骨が再形成される音と共に膨れ上がるの体。
それを自分の下で感じながら、そういえば巨大化したの背に乗るのは初めてだと気付いた。
視点が高く、視界が広い。だが廃墟内は暗い。
フィンクスの背後にある出入り口から見える空は薄い雲に支配されており、月明かりも乏しい。
雲の流れる音さえも響いてきそうな静けさの中で鳴っていた骨の音が止んだ。耳に痛い静寂が戻る。
地面が遠く、目線の位置がフィンクスと同じくらいか、僅かに私の方が上になる。
低い唸り声しか上げていなかったが、私が下へと降りたと同時に建物全体を揺るがすかのような咆哮をあげた。



ミスマッチ29



その咆哮の一番の被害を受けたのはすぐ隣にいる私だって事には一生気付かないんだろうなと、
でかくなったおかげで辛うじて届く位置にあるの鼻頭を撫でる。
どちらが仕掛けるのが先か。A級賞金首の動きなんて見える訳がないのに、じっと睨みつけた。
の押し殺したような呼吸だけが小さく聞こえてくる中で、間が置かれる。時間なんて、分からない。
強い風が私の髪を揺らした回数は3回。それくらいの時間、どちらも動かず。
じ、と相手を見据える。
カウンター攻撃は、まず無理。
カウンターくれてやる為には相手の動きが見えて、且つ踏ん張っていられるのが大前提。
しかしフィンクスの動きなんて見える訳が無い。踏ん張っていられる訳も無い。
それに、フィンクスが攻撃を仕掛けてくるとも思えない。
自分からは手を出さず、コイツの方こそカウンターを仕掛けてくるに違いない。

動かず、動けず。

だがいつまでもこんなことをしている訳にはいかない。
クロロ達が帰ってくれば更に警戒は強まり私の行動は制限されるだろう。
それがクロロの意思とは関係なくとも。主にあの目付きの悪い小人のせいで。
そこを退けよ、と再三目で訴えてみてもどこ吹く風。冷たい視線で受け流されるだけだ。
このスフィンクス野郎、と心の中で悪態を吐く。
薄いガラスが張り巡らされているような空気の中で互いが睨み合うのは、そろそろ限界だった。
今にもひび割れて砕けそうだ。

が唸り声をさらに低くしたその時、フィンクスが爪先を動かして小石を磨り潰す音と、強風の音が、重なった。


その瞬間横にいた大きな黒い塊は姿を消し、一拍遅れて自然に流れた風とは別の突風が私を襲う。
撒きあがる塵、抉れる地面、崩れる壁、割れる硝子。それぞれが不協和音のように混ざり合う。
そしてそれらが、同時に起こったように、私には思えた。
突風に気を取られた一瞬に、第一撃はすべて行われ、また睨み合いの時間へと戻る。
あ、もう絶対無理だ。こんなもの目で追えるわけない。
悔しさにも諦めにも似た感情を、フィンクスとへ向ける。
こうなったらもう、私が何を考えようとそれに体が付いてこないのは明白だ。
火を見るより明らか。私とウボォーギンの身長差よりも歴然。まったくもって甚だしい。

沸々と腹の底で沸いている熱が諦めで鎮火しそうになる。
でもそんなのは絶対に嫌だ。敵前逃亡なんて考えたくもない。
だがどうすればいい。の強さは知っている。それでもフィンクスは更に強い。
私なんぞ赤子の手を捻る以上に簡単に、それこそうっかり蟻を踏み潰しちゃったみたいな感じで殺せる。
殺さないのはクロロの命令があるからだ。でもそれはイコール手を出さない、ということにはならない。
ここで逃がすくらいなら足の骨一本でも折った方がマシ。きっとそう考える。
それはいくらなんでも勘弁して欲しい。今のこの挑戦が無謀だって事くらい解っているが、Mじゃないんだ。
骨折の経験なんてこの先ずっといらない。くっ付いた骨が丈夫になろうが関係ない。

