押しつぶされる僅かな圧力を感じさせながら、ゴウンゴウンと稼動音をさせて大きな飛行船は飛び立った。
窓から外を見てみるともう一台、今乗っているものよりも小型の飛行船が反対側へ飛んでいくのが見える。
今私たちが乗っている飛行船は合格者用の。反対側へ飛んでいった飛行船は不合格者用の。
更に小さくなっていく飛行船を山間に隠れるまで見ていたが、受験生は集まるようにとの放送が
船内に響き渡ったのを合図に窓から離れる。
に乗ったまま合格者用の控え室へ戻ると、むさ苦しい視界の中に頭一個分飛び出した
シャルナークの目立つ金髪が見えた。こういう時は重宝する視界の癒しだな、あの金髪。
でもあの爽やかな笑顔はいただけない。手を振って呼ぶなこんちくしょう。



ミスマッチ21



森の中でシャルナークと合流し、鳥肉をご馳走になった。美味かった。
でもあの血抜きとかもう少し離れたところでやってくれないだろうか。
目を逸らしていても平和ではない音が聞こえてきて思わず私が鳥肌になってしまった。
テキパキと鳥をさばいていくのを視界に入れないよう気をつけながら、私は枯れた枝を拾っては集めた。
枯葉も少しはあったほうが良かったのだろうが、裏に見たこともない虫が張り付いているのを見つけてやめた。
なんだあの色は。危険色を通りこしてこの世のものとは思えない蛍光色を惜しげもなく散りばめた色だ。
何も見なかった、何も見なかったと必死に忘れようとしながら更に枝のみを集める。
そうしてシャルナークの鼻歌と共に食事の用意が整っていった。
あとはすべてシャルナークに任せ、私はだんだんきつね色になっていく肉を見ながら早く焼けないだろうかと
隣に座っていたと一緒にそれを眺めた。
蛇の生殺しのような時間が(私にとっては)長時間続き、ようやっと肉にありついた。


朝、に埋まって幸せを噛締めるように気持ちよく寝ていた私は声を掛けられて起きた。
カレンの家で居候していた時はほぼ毎朝カレンの騒々しい声か母親の穏やかな声で起こされていたから、
それらとは一線を画した男の声が聞こえてきたことにびっくりしてすぐに目を開けた。
ちらりと横目で見やると朝から笑顔のシャルナークが視界に入る。
シャルナークか、ちっ。と内心舌打ちをしながら体を起こす。夢の中に出てきたパフェを食べ損ねた。
眠くて目が開かなくてもとりあえず身支度を始める。半分寝ながら何かをするのは得意だ。
例え ミミズ文字をノートに繁殖しようが関係ない。得意なのだ。

焚き火の後始末を簡単に済ませた後ゴール地点に向かう。途中でシャルナークの手に入れた卵を回収する。
道中、子供と優男が歩いているのを良いことに卵を横取りしようとした受験生がいたが、
あえなくシャルナークに撃退されていた。どんな風に、とか詳しいことは分からない。
目の前で人が死ぬのは現実世界で生きてきた私には酷だ。ハンター世界の住民とは違う。
どんな声がしようがどんな音が聞こえてこようが私には全く何もこれっぽっちも聞こえてないんですよと
アピールするために無の境地を極めようとどこまでも続く森の奥を射抜くように見つめた。
おかげで短い悲鳴を上げた後おとなしくなった受験生の姿を見なくても済んだが、
たまに呻き声が聞こえてきたりもしたからきっと生きているのだろう。
二次試験ももうすぐ終了時間。不合格者と認定されたら試験関係者に助けてもらえるはずだ。
開けた場所に姿を現した直後、終了の合図が鳴り響いた。危ない。
ちょっとギリギリ過ぎやしないかとシャルナークに非難の顔を向けようと思い顔を上げてみたが、
一瞬、視界が真っ白になって何も見えなくなった。
突然のことに状況の把握ができなくてすぐに俯き瞬きを繰り返す。
すると徐々に靄が散るように視界が開けた。なんだったのだ、今のは。
まるで貧血になった時のような症状である。
気持ちの整理をつけられないまま、試験官に促され私たちは用意されていた飛行船へと乗り込んだ。


