるさ」

口を半開きにして拝聴してしまいそうだ。そんな間抜けなことはしないけど。
刺すときは対象と垂直に力を込めることだ、と要らないアドバイスをくれる。
クロロの言っていることの半分も理解できていないが、歪な形のベンズナイフ、ということだけは分かった。
グリップは握りやすいように凹凸があり、刀身の中央は大きく湾曲している。
先端は上がり、鋭い。クロロの言ったポイントとはここの部分だろうか。

「ヒルトがないからな。血が手に付いているときは滑りやすく力が入りにくい」

気をつけろと一言。
…ヒルト。どこだそれ。
目で訴えてみると、指や手をガードする部分だと、刀で言えば鍔の部分を指さしながら教えてくれた。
いや気をつけろと言われても。ぜひともそんな事態に陥らないようにしたい。
その後も一通りのアドバイスをくれたが、右から左。というか専門用語が多くて理解できない。
どんどん明るくなっていく外が、廃墟ばかりで何もない外が、どうしてかとても恋しく思えた。


かくして、私は2本のナイフを手に入れたのである。
カレンの祖父から借りた大振りなナイフ(クロロはシースナイフと言っていた)。
邪気と怪しい光を放つ歪で小振りなナイフ。

どちらもベルトに挟まれ、武装度だけはアップした。



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