余計なことを考え始めた頭に、ふと、ちょっとした案が浮かんだ。
フィンクスは強化系で単純一途。いくら冷徹集団の一員であっても、頭に血が上り易いだろう。
適当ににフィンクスを翻弄と言うか挑発してもらい、扉の前から離してもらえればそれで良い。
あとは機をみて外に飛び出してしまえば、車があるかどうか、ナイフが奪取できるかどうかくらいの判断ができる。
計画と言うには拙すぎて紙っぺら一枚どころか1行で収まってしまうような考え。
成功率とか小難しい話は抜きだ。どうせ確立は低いのだから。の頑張りによるな。

どうせ他には案がないのだからと、に近づく。
その間もフィンクスは何もせず、ただ厳しい表情でこちらを睨んでいた。
何もしてこないのなら好都合。
フィンクスに唇の動きを見られないよう背を向け、に前から抱きつく形でその耳に口を寄せる。
簡単に説明だけすれば、耳がぴくりぴくりと動いた。くすぐったいのだろうか。
了承したのか鼻を大きくフンッと鳴らした。離れ際、よろしく、と頭を一度撫でる。
私はまた下がる。近くに居てはとばっちりを食らうだろうし、何よりが動き辛い可能性がある。
その一連の流れを見ていたフィンクスには、私が何かを企んでいるのは丸解りだ。
だが内容までは解らない。ならばそれだけで十分だ。
あとはに任せる。攻撃をするタイミングも、どのように動くのかも。
それらは頭で考えるよりも実戦豊富なの方が向いているし、臨機応変に対応できるだろう。

始まりは突然。
少なくとも私にとっては突然だった。
いきなり黒い塊が動き、白い塊が同じ方向へと動く。
が突進し、フィンクスが後ろに飛んで避けた光景だ。相変わらず速くてよく分からない。
先ほどまでの単一的な攻撃ではなく、連続で仕掛けられるそれら。
あぁ、私だったら最初の一発目であの世行きだな、なんて呆然とそれを見ていた。心臓に良くない。

外に飛び出せる機を窺う、なんて言っていたが、正直そんなタイミング計れる気がしてこない。
何こいつら。鉄砲玉か電光石火か。それともミサイルか。
しかしずっと動きを見ていると、徐々に、そして僅かだが目が慣れてきて、少しだけ、見える。
主にが攻撃を仕掛け(フェイントもこなしているのが後に分かった)、フィンクスが時に反撃をする。
それを半身捻ったり、動物特有のしなやかさで悉くかわす。それが繰り返されていた。
よく疲れないな。あんな激しい運動、私なら、というか一般人なら1分ももたない。
依然続く攻防に、頬の筋肉が引き攣る思いをしながらも、少しずつ、少しずつ足を出口へと向ける。
幸い、の身のこなしにイラついてきたのか舌打ちをこぼしたフィンクスには気付かれていないようだ。
もしくは、フィンクスに気付かれているのを私が気付いていないか、だ。
…いや、後者は考えないようにしよう。ちょっとネガティブすぎる。
いや、そっちのが楽観的すぎるのだろうか。…まぁ、仕方ない。考えたところで現状は変わらない。

じりじりと移動し、出口までの距離を目測した。
今のこの体だとけっこうな距離になるが、タイミングを計れば無理なことではない、と思われる。
だいぶ慣れた目で黒と白の塊の動きを見る。がフェイントをかけながら、フィンクスへと突っ込んだ。
フィンクスは身を翻して避け、背後に回ったへそのまま攻撃を仕掛けようと、私に対して背を、向けた。

今だ。

そう頭の中で呟くよりも速く、体が反応していた。
極力気配を絶って、それでも踏み込む足の爪先には精一杯の力を込めて、前へ飛ぶ。
私が一歩進んだのと、フィンクスのパンチがにかわされ地面に穴を掘ったのはほぼ同時だった。
攻撃を避け、離れたが瞬時に仕掛けるが、フィンクスへと届く前に、こちらが、ばれた。

「あ、てめっ…!」

気付かれた。ぞっとする殺気が突き刺さったが、私はそちらを見ようともせず出口に向かってただ走る。
の咆哮と、フィンクスの「くそ、」という声が重なる。が足止めしてくれている。
弱々しい月明かりが照らす外へと、ついに躍り出た。一層濃い冷気に包まれる。
車。車はどこだ。
素早く周囲へ目を配らせると、建物の脇、この出入り口からだと死角になっている部分から黒い車のボンネットだけが見えた。
あった。
でも、距離が遠い。
走る。走る。
遅い。走る。速く。