飛行船に乗せられて、まず私たちはホールに誘導された。
集まった数は30人弱。二次試験で大分落ちたらしい。
部屋の奥には相変わらず免震構造でも埋め込まれているのだろうかと思ってしまうほどに揺れている
二次試験の試験官ヤチと、もう一人、隣に見知らぬ青年が立っていた。
黒スーツもサングラスも着用しておらず、おそらく三次試験の試験官だと思われる。
人垣に阻まれて上半身ぐらいしか確認できなかったが、間違ってはいないだろう。
黒髪黒目の、落ち着いた印象のする試験官だ。ゆっくりと室内を見回して受験生を観察している。
ヤチもそうだが、この三次試験の試験官だと思われる青年もずいぶん若い。まだ二十歳前後じゃないだろうか。
表情も纏うオーラも一切揺れ動くことなく、不動のような姿勢が保たれている。
まるでそこだけ切り取られているようにその雰囲気は不思議なものだった。だが悪い気はしない。
じっとその青年を観察していると、ばちりと視線が絡んだ。
正直、突然視線が合うと逸らしてしまいたくなるのだが、なぜだかこの時は逸らせなかった。
掴まった、と表現するのが正しいのかもしれない。その黒い目がブラックホールのように見える。
私がどうしようかと内心焦っていると、少し、ほんの少しだけ青年の目が見開かれたように見えた。
そのまま数秒時が止まる。ヤチのやる気のない声がシャットダウンされる。聴覚が奪われた。

冷や汗を流しそうになった頃、ようやく視線が外れた。
青年が三次試験の説明をするために前に向き直ったのだ。
思わず止めてしまっていた呼吸を慌てて取り戻す。今頃になって心臓がうるさく打ちはじめた。
次第に周りの音が戻ってきて、息を深く吐き出す。
なんだったんだろう、今のは。あの能面のような表情が僅かだが驚愕を表していた。と思う。
視線が合っているときは自分と青年意外のものの現実味が薄れていたが、今は先ほどの時間の方が
現実味のない出来事だったように感じられる。さっきのは現実だったのだろうかと自問してしまうほどに。
それに答えを求めるように、また青年へと視線を向けたが今度は目が合うことはなかった。
ヤチからの短い二次試験終了報告を聞いた後、次は三次試験の話が始まるのだろう。
黒髪の青年が一歩前へ進んだ。
どんな声をしているんだろうか。
気になってもっとよく聞こえるようにと前に出ようとした瞬間、また視界が白く塗り潰された。
病が進行していくかのように、急速に白い靄に覆われていく。
耳も圧迫されたように痛くなり、砂時計の落ちる音をすぐ近くで聞いているかのようなサーという静かな音に支配された。
平衡感覚が取れなくなり、自分がどこを向いているのか立っているのか倒れているのか分からなくなる。
やっぱり貧血なんだろうかとどこかで冷静に分析していると、砂浜に押し寄せた波が引いていくように
視界と音が鮮明にリアルに戻ってきた。さっきの症状が夢だと思えるほどにはっきりとした意識だ。
ふと肩に誰かの手が添えられていることに気付いてその腕を辿っていくと、眉間に皺を寄せた
シャルナークの顔が映った。なんかちょっと訝しんでいるような顔だ。

、どうしたの?」

さっきの状況と目の前にシャルナークの顔があったことに驚いたおかげですぐには反応が返せず、
どう返事をすればいいのか迷った。
錆びたように動かなくなった頭がなんとか回転しだして、なんでもないと小さく首を振った。
それだけでも視界が揺れて気分が少し悪くなってきたが、これ以上ふらつくと突っこまれそうだ。
ちょっと頭の整理をしたいこともあって、すぐに何事もなかったかのように前を向く。
しかし青年からの説明はほとんど終えてしまっているらしく、かろうじて明日の8時に目的地に着くという
内容だけ聞き取ることができた。
その言葉を合図にヤチが「かいさーん」と間延びした声で言い、ホールからぞろぞろと受験生が出て行く。
完全に流れに乗り遅れた私も慌ててホールを出ようと踵を返した。
が、がピッタリと私にくっついて歩いているのでとても歩きづらい。
視線を向けてみると、こちらを上目遣いに見ていた。ちょっと情けない顔で。
きっともさっきのことを心配してくれているのだろう。なんでもないとその頭を数回撫でた。
今度こそ出て行こうとして、ふと最後に三次試験の試験官である青年に目をやる。
邪魔のいなくなった開けた視界に目に入ったのは、だるそうに歩いているヤチと青年、そして灰色の犬だった。
のように大きくはないが、犬を連れているという共通点を見つけてちょっと嬉しくなる。
名前はなんて言うのだろうかと考えたところで、そういえば試験官の名前も聞き逃していることに気が付く。
…まあいい。特に問題でもないだろう。
そう結論付けて今度こそ本当にホールから出て行った。


明日の朝8時に目的地に着くのであれば、ここで一晩明かさなければならない。
個室が割り当てられるわけでもなく、同じハンター試験を受けている者同士が同じ控え室で休むとなると
自然と空気は張りつめてピリピリとしてくる。だが食堂もあるらしい。それに向かう者もいた。
ちなみに入手してきた金の卵は回収されただけで料理としては振る舞ってくれないらしい。
原作でも卵を取ってゆで卵にしていたから、食べられることを期待していたのだが。ちょっと落ち込む。

、俺たちもご飯食べに行こうか」

原作でも見たあの黄身がとろりとした美味そうな卵を想像して打ちのめされていた気分を掬い上げるように
シャルナークが声をかけてきた。
これを断る手はない。きっとお金はシャルナークが出してくれるはずだ。

