広くもなく狭くもない部屋の中央に天蓋付きのベッドが置かれている。
ダブルほどの大きさのそれは、この部屋に対してはアンバランスでその存在を際立たせていた。
そこで私は寝かされていた。
ベッドの端には口髭を生やした男の人が腰掛けていて何かを私に語りかけている。
逆光の中にいるその人の顔は黒く塗りつぶされており、目元は隠されていた。
ただその口許だけは柔和に笑んでおり、ゆっくりと口を動かし言葉を紡いでいるのは見える。
しかし私にはカーテンを揺れ動かしている風や、空気を震わす音を一切感じることはできなかった。
男が私に手を伸ばし、ゆっくりと頭を撫でる。その暖かさだけが伝わってきた気がした。



ミスマッチ24



掛け布団が重く、自由に寝返りができない不快感さで目が覚めた。
ぼーっと窓に引かれたカーテンを見る。
時間は分からないが、まだ薄暗い。空が白み始めている頃だろうか。
どこか遠くのほうでスリッパが床を擦る音とすずめの鳴く声と車の走る音がしている。朝だ。
それらを聞き流しながら、まだ膜が張られているような頭でそういえば何か夢を見たなと思った。
どこかで寝てて、誰かがいて、音のない夢。
天蓋付きのベッド。揺れるカーテン。差し込む光。
逆光の中で浮かび上がる何かを喋っている男。
全体的に言えることは、静かで穏やかで、少し寂しさを漂わせていること。
以前にもまったく同じ夢を見た事がある。カレンの家に初めて泊まったときだ。
あの時はほとんど思い返すこともなく、何を考察するでもなくただ流していた。
ただの夢だろうと。私の深層心理が遠まわしな表現で何かを訴えているのだろうと。
同じ夢を2度も見ると何か意味があるのかとも思ったが、今までにそういった経験がまったくない訳ではなかった。
つまり偶然か、もしくは昔見た映像がそのまま頭の中に流れたか。そのどちらかだろう。
あるいはその夢が本当になにか重大な役割を果たしているのだとしても、私には天蓋付きのベッドで
寝た記憶などない。ましてやあんな広いベッドで眠ったこともない。
つまりは無関係。もしくは"お嬢様"を夢見る妄想の産物。あり得ない現実への逃避。そんなところだ。
…うわ、"お嬢様を夢見る"って自分で言ってて気味悪い。鳥肌が立つ。
腕を手でさすって、朝から何してるんだろうと幾分はっきりしてきた頭で考えてげんなりした。
もういいや。夢は夢。今は起きてて現実。追求したってよく分からない。真剣に考えても仕方ない。
そうは思うものの。

なぜこんなにも心がもやもやとしているのだろう。





病院のご飯はあまり美味しくないと聞いていたが、不味いものでもなかった。
むしろ短い間だったが今までサバイバルをして偏った食事しかしていなかったから、充分美味しいと思える。
茶碗に張り付いた米粒を掬い取り、完食。
血液検査の結果が出るまで待つよう言われたが、正直言って退屈だ。

病室にしては大きな部屋の窓側にあるテーブルで、外を見るでもなく見ていた。
朝早くから誰かのお見舞いに来たのだろうか、車が1台駐車場へと滑り込む。
入院中の子供たちが元気良く外で遊んでいる。松葉杖なんて何のその、と言ったはしゃぎ様だ。
食器を片しにきた看護士にお礼のつもりで手を振って、時計を見る。
病院の朝は早い。まだ7時だ。
いつもならまだ眠っているだろうし、夜明け前に一度起きたこともあって何だか眠い。
弱く射している光も、当たっていればぽかぽかと暖かい。あまり座り心地が良いとは言えない椅子の上で、
老人のように舟を漕ぎそうになってきたとき、ふとひとつの疑問が湧き上がり、引っ掛かった。
それは見過ごしてしまいそうな事実で、もしかしたら別に何の問題もないことなのかも知れない。
気付いたのだって偶然だ。私はミステリー小説を読んだって不審な点に気付かない。
そんな鈍感な頭に浮かんできたのは、こんな時間から現れた車の存在だ。
ここの病院へ入ってくる時にちらりと見た受け付けの案内板。
"面会時間 8:00〜18:00"。
それ以外の間は正門も閉まっているはず。
職員の車は裏に停められていたのを昨日見た。
視線を滑らせて来客用の駐車場とは道が繋がっていないのも見た。
そもそもまだ一般の車が入れるわけがないのだ。

じゃあ、なんなんだあの車は。
一番手前に、入り口に近い所に停められた黒塗りの車。
完全に静止して、あたかもそれが自然な状態なのだと言っているように堂々としている。
面会時間が始まる1時間後であればなんら問題のない光景なのだ。でも。

