「やっと見つけた、



高そうなスーツに身を包み、汚れの見えないバンダナを頭に巻いている。
オールバックにロングコートを羽織っていないのは、院内に入り込む際怪しまれない為だろうか。
だが面会時間より前にやって来て病院に侵入するなど、それだけで不審人物だ。
開店10分前に強引に買い物を始めるおばちゃんとは訳が違う。
ここは病院。ドラッグストアやスーパーではない。
静止し目が合ったまま動くタイミングを逃し、今すぐこのドアを閉じて鎖と南京錠をかけつっかえ棒を設置し
扉と壁の隙間を溶接してやりたいという強い思いに駆られた。



ミスマッチ25



朝日が差し込み平和だった病室が徐々にクロロの気配に侵食されていきながらも、
なんとか平静を保っているように見せかけることは出来ていた。
いつも通りに、前を向いて、ゆっくり深呼吸をして。
でも心臓はバクバクいっている。意識していないと平衡感覚を失いフラフラしそうだ。
手に汗は滲んでいるし、喉だって渇いている。やはり10年前とは威圧感というか存在感が違う。
隣に寄ってきたの頭を撫でて、そのふわふわの触り心地で気分を落ち着かせようとするが、うまくいかない。
それは怯えているようでもあるし、不安を感じているようでもあるし、気分が昂ぶっているようでもあった。
つまりはよく分からない。
は立ち姿のままクロロをじっと見上げているが、威嚇をしている訳でもない。
私の気分の変化に気付いて隣に来た感じだ。それでも少しは警戒しているのか、尻尾が不規則に揺れているのを感じる。
病院内の静けさは不自然で、人がすべて消えてしまったんじゃないのかとさえ思うほどに。
人が消える。クロロがここに来るまでに何かをしてきたんじゃないだろうか。
よもや病人を手に掛けるなんてことしてないだろうな。それは個人的に許しがたい。
眠ったままのカレンが、無抵抗のままその生涯を他人の手によって終わらされてしまうようなものだ。
それは白兎と同類。殺意の対象である。

が、遠くでエレベーターがこの階に着いたことを知らせる高い音と、扉の開く音が聞こえた。
誰かが動いている。一瞬クロロの仲間かと思ったが、子供の笑い声が聞こえたために肩の力が幾分抜けた。
どうやら殺してはいないようだ。この静寂を生み出したのはこの男だろうが、生きているのならそれで良いだろう。
ちらりとクロロの背後に続く廊下を見、誰かいないだろうかと視線を外した瞬間、その姿が消えた。
視界が広がり明るくなる。
びっくりして そのまま動けずにいると、背後からキュ、と磨かれた床を強く踏みしめる音がした。
次いでカチャリと小さな金属音。振り返ると、そこには私のバッグを手に持ったクロロが立っている。
それってつまりイコール何? 本人目の前にして泥棒? と呆然としていると、あろうことか近寄ってきたクロロに抱え上げられた。
反射的にスーツを掴む。
地面が遠くなり、顔が近くなり、がちょっと焦りだし、クロロはお構いなしに歩き出す。
ほとんど上下に揺れない震動のなかで、私の頭はパニックなのか真っ白なのか分からないほどに混乱中。
どんどんと遠ざかっていく私の病室と、近づいてくるエレベーターホールにようやく私は事態を飲み込み始める。
これは、あれか。誘拐。拉致。どこかに連れて行かれる。どこかって言ったら、廃墟しか出てこない。
廃墟=アジト=お陀仏。そんな図式が時報よりもリズム良く頭の中で閃いていった。
とにかく抵抗しよう。敵わないことは百も承知だが、無抵抗のままなんてのは嫌だ。
腰に下げていたナイフを取ろうとさり気なく手を持っていってみたが、いつもの固い感触がない。
ついでにベルトにかかる重みもない。
なぜ、と考えたところで、そういえば病院内だったからそんな物騒なものは露見しないよう
鞄に入れておいたのだと思い出した。手が虚しく空を掴む。

私の武器と言えばそんなもので、クロロの肩越しに見えるもいるが、勝てるとは思えない。
巨大化すれば逃げることぐらいはできるかも知れないが、それには声を出さなければならない。
それ以外に対抗策があるとすれば、食虫植物くらいだ。だがそれを出すには条件が必要。
つまりは八方ふさがり。目の前に晒されている喉に噛み付いてやっても良いが、どうせ念でガードされそうだし。
クロロの歩みが止まり、チンと軽い音がする。エレベーター前だ。
もうこうなればなるようになれ、だ。が攻撃しないのだから、敵意や殺意がないらしいのは分かる。
畜生、と小さく自分の無力さを呪いながらまだ戸惑っているへと手招きした。



