壁に空いた穴から吹き込む夜風が冷たくて、震えた。
膝を抱えて縮こまって、ずっと隣にいる体温の高いに埋まる。
そうすると長い尻尾が私を抱くように巻き付いてきて、その温もりがより一層深いものになる。
ぬくぬくとした気持ちよさによって思考は鈍り、自分の呼吸がだんだんと深く大きくなるのを自覚した。
こんな所で寝られるなんて、意外と自分は神経が図太いんだなと自称・繊細論を捨て、うつらうつらと舟を漕ぐ。
半分夢の中に浸かり、本格的に落ちそうになった時、んぐごがぁという聞いているこっちの鼻が詰まりそうな
盛大で耳障り極まりないいびきが響いてきたおかげで、私の頭は覚醒した。



ミスマッチ28



ぶっかけるなら冷水と熱湯どっちが良いと思う、とに語りかけてみるが、答えは見えない。
そうか冷水のあとに熱湯がいいか。良いこと考えるねお前。真っ黒なの目の意味をそう勝手に解釈しておく。
まずは水の確保かと思ったが、そうだ、こんな廃墟の中に水なんてない。
トイレの水なんてどうだろうか。いやでもトイレの場所を知らない。むしろガスすらない。
例え水を手に入れたとしても、今の私にできるとしたら寝耳に水くらいなものだ。ちっ。

「冷水熱湯でのた打ち回れ」作戦は材料を手に入れるところからつまづき、一旦保留とした。
いつか必ず実行してみようと思う。
未だいびきを響かせているフィンクスへと、絶をせずに近付く。
絶で行っても気付かれるだろうし、もしかしたら反射的に殺されるかもしれない。それは勘弁願いたい結末だ。
わざと何もせず、おそらく纏の状態でそちらへと歩み寄った。いびきはまだ続いている。
どうせ人の気配があると眠れないなんて私以上の繊細論は折って砕いてミキサーにかけてドブに捨てる程あり得ないだろう。
瓦礫をひとつ乗り越える。フィンクスまではあと数メートル。何となくいびきが小さくなる。
また少し近付く。あと5歩くらい。小さくなったと思ったいびきはまた盛大なものへと変わる。
そしてとうとうフィンクスの隣まで来たが、まだ煩くいびきは響いていた。

いい加減本当に私の鼻が詰まりそうだと悪意を込めて、その鼻を摘んでやった。
んごっ! と息苦しそうに止まり、フィンクスはついに飛び起きた。文字通り、飛び起きた。
バッと距離を開けて何事かと見開いた目でこちらを見て。
そして視界の中にしゃがんだ私を収めると、鬼のような形相になり。

「な…、っにすんだテメェ!」

ぜぇぜぇしながら、必死に動悸を抑えようとしているのか心臓の辺りに手を当てている。

「いびきがうるさい」

きっぱりはっきり。
フィンクスは顔を赤くして怒っているのか恥ずかしいのか微妙な顔をしながら、
何かを言おうと口を開きかけ、金魚のように口を数回パクパクさせてから結局何も言わずに口を閉じた。
なぜか長い溜息を吐き出しながらどかっと廃材の上に座り、いくらか据わった目でこちらを睨む。

「私だってフィンクスのいびきで起こされたのだから、お相子だ」
「…いや別にそういうことじゃ…あーもういいや」

はぁぁぁとさっきよりも長い溜息。今度は気だるさが混じって、どことなく諦めたような感じだ。
私は立ち上がり、フィンクスの横へと移動しその隣へ腰を下ろした。
フィンクスとは私を挟んで反対側にが座る。さっきフェイタンから身を守るためにクロロの隣へ
座っていた時と同じような格好だ。
フィンクスがぎょっとした目でこちらを見る。

「なんだよ」
「…用事はない」
「じゃあなんでそこに座ってんだよ」

なぜ、と言われても。こいつが私の話を信じないからこうして来たのだが、何を話したものか。
何を言っても信じないのなら、信じるまでしつこく付き纏う必要がある。
こいつにはもう喋ってしまったし、事情や未来のことも軽く話してしまった。
それを仲間に打ち明けられてしまうとかなり困ったことになるのだ。
ここに来た理由だってなくなる可能性がある。

「私がこうして喋るのは」
「…あ?」
「フィンクスだけになる」
「……は?」

疑問符しか上げないフィンクスが面白いなと思いながら、続けた。

「念の誓約だ」
「俺に話しかけてんじゃねぇか」
「念を使う相手だけに注意すればそれで良い」
「へぇ。つまり俺は将来、お前の言う死ぬ奴リストには載ってないってことか」
「……」

