私は何を待っていた?

目的は、そう、マチにの足を縫ってもらうことだ。
いつ取れるか分からないほど不安定に揺れている人形の足を、元通りに戻してもらうこと。
しかし簡単にいくはずないということで、フィンクスに口添えをしてもらう予定だった。
そうだ、フィンクスだ。
旅団が廃墟に戻ってきてから山分けが始まり、続けて打ち上げが始まった。
フィンクスはテンション高く酒を仰いでいるし、マチも戻ってきたばかりで気分が高揚しているだろうと。
だから落ち着くのを、そして周りの目が虚ろになるのを待った上で安全かつ慎重にマチへ
近づこうと思っていたのだ。

だがよくよく考えればすぐに分かることだった。
一般論が通用しない連中だなんて最初から知っていたはずなのに。
まったく考えの及ばなかった自分が極めて愚かしい。
自己嫌悪の渦に巻き込まれながら、未だ素面と変化なく飲み明かす面々を、虚ろな目で見ていた。
クロロの横で。



ミスマッチ33



それはちょうどオレンジジュースを飲み干した時だ。
まるで見計らったかのようにまたクロロが近づいてきて、渡されたのはレモンスカッシュ。
懐かしき飲み物。黒地に黄色の水玉が描かれたそれは、元いた世界となんら変わらない物だった。
でも既に一本飲んだ後だ。酒でもないのだからそんなにがばがば飲めるわけじゃない。
もう充分だと受け取りを拒否したのだが、それを無理やり手に押し込められた。
突き返すこともできず、茫然とそれに視線を落としていたところに、突然襲った浮遊感。
包まっていたフィンクスのジャージとクロロのコートごと持ち上げられた身体。
目の前に見えるのは大きなピアス。
痛そうだ痛そうだと前から思っていたのだが、近くで見ると更に痛そうだ。
よくそんなものが付けていられるなと冷静に考えていられるのは、きっと3度目のことで慣れていたからだと思う。
クロロに抱えられたまま、他のメンバーが座っている辺りまで運ばれて。
輪に入れと、そういうことなのか。
だがそれはいくらか無茶だ。だって見てみろそこに座っているフェイタンの顔を。
まるで、とかそんな表現をしなくても私には血に飢えたハイエナに見える。
凶暴で凶悪。暴力の権化だ。
そんなものが存在する輪になんかぜひとも入れないでいただきたい。本当にやめてくれ。


まあ私の意見が通じないのは初めから分かっていたけれど。
せめてもの抵抗にと、フェイタンとの間にクロロを置いて。
一切そちらを見ないように努める。ちらりとでも見てやるものか。そちらは壁。ただのコンクリート。
私の視線を釘付けにしているのは先ほど渡されたレモンスカッシュなのだ。
興味はもうそれにしか向いていないのだと自己暗示をかけ続け、穴が空くほど見つめるその飲み口。
どれほどそうしていたのか分からないが、いつまで経っても開けようとしない私を見かねてか
横から伸びてきたフィンクスの腕にレモンスカッシュは攫われた。あ、私の興味の対象が。
目で追っていくと同時にさっき聞いた音よりも少し勢いの良い空気が吹き出す音。

「おら」

ずずいと目前まで迫ったレモンスカッシュを素直に受け取り、なんだ優しい所もあるじゃないかと見直した。
今巻いているジャージはの件の詫びだろうと思っているからそこは優しい所とカウントしない。
酸っぱいような甘いような匂いに誘われて飲み口を近づけてみるとシュワシュワと音が聞こえた。
口をつける。懐かしい味が、柔い針で刺されたような刺激とともに広がった。

「なんだ、お前らいつの間に仲良くなったんだ」

それをじっと見ていたらしいクロロが意外そうに言う。
まあ確かに、普通に考えれば短気で単純な強化系フィンクスが私みたいな子供を気にかけるとは思えないだろう。
何を考えているか分からない無愛想な子供など、構うに値しない存在だと判断を下すはずである。
ところがクロロ達が帰ってきてみればその上着を貸しており。なぜだか隣に座っていることを許し。
更には缶の口を開けてやるなんて世話まで焼いている始末。