だが。なぜだか先ほどから食欲が沸かないのだ。心なしか頭も痛い。
緊張状態が続いたせいで疲れたのだろうか。慣れない環境に私の繊細な心が耐え切れなかったのだろうか。
しかし朝も先ほどもそうだったが、どうやら調子がよろしくないようだ。
これはどうしたことだろうと悩んでいるうちに、私が何のリアクションも返さないことに何を思ったか
シャルナークが顔を覗き込んできて、おもむろに額へと手を当てた。突然のことに驚いたが、ひんやりしていて気持ちいい。
こいつは冷え性なんだろうかと思うほど温度差があったが、シャルナークは驚いたように手を離した。

「ちょ、、すごい熱あるんだけど」

熱、だろうか。 自分ではあまり自覚はないのだが。
確かにちょっと顔が火照っている感じはあるが、それはこの飛行船内に暖房が付いている為だと思っていた。
気温の変化についていけなくてちょっと熱が上がりすぎているだけなのだと。
しかしシャルナークのちょっと怖い真剣な目を見る限り、だいぶあるのだと思う。
冷んやりとして気持ちよかったあの手の温度が普通なのだとしたら、やっぱり結構あるのかもしれない。

「さっきから変だと思ったら、もう…。体調が悪い時くらい顔に出してよ」

もしくは言ってよね、と無茶な注文をされてしまったが、まさかシャルナークに心配されるとは
思っていなかったので、この必死そうな反応は驚きだ。

「確か医務室があったはずだから、医務室に行こう」

手を引っ張られて半ば強制的に連れて行かれる。後からも付いてきた。
しかし止めるところを見ないときっとも私を医務室に連れて行こうとしているようだ。
微妙に曲線を描いている廊下を歩いていると、熱があると自覚したからなのか段々足取りが重くなってくる。
ふらふらとし出して、自分の足に躓いてしまった。
自分で踏ん張ることもできなくて転倒しそうになった時、横から伸びてきた腕に支えられた。
もうここまでくると誰の腕かなんて顔を見なくても分かる。むしろこの筋肉で分かる。マッチョめ。

ふ、と足が地面から浮いた感覚があり、その後に持ち上げられたのだと理解した。
脇の下に手を入れられてひょいと持ち上げられている状況に僅かに殺意を覚える。
今すぐ下ろせと言ってやりたいところだが、そんな状態ではないことぐらい私だって分かっているのだ。
ここはぐっと我慢だと念仏のように自分に言い聞かせ、されるがままにした。
しかしここで抱っこなんてされようものならその長いまつげを全て引っこ抜いてやると身を硬くしていると、
ふわりとしたものの上に下ろされた。跨る状態で。の背だ。
そして先ほどよりも速いスピードで廊下を渡り、ひとつの扉の前で止まった。


そういえば中学の時はよく仮病を使って保健室で寝てたな、と薬品の香りがする部屋で白いベッドに
横になりながら数年前の自分を思い出した。
高校の時は保険の先生が好きじゃなくて行かなかったことも思い出す。
あの人本当に体調が悪くても家に帰るか教室に戻るか判断を迫ることで有名だった。懐かしい。
仕方なく教室に戻って居眠りすることになったんだよな、と芋蔓のようにずるずると出てくる思い出に、
最近考えていなかった元の世界のことを思い出させる。みんなは元気だろうか。
ハンター世界に来てから約1年。私が現実世界から失踪して1年。心配されているだろうか。
悲しまれていたら嫌だな。元気に笑っていてくれないだろうか。

ぼやける視界で天井を見上げながらそんなことをつらつら考えて、どんどん気分が下がっていく。
駄目だな。風邪をひくと弱気になると言うが、本当のことらしい。
完全に発熱したのか、顔は湯気を当てられているように熱く、体は震えるほどに寒い。
硬くて重い掛け布団に埋まるが、熱いのか寒いのか判断がつかなくなってきた。
やばいなと思っていると、近くでにおいを嗅いでいる音が聞こえてくる。
視線を移すとベッドの脇に前足を乗せてこちらを窺っているがいた。尻尾が力なく揺れている。
シャルナークは私をベッドに寝かせてからすぐに誰かを呼んでくると言って医務室を出て行った。
今も横で鼻を鳴らしているが、情けない弱々しい声をあげそうな顔をしている。
とりあえず撫でようと思って腕を動かしても重くて動かしにくい。
の頭まで辿り着くことなく、シーツの上に力なく落ちた。
だがその手にが頭をすり寄せてくる。お前首捻りすぎじゃないのかと心配になるほど捻って。
なんとか少しだけ指を動かして撫でていると、控えめなノック音が室内に響いた。
が瞬時に顔を上げる。
私もゆっくりと扉に目を向けると、扉から入ってくるあの三次試験の試験官が見えた。
灰色の犬を連れて、そこに居た。



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