そのまましばらく車を睨んでいたが、特に何の変化もなかった。
動き出すわけでもなく、ドアが開くでもなく。車内は太陽が反射して見えない。
知らぬ間に緊張していた体から力を抜いて、椅子の背に凭れかかった。
なぜ緊張なんてしていたんだろう。
きっとあれだ。ミステリーでも何でも、物語の中に潜む重大な伏線とその答えに気付いてしまったような
高揚感と驚愕と、気付いてはいけない何かに気付いてしまった一種の恐怖のようなものが沸いたんだ。
あの車はおそらく特別な事情があって朝早くから停めさせてもらっているのだ。そうに違いない。
外ではしゃぐ子供たちの笑い声が響いてきて、次第に活発になっていく雰囲気に、ここは昨日と変わらず
平和なんだと思った。息を長く深く吐いてスズメが空に描く軌道を目で追う。電線の上で鳩が鳴いた。

ところで血液検査の結果とやらはまだ出ないのだろうか。
午前中には出るかな。特にどこも悪くも痛くもないのに入院していると言うのは、なんと言うか罪悪感がある。
居心地が悪いと言うか、敵陣の大将の席にふんぞり返って座っているくらい場違いな気がする。
なんだか落ち着いていられなくて、鞄の中でも整理しようかとベッドの横に置かれている受験生から奪った
それを持ち上げてみると、ぶらりと垂れ下がる熊のアクセサリー。なぜこんな物を私に渡したのだろうか。
そもそもこれを鞄に付けたのは三次試験官で本当に合っているのだろうか。
今さらになって自信がなくなってくる。しかし他に考えられないのだ。
シャルナークがこんな物を持っているなんてことはないだろうし、その他の受験生が付けるわけもない。
あと接点があると言ったら森の中で会った飄々とした青年。だが彼は既に不合格になっている。
または二次試験官のヤチ。あのやる気のなさそうなドレッド頭がそんなことをするとは思えない。
それを言ってしまえば三次試験官だってそんな風にはゾウリムシの毛ほども思えなかったが、
消去法でいくと彼しかいないのである。自信は薄いが、なんとなく。
しかしこんな人形になんの意味があると言うのだろうか。
触れてみても普通のアクセサリーの感触。ざらざらしているが滑らかな曲線を描いている頭部。
目は黄…いや、緑? あれ、黄?
ゆっくりと左右に傾けて眺めてみても色はよく分からず、とりあえず間を取って黄緑でいいやと思った。
熊の目の色に黄緑っていうのは珍しい。普通は黒とか茶とかじゃないんだろうか。
それにしても透明度が高い。プラスチックと言うよりも、なんだか宝石に近い感じ。
いや、宝石なんて間近で見たこともないけれど。それでも綺麗だ。


一通り鑑賞した後やっぱりまた暇になって、ベッドに腰掛けながらにお手とおかわりを連発させていると
病室のドアがノックされた。時間は7:20。テレビでは天気予報が流れる時間だ。
やっと血液検査の結果が出たのかと、これでやっと解放されると安堵しながらスライド式のドアへと移動した時、
またふと疑問が浮かんだ。またもや喉に何かが引っ掛かる違和感。そしてなぜか焦燥感。

また、ノック。硬質な音が響く。

なぜ、ノック? 開ければ良いじゃないか。ここは病院なんだから。
いちいち患者の部屋に入るたびにノックをして返事を待つわけではあるまい。
食器を片付けにきた看護婦だって、控えめにノックして、入りますよー、なんて爽やかな声をかけて、
そして自分でドアを開けたのだ。扉をスライドさせて。
他の医者だって同じだろう。ノックはしても室内に声をかけて自分でドアを開けるはず。

また、ノック。今度はさっきよりも一回多い。

私の手はドアノブへと中途半端に伸びた状態で止まっている。
開けたらきっと面倒な事が起こると直感のようなものが働いている。
どうしよう、このまま後退してに飛び乗って病室の窓から逃げてしまった方が懸命だろうか。
医者には悪いが私はもう健康体だ。そう信じている。だから退院しても問題ないんだ。そう信じている。
善は急げ、と上げようとしていた腕を下ろした瞬間だった。
ガラリと勢い良くドアが開かれたのは。


いつの間にか病院内は静まり返っていた。
廊下を通じて聞こえてきていたスリッパの音や話し声や車椅子の音が一切聞こえなくなっている。
外で遊んでいる子供たちの笑い声だけがまるで空間に開いた空洞から聞こえてくるように虚しく響く。
そんな静寂とも平和とも違和感とも言えるような雰囲気の中姿を現したのは、正真正銘、
10年ほど前に見た、そして限りなく原作に近いまでに成長した幻影旅団団長。
面白そうに目を細めてニ、と笑った、クロロ=ルシルフルその人だった。




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