「…そうか、お前ロリコ」
「違ぇ!!」
「見損なたよフィンクス」
「違ぇ!!」

ニヤリと口角を上げた、心底面白そうな声と、眉をしかめた侮蔑を含んだ声にフィンクスの激昂が被さった。
仲の良いことだ。




そのまま時間が過ぎ。
まあ考えてみれば分かっていたことなんだ、とここで冒頭部分に戻るわけだ。
私たちの足元、と言わず360度の周囲には空き缶と空きビンが散乱している。
言わずもがな。有り得ないペースで飲み続けた結果の、当たり前の惨状である。
それでもこいつらは顔も赤くせずずっと素面で飲み続けているのだ。
だいぶ落ち着いてきたというものの、それでもその水分は一体身体のどこに消えたのだと問いたくなるような量。
飲んだ傍から骸骨のようにどこかへ漏れ出ているんじゃないだろうかと非現実的なことを考えた。
だがそれは目の前に並ぶさらに非現実的な面々に比べれば特段有り得ないことだとは思えない。なんとも悲しい。
それとも蒸発しているんだろうか、胃の中で。
コイツらの胃酸は瞬時に酒でさえ溶かし養分として取り込む仕組むができあがっているのだろうか。
もうそれでもいいんじゃないか。そうでも考えなければ説明がつかない。もういいやそうしよう。
軽い音で蓋がふっとぶ音とともに中身の入った瓶はまた一本減り、空の瓶がまた一本増える。
マチに近づけるのはいつのことになるのだろうか。
好機は待てばやってくる。そう楽観視した自分を呪い、遠い未来を想った。

朝日が昇るまでもうすぐ。
家で一人熱燗をちびちび飲む親父のように、レモンスカッシュを啜りあげる。
酒でもない物を2つもいっぺんに飲めるはずもなく、まだ半分以上残っているそれをどう処理するか。
当面はそれについて考えることにした私であったが、そんなものは聞こえてきた声に不要であることを告げられた。

「さて、そんじゃアタシらはもう行くよ。もう解散でいいんだよね?」
「ああ」

飲むものは飲んだ。
飲むものはなくなった、だからもうここに居る理由はない。
手持ちの酒がなくなったのと同時、そんな感じの声で切り上げを宣言しながらマチとパクノダは立ち上がった。
マチのその声は白と黒をはっきりさせるさばさばした性格で、まったくらしい。
らしい、が。それは私が困る。
の足はまだぶらぶらと揺れている。これをどうにかしてくれなければずっと直らないかもしれない。
次にマチと会えるのはいつなのだか見当もつかない。
数日後なのかもしれないし、数年後になるかもしれない。長期間会えない確率の方が断然高い。
それは駄目だ。無防備すぎる。
考えている間にもマチとパクノダは出口へと向かっている。
今すぐに追いかけてを直してくれと言わなくてはならない。
だがここにいるクロロとフェイタンがそれを抑える。
別に抑えられている訳ではないが、あと一歩が踏み出せない。
決心が足りないのだろうか。ここで動き出した後どのような結果が訪れるのか。
不確定過ぎて自分は怖がっているのだろうか。
マチが拒否する可能性は高い。フィンクスが口添えしようと上手くいくとは実はあまり思っていない。
得体の知れない子供の念獣をいきなり突き出されても疑問符が浮かぶか警戒するかのどちらかだ。
そしてマチが拒否しようが承諾しようが、どちらであってもその姿はクロロの目にも映る。
フェイタンは別にどうでもいい。あれは危険人物なだけで、干渉しようという奴ではない。
だがクロロに興味を持たれると知らぬ間に探られていそうだ。
言うなれば誘導尋問のような。…いやそれは少し違うか。
とにかく。
質問の仕方が抜群にうまく、気がつけば情報は筒抜け。そんな技能を持っていてもおかしくはない、と思う。

マチとパクノダが出口にいよいよ近づく。
ここで怖気づいても何にもならない。むしろ行動しない方が後悔する。絶対。
そう自分に言い聞かせ、すっくと立ち上がった。
隣でまだ酒を仰いでいたフィンクスの腕を引っ張り、躓かないように小走りで2人に近づく。
背後でフィンクスが驚きのあまり酒を吹き出した音が聞こえたが、私にかかっていなければどうでもいい。
気配が動いたことに早々から気付いていた2人は何事かとこちらを振り返る。
クロロのコートとフィンクスのジャージに包まった、私。
そんな布の塊に手を引っ張られ酒を吹き出しながら付いてくるフィンクス。
クロロとフェイタンの視線も突き刺さっているのがよくわかる。
注目されるのは昔から得意でも好きでも愉快でもない。こっちを見るな。酒でも飲んでろ。悪態をつく。