今のところは。
しかしこいつ意外と頭が回りやがるな。いやでも話の流れからして分かるのか。
私がそこで口を噤んだことによって、答えはフィンクスへと伝わった。
無言は肯定。ちらりとフィンクスがこちらを見て、また視線を前に戻す。
半目で目前にある空間を見ているその姿にやる気などフィンクスの眉毛ほどもない。

「お前の話がどこまで本気か知らねぇが」
「すべて本気だ」
「あぁ、そう…。とにかく、だ。お前の話は突拍子がなさ過ぎんだよ!」

百聞は一見にしかず。漢の将軍の言葉がふと思い浮かんだ。
いやでも念を見せたところでそれが未来の話に繋がることにはならない。
だからと言って、私がここではない世界から来たとかの証拠は何もない。
森の中で目覚めた時、私の所持品は何もなかった。携帯も財布も保険証も、何も。
私の話を信じないのなら、とにかく言い寄ってなんとか助言等をしてもらうように頼むしかない。
交渉というのは私の苦手とする分野だ。だがフィンクスだって上手い方じゃないだろう。なんとかなる、はず。

「…フィンクス」
「あんだよ」
「私が念能力を発動するのに必要な工程がある。しかしそれを実行するのは難しい」
「…それは、それをやるのが難しいのか、それとも"俺ら"だから難しいのか?」
「幻影旅団だからこそ、難しい」

じ、と互いの視線を合わせたまま数秒。フィンクスは小さく「念か」と呟いた。

「その能力、詳しく聞かせてくれんならお前の話、考えないこともないぜぇ?」

にやり。悪人がするに相応しいその笑みに、うわぁと声に漏らして言った。
普通に喋るのはいつ振りだろう。うわぁ、なんて感想が自然に口から出たことに素で驚くくらいには久しぶりだ。
元々私は饒舌でもお喋りが好きでもなかった。それに拍車をかけるように、この世界では喋っていないから。
別に誰かと喋るのが大嫌いで人を遠ざけていた訳ではない。友人とつるんでいるのは楽しいし、テンションも上がる。
だがそれらは少数の言葉のなか行われた物事だ。友人の無言さが心地良かった。
喋ることはないけれど、気まずい雰囲気にならないほど長いこと一緒にいた。
一番気心の知れた奴だった、なぁ、なんて。
久しぶりに前の世界の友人を思い出す。ずいぶんと前のことのようだ。
いや実際はずいぶんと前のことなんだろうけど。10年以上前のことだろうけど。
だが私にとってはまだ1年前の感覚なのだ。それがこんなにも懐かしいと思うのは、毎日が激動だったからだろうか。

「…おい、急にだんまり決め込むなよ」

そういえばフィンクスの仏頂面とか眉間の皺とか口調の悪さは友人によく似ている。
原作を読んでいたときはそんなこと思わなかったのだが、実際に面と向かってみると、そっくりだ。
主に動作の流れが。あとたぶん思考が。さすがに眉はあった。
「おいこら」と眉間の皺を一本増やしてガンくれているフィンクスの行動が、祭りの最中、無断でジャガバターを
横から 失敬した時のあいつと重なる。食べ物の恨みは怖かったな。

「目ぇ開けたまま寝てんじゃねぇぞコラ。瞼の上に目ん玉書くぞ」
「太ゲジ眉毛書くぞ」
「…上等じゃねぇかこの野郎」

軽口に軽口で返したら重くなって返ってきた。なんてこった。
ひくりと口許をひくつかせて青筋を立たせたフィンクスから逃れようと、徐々に体を側へ傾ける。
フェイタン程あからさまで凶悪な殺気でないにしろ、私としては遠慮願いたいものである。
回避策。なにか回避策はないのか。だれか私に救いの手を。もしくは殺傷能力の高い武器を。

…武器。そうだ、武器。
ハッと、カレンの祖父から預かったナイフがあったことを思い出した。
今もまだ腰にはぶら下がっていない。病院で鞄に入れたきりで、出していない。
こんな短気な奴の横に居るならそれが必要なはずだ。今まさにそういう状況だ。早急にナイフを。
蝋燭の火が頼りなさげに揺らめく 廃墟の中をキョロキョロと見回してみる。が、見当たらない。
角の方にも、先ほどクロロが座っていた辺りにもない。
あ、そうだ。車。車の中かもしれない。今、クロロ達は車で移動しているだろうか。それとも外に停めてあるだろうか。