まだ車まで半分以上の距離がある。気持ちだけが急いている中、突然、前方の壁が粉々に吹っ飛んだ。
それと同時に飛び出してくる塊。白い。フィンクスだ。内側から壁を殴って、出てきた。
静かに私の前へと立ち塞がる。

「クソガキ、いい加減にしろ」

放たれる怒気と殺気に、筋肉が緊張する。足が地面に縫い付けられた。
大股で歩み寄るフィンクスに対して、この世界に来て2度目の恐怖を覚えた。
1度目は初日に熊に襲われたあの時。だがあれとは比べ物にならない。
ぐ、と手を伸ばして頭を掴まれそうになった時、フィンクスが出てきた壁から、が飛び出した。
それに構わずがしりと頭を鷲掴みにされたまま、余った手での体を弾き飛ばす。
悲鳴じみたの高い声と、壁に叩きつけられた音が混ざり、私の頭の中の恐怖は、違うものへと塗り潰された。

「…!!」

たぶん、この世界に来て初めての大きな声。
掴まれている手を全力で振り払う。以外にもすんなりと手は離れ、私はへと駆け寄った。
腹を上下させて荒い息をしながらも、クンと小さく鳴く。私の心配をしているのだろうが、今は自分の心配をしろと思った。
横たわった体を抱き寄せてみると、塗れていた。
毛が黒くて、気付かなかった。
ぬるりとしたものに触れた手を見てみると、赤く。鉄臭く。
出血は多くないが、傷が多くて。
今さらになって、自分の無謀さと、馬鹿さ加減が分かった。

「ごめん、ありがとう、お疲れ様」

それだけを言って、もういいよと声をかける。
の体から白い煙が立ち昇り、巨体は小さく小さくなり、やがて人形サイズへと戻った。
手についた血も、一緒に消えた。まるで何もなかったかのように。

じゃり、と背後で砂を潰す音。
もう怒りすら湧き上がってこない。
不甲斐ない。情けない。ほんと馬鹿だ。
ただ後悔の念だけが押し寄せてきて、もう何より吐きたいぐらい気持ち悪かった。
小さくなったを手で包み込み、落とさないように握り締める。
怒声を浴びせられるだろうか。クソガキと言って殺気で脅されるだろうか。もうどうでもいい。
なんだか退れていた。自分でも驚くほどの傷ついた姿に動揺していた。

落ち込みすぎて重力が増したんじゃないかと思える体でじっとしていると、ポンと頭に何かが乗せられた。
そのままぐしゃぐしゃと乱暴に撫でられて、体を持ち上げられた。
突然の浮遊感にびっくりして、でも掴んだは離さないように気をつけて、目の前に現れたフィンクスの肩へ掴まる。
顔は見えない。見られない。こんな腑抜けた顔、誰にも晒したくない。…怖い。
先ほど向けられた純粋な殺気を体が覚えている。必要以上にジャージを強く掴んだ。
隣から溜息が漏れ、「あー」だとか「うー」だとか聞こえてくる。

「あー……なんていうか、その、悪かったよ」

歯切れの悪い、突然の謝罪。びっくりして頭がついてこない。
何に対して謝っているのか、よく分からない。
それでもなお「悪かったって」と再度謝りながら、背をポンポンと叩かれた。
子供をあやしているかのように。
意外な行動に、整理が追い付かない。
それでも、状況を先に飲み込んだのは体の方だった。
自然と力が抜けていく。力が抜けていって初めて、体中が強張っていたことを知った。
歩く振動を感じながら離れていく車を、フィンクスの肩に顎を乗せて見る。ナイフ…。

奪還できなかった悔しさはあるが、それよりも今はが傷ついたことと、フィンクスの突然の行動に
気が動転してそれどころではなかった。何がなんだかよく分からない。何を考えれば良いのか分からない。
脱力してフィンクスへと身を委ねると、力強い心音が聞こえた。
ドクドクしている。とは違い、少し遅い鼓動。
それでも、感じる暖かさは一緒だった。
意外なほど優しく、頭を撫でられる。

さっきとは違う意味で、ジャージを強く握った。
フィンクスの肩越しに見えた朧気な月が、綺麗だった。



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