外の空気がよく伝わる、2人のそぐ傍まで近づくと足をとめた。
いまだ展開が読めず警戒の解いていないマチを見て一拍おき、決心してを差し出した。

「…なに?」

声が低い、冷たい。正直言ってフィンクスの不機嫌オーラ並みの迫力がある。
目が超怖いと思いながらも、差し出し続ける。目の前で揺れるの足。

「あー…こいつがよ、それ、直してほしいんだと」

復活したフィンクスがとても言いにくそうに言う。
助言してくれるというからどんな風に助言してくれるのかと期待していたが、何のことはない。
ただ普通に頼んだだけである。
しかし私一人がただ差し出すだけよりもまだ意思疎通は可能である。
口を動かさない私と代弁するフィンクス。この状態がなんとなく、腹話術みたいだなと思った。

「…アンタいつの間にそいつと仲良くなったんだ」
「別に仲良かねぇよ」

痴話喧嘩みたいだ。ふとそう思う。

「犬の人形?」

それまで傍観していたパクノダの参入。
パクノダは原作でも結構優しい人であったことを憶えている。
幻影旅団に優しいなんて言葉はナメクジに塩のようなものではあるが、比較的という意味で。
そうか、パクノダに取り入ってしまえばマチだって耳を傾けてくれるかもしれない。
一瞬でその答えに辿りつき、マチに向けていたをパクノダへ見せるように差し出した。
足が取れかけている可哀相な人形である。ところどころ解れて綿まで飛び出している。
見るも痛みを伴う哀れな姿。

「ボロボロね。これはどうしたの?」

やっぱり他の団員に比べて良識人だ。私のような子供と会話を成立させようとしてくれている。
即座にフィンクスを指さしコイツのせいだと訴えかける。
当人はギョッとした目でこちらを見ているようだが、どうでもいい。

「…あら、そう、フィンクスが」
「ちがっ、これは事故だ!」
「やっぱりフィンクスなんじゃないか」

2対1。指をさしている私を入れれば3対1。
マチが私の味方をしてくれている訳ではないだろうが、流れ的には良い感じだ。
これを逃す手はない。もう一度をマチに差し出す。今度はすこし背伸びをしてのアピール。

「……」

それでもまだ警戒した、というか不審げな視線を寄こしていたマチだったが、じっと私の目を見たかと思うと、突然の嘆息。

「…わかったよ、コイツを直せばいいんだろ?」

その言葉を聞くため精神的に奮闘し、得たかった返答を得たのだがやはり一瞬耳を疑ってしまう。
フィンクスの時から私の計画はあまり上手くいかなかったから、今回ももしかしたらという気はあった。
だが予想に反して嬉しい結果が出たわけだ。
ぜひとも気が変わらないうちにと、しっかりと頷いた。

ホレ、と差し出された手へを乗せれば、存外優しい手つきでそれを持ち上げて点検し始める。
いろいろな角度から観察し、ふぅんと何ともとれない感想を一言漏らした。
踵を返して廃材へと戻っていくマチの背を見て、やっと成功したことを実感する。
良かった。
これでの怪我もはやく治るだろうか。
先ほど酒を飲んでいた場所より距離をあけたところに座ったマチを追いかけ。
隣に腰を下ろして手元を見る。
私のその行動に驚いたのか一瞬手が止まったが、それでもすぐに裁縫道具を準備し始める。
念糸とかで縫われなくてよかった。
念糸で縫うと念獣のに何かしらの影響を及ぼしかねない。
ちゃっちゃか準備されていく手際の良さを自分の技術と照らし合わせて天地の差を見出していると、
隣に音もなく座る気配。振り返るとパクノダがいた。
同じようにマチの手元を見て、そして私を見て、またマチの手元、を見る。

「大切な人形なの?」

落ち着いた声。至極普通の問いかけに、動きがぴたりと止まった。
大切?
…大切。そうか、大切か。
大切、大切…。

そうか、は大切なのか。
ずっと隣に、当たり前のように居たから、すっかりそんな言葉は浮かばなくなっていた。
依存とか、そういったものではなく。
そうだ、大切だ。
どんなに牙が鋭かろうと、どんなに爪が凶悪だろうと、どんなに咆哮が頭に響こうと。

頷いて、自分に確認するようにもう一度頷く。
パクノダはそれを見て 、そう、と笑みを浮かべながら言った。
なんとなく、カレン一家を彷彿とさせる雰囲気を纏い。
それは酷く私の心を穏やかにして、同時に酷く揺さぶった。

マチの手元が高速で動き、やがて の解れは元に戻った。



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