やはり先ほど滑り込んできた黒い車はクロロの物だったらしく、私はそこの助手席へと下ろされた。
も一緒に助手席へ乗せようとは思ったが、無理だった。私が黒い毛に埋まり窒息死するところだった。
クロロは憎たらしいほど優雅に運転席へ乗り込み、静かに車を発進させる。
景色が後ろへ流れていく中で私はこれからやっぱりアジトに連れて行かれるのだろうかと考えた。
仮にアジトへ連れて行かれるとして、クロロにどんな利点があると言うのだろう。
私の念能力は知られていないと思うから利用することはないだろうし、私自身に用があるとも思えない。
あと係わりのあるものと言ったら、カレン一家だ。だが幻影旅団が狙うような家でもない。
もしかしたらただの気まぐれか、面白そうだから連れてきた、とかだろうか。あり得そうで泣きたくなってくる。
私はそんな軽いノリでこれから子育て中のヒグマの巣よりも危険な所へ連れて行かれているのだろうか。
まったくどうしてくれようこの理不尽さ。3歩進んで6歩下がる勢いで帰りたい。


しかしよくよく考えてみるとこれは良いチャンスなのかも知れない。
私はこの世界へ来てまだ最初の頃、死んだパクノダへ語りかける夢を見ている。
それはただの夢だったかもしれない。だがその夢で得た食虫植物の念の知識は正しいものであった。
つまりはパクノダの夢も正夢である可能性が高い。確実ではないけれど、そんな気がする。
それを試そうと思うことだってある。試して、原作に介入することなく未来を変えてみようと。
なぜ、と聞かれても正直わからない。試したいから。そう答えるしかない。
もしくは、いきなりこの世界へと放り出された自分の存在を確立させるためかも知れない。
酷く女々しいことだと思ってはいても、やはり誰もいない世界で孤立するのは足もとが不安定になる。
そういったことが原因で私は特に抵抗もなく、諦めたつもりでついてきたのかもしれない。
自分のことなのに全ては憶測に過ぎないがこれ以上のことは分からない。
いや、ここまで分かっているならもういいだろう。
私はこれからアジトへ連れて行かれるのだろうが、きっと殺されはしない。
それはクロロの気配やこの面白そうな顔をしていることから窺い知れる。

楽観的だと思われるほどのポジティブ思考。
時計の針をむりやり逆に押し返すほどの無理なんてしていない。
決して胃に穴が空きそうとかじゃないんだ。断じて違うんだ。
念仏のように頭の中でプラス思考と自分へのフォローを繰り返し唱えていると、車の外の景色はいつの間にか
だいぶ寂しいものへと変わっていた。見るからに治安の悪そうな貧困街を車で走り抜けている。
その様子を見ていると、壁の隙間からじとりと纏わり付くような視線を感じて、瞬時に目を逸らした。
見てない見てない。視線なんて絶対合わさっていない。
触らぬ神に祟りなし、関わらぬ酔っ払いにトラブルなし、だ。
狭い道をスピードを落とすことなく進むこと数分、貧困街も通り過ぎ、とうとう廃墟しかなくなった。
視界一面が灰色の瓦礫に埋め尽くされ、退廃した印象をそこかしこに散らばせている場所。
荒廃した地であっても、荒蕪地であればどんなに良かったことか。ここには緑が欠片もない。
瓦礫を踏みつけガタガタと揺られること更に数分、ついにある一棟の廃墟の前で車は停車した。
入り口の扉はもともと両開きだったようだが、今ではもう見る影もない。
片方の扉は無くなり、もう片方の扉は上部の蝶番が外れ傾いている。
夜になると実体のないものが出てきそうなビルに、よく住めるものだと感心してしまう。

バタンと運転席のドアが閉まり、クロロが助手席のドアを開ける。
まるでVIPにでもなった気分だと前向き思考を発動させながら、車から降りた。も続く。
自分の足で地面に立って見上げる廃墟はまたとても大きく、拒絶感をかもし出している。

「ここが俺たちのアジト」

病院で一声を出してから一切喋らなかったクロロのアジト紹介。
今さらそんなこと言わなくても分かってるよ、と半ばやけくそのように思った。
中に入るよう背を押され、もうここまで来たら腹を括る気持ちで前進していたのだが、
服が後ろに引っ張られる感触がして足を止めた。
振り返ると、私の服の裾を噛んで引きとめようとしているの姿。
いや、私だってもちろんこんな寂れたコンクリートの塊なんかには入りたくはないんだよ。
でもほらそこに立ってる怖いお兄ちゃんが中に入れって言ってるからさ。
早く入らないと大きな釜戸に放り込まれて食べられちゃうよ。
とかなんとかヘンゼルとグレーテル的な言い訳を捲くし立て、を抑えようとするが、服は離さない。
中に何か危険人物でも潜んでいるんだろうかと思い探ろうとしたが、そういえば私の円は1メートルが限度だ。
到底廃墟の中を探れるような代物ではない。

が服を引っ張り、私が宥めようと無言のやり取りを交わしていると、横で静かに見守っていた
クロロが飽きたのか、の頭をひと撫でするとまたもや私を抱え上げた。
米俵のように担がれたりお姫様抱っことかされないだけでも救いだが、極めて恥ずかしい。
今すぐ降ろして欲しいと腕を突っぱねてみるが、まったく意に介した様子はなく、
壊れてぽっかりと口を開けている入り口へと進みだした。
こうやって抱え上げられた状態で諦めの溜息を吐くのは今日で2度目だな、と遠い目をしながら
に手招きをした。これも2度目。



24 text 26