「ちょ、おいこら餓鬼てめ、どこに…っ」

に飛び乗って、入り口へ走ってもらう。急激な移動にぐん、と体が後ろに引っ張られた。
歪な口を開けたそこから飛び出ようとした瞬間、目の前に影が立ち塞がる。
言うまでも見るまでも確認するまでもない。フィンクスだ。
背後でガランと音がした。きっと踏み込みに使われた瓦礫が崩れたか粉砕したのだろう。
さっきまでの軽い応酬の延長線上にあった殺気ではなく、今度はちょっと本気目のそれ。
が警戒を顕に、唸り声を上げながら歯を剥き出しにした。

「妙なマネ、してんじゃねぇよ」

地を這うような声色に、ちょっと行動を誤ったかと思う。
だが私が素直にナイフが欲しいと言っても絶対に許可しないだろう。むしろそれこそ警戒される。
だからと言って自分でもこの行動はどうかと思うが、あのナイフは借り物だ。カレンの祖父からの。
貰ったわけではない。いつか返す物。だからこそ手元にないと不安なのものなのだ。

というのは所謂口実で、一番の理由は、他にある。…この考えは自分でも女々しすぎて嫌になってくるのだが。
あのナイフは、言わば私とカレン一家を繋ぐ役割を果たしてもいる。
靴や服ももちろんカレン一家から貰ったものだ。だが、ナイフは。
手に持てるナイフは、その存在がより大きく感じられる。持っているとどことなく安心する。
掛かる重みがそのまま全身を地面へと圧しているような。繋ぎとめているような。
その重みが腰にも手にもないと、足元が浮いている感じがする。しっかりとした地面が見当たらない。
それに気付いたのは、鞄にナイフを入れて、手元から離れた時が初めてだった。
もちろんナイフがないからと言って、あの家との繋がりが切れる訳ではない。
そんなすぐに切れてしまえるほど、浅く細い糸ではない。もっと深い所まできている。それは自覚している。
だが、手元が寂しい。繋いでいた手を離されたような。そんな。
…ああああもう本当に女々しい。自分に砂糖をふっかけてやりたい気分になってくる。
つまり。つまり、だ。そういった理由によって、すぐにでもナイフを手元に戻しておきたいのだ。
だがそこまでの経緯をフィンクスに話すのは面倒だし、何よりそんな弱点みたいな部分を曝け出したくない。

濃いオレンジ色が浮かび上がらせるその眉なし表情は、鋭くてキツイ。
さっきまでちょっとふざけ合ってたのに、やっぱり幻影旅団なんだな、なんて思ってしまう。
そんな表情をしながらどれ程の人間を殺してきたのだろう。
人殺しは良くない、なんて諭す気はさらさらない。そんな事が言えるほど綺麗な人柄でもない。
それでも、ちょっとは信頼されたと言うか、打ち解けられたと言うか、慣れたと思っていた矢先でのこの冷たい視線は、
眉尻が下がるような思いでもあった。やっぱり、簡単には信用してくれないかと絶望にも苛まれる。

しかし、私が感じるのはそんな情けない感情ばかりではなかった。
私の話を信じようとしない。ナイフを取りに行くのを邪魔する。挙句にこの殺気かこの野郎。
一旦は悲愴感で沈んだ感情が、火山が噴火するかのごとく熱いものへと変化し湧き上がってきた。
フィンクスにはどう頑張っても勝てない。それは知っている。解っている。
だが今は勝敗なんてどうでも良かった。とにかくムカついた。色々と溜め込んでいたのが溢れるかのように。

「…退け」
「退かしてみろよ」

圧倒的にフィンクスの力量が上の今のこの状況で、怯えがないと言ったら嘘になる。
しかし自分が感じているその怯えにも腹が立った。なんで怯えてなんかいるんだと。
張り詰めた空気の中、スライドグラスとカバーガラスの間で平面的に蠢くアメーバのように、
私とフィンクスの殺気は広がり、やがて一帯を包み込んだ。
それらに触発されての毛は逆立ち、今にも飛び掛らんと姿勢を低く構えている。
一触即発。まさにその言葉がこの状況にピッタリ当て嵌まる。



体の奥深くから泉のように溢れ出すオーラに殺気を込めて、へと流し込んだ。



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