「君はたしか、ナビゲーターをやっていた子だよね?」

どうしてここに、とあどけない表情で驚いてみせる青年は私が川から小屋まで送り届けた
受験生のなかの一人であったことをついさっき思い出した。
ハンター試験を受けるというプレッシャーをものともせず、飄々とした態度を保っていたからよく覚えている。
これから山を登るのだというような大きなリュックを背負い、底の厚い登山靴を履いていて、
脇にぶら下がっている アルミ製のコップが青年の動きに合わせてカランと乾いた音をたてた。
ナビゲーターとして山の中で会った時は、受験生ではなく一般人が偶然にも辿り着いたんじゃないかと
勘違いしてしまうようなきっちりとした山登り専用の格好をしている。
よくこんな格好でハンター試験を受ける気になったなと感心してしまうのも無理はない。
そしてそんな青年と会ったのは二次試験会場、どこかの森のどこかの地点である。
ここは警戒すべきだろうか、それとも「ハァイ、ボブ」と友好的に片手を上げ、隙を見て飲食物を
ぶん取った方が効率が良いだろうか。
そんなことを高速回転している頭で考える。やっぱり後者かな。
私は無害な子供ですよとアピールするため、とりあえず手を振ってみた。笑顔で振り返された。
ちょっと反応に困った。



ミスマッチ19



突発的にやってみた挨拶に、律儀に返事をかえされてどうしようと手を下ろすタイミングで迷う。
手の動きは止まり、本当に「ハァイ、ボブ」と片手を上げた状態になった。
とりあえず腕が疲れたから下ろす。青年も下ろす。私はこんな森の中で何をやっているんだろう。
よく分からない後悔に打ちひしがれている内に、青年の視線が私の腕のなかに注がれていることに気付いた。
卵だ。
あ、やっぱり警戒して今すぐ逃げるべきか、それとも卵をラグビーボールのように投げつけて
虚を突いた瞬間を 狙いそこらに落ちている石を顔面めがけて投げつけるべきだろうかと、考えると同時に
周りを見渡しながらシミュレーションしてみる。
あの辺の石なんかがちょうど良さそうだ。私でも投げられそうだし、当たったら痛そう。
致命傷ではなくても怯ませることくらいはできるかな。
じゃああの石を取りに行くまでにどうやったら効率よく動けるかなとさらに考えを巡らせていると、
目の前の青年が沈黙に耐えかねるかのように声を上げた。

「えーと…ねぇ、ひとり? 犬と一緒にいなかったっけ」

ほらあの黒くて大きい犬、と体を使ってその大きさを表現しようとしている。
本当にこの青年はハンター試験に臨んでいるのだろうかと疑念を抱いてしまうような平和ぶりだ。
私がなにも喋らずにただ黙って青年を見上げていると、私は喋らないのだと悟ってくれたのか、
頭をかきながら「まぁいいや」と自己完結してくれた。いいんだ。

「僕ももう卵見つけたし、なんなら一緒に行動しない?」

暇だし、とあっけらかんと青年は言う。
どんなに平和で、どんなに私が小さな子供で、どんなに森の空気が澄んでて、どんなに天気が良くても
今はハンター試験の最中なのだ。こいつには緊張感というものがないのだろうか。
あ、いや、きっとないのだろう。それは今までの仕種から良く分かっている。
もしくはどこぞのシャルナークとかいう奴のように腹が黒ゴマのように真っ黒なのか、だ。
二次試験の目標物である「金の卵」は、今青年の手の中には見当たらない。
その大きなリュックに入っているのか、はたまたどこかに隠してあるのか。
がいない今、少しでも危険だと思われる奴には付いて行かない方がいいのかもしれない。
だが、一人で森の中を彷徨い、川や果物を見つけるのは至難の業だ。
何しろ私は子供。歩幅も狭ければ視界も低い。おまけに動物に狙われたら最後。
であれば、今はまだ平和な態度をとり続けている青年に着いていった方が良いだろう。
そう結論付けた途端、ダイエット食よりも質素な食べ物しか入れていなかった腹が切ない叫びをあげた。
もし。もし、「腹の虫」とやらが本当にいたとしたら、殺虫剤とかではなく私が直々に踏み潰してやろう。
そう心に決めた。


小さく本来であれば聞こえないほどの音が収束されて、さらさらと聴覚を飛び越して直接意識に
囁きかけるような音が目の前を優雅に流れる川から発せられている。
とても澄んでおり、先ほど狸のような尻尾をもつ狐のような動物が水を飲んでいたのを見かけたから、
ここの水はきっと飲んでも大丈夫なはずだ。
鞄の中から空になっていたペットボトルを取り出し、一度ゆすぐ。
そして満タンまで水を入れて固く蓋を閉じた。鞄に戻すと重みが増したが、その重みが安心感を与える。
あとは食料だな。目の前で魚が泳いでいるが、ちょっとグロい。食べる気になれない。
それは青年も同じだったようで、魚を見て「うわぁ」と小さな声を出しながら踵を返した。
また森の中へと戻り、規則性をもたない木々を避けて歩いていく。
前をいく青年の背中をうかがい、気付かれないようにこっそりとの人形を見てみた。

「あ」

タイミング良く青年が発した声に情けなくもビックリしてしまい、授業中に読んでいた漫画が教師に
見つかりそうになった時のように私の心臓は体内で元気よくジャンプした。
慌ててをポケットへと押し込み顔を上げてみるが、青年は前を向いたままである。
とりあえずの存在に気が付かれたようではなかったので、良かった。
青年と同じ方向に目をやってみると、そこにはヘチマのような形をしたオレンジ色の実が垂れ下がっている
木が見えた。食料だ。
卵を足もとに置き、実の採取を青年に任せ、見つからないようにを近くの草むらへと放り込む。
小さくカサリと音がしたが、ちょうどよく風が森を震わせていたからその音は自然の中へと呑みこまれていった。
両手いっぱいに果物を抱えてきた青年からいくつか受け取り、穴が開いていないことを確認して一口齧る。
口の中に広がったのは、その色の通り柑橘系の果物の味だった。
酸っぱさに痺れる舌を労わるように後から広がる甘みが、もう一口と運ばせる役目を果たしている。
これは美味しい。煎餅のようにボリボリいうリンゴも美味かったが、こっちも上々だ。
大きな種を吐き出し、ひとつを食べ終えた。青年から受け取った残り3つを鞄へと突っ込む。

さて、これだけあれば小さな体の私には明日の試験終了まで持たせられるだろう。
水も食料も卵も見つけた。つまり目的は全て果たしたのである。それはこの青年も同じだ。
であれば、そろそろ動くのだろう。
私としては、残り時間どこか安全なところで二次試験が終了するのを待ちたい。
だがそうさせてくれないのがハンター試験、かつ敵同士である受験生だ。
柔らかい雰囲気を纏ったままの青年が果物を2つ完食し、種とヘタを捨てた。
残りの果物を持っていくため、大きなリュックを下ろして中に詰め込んでいる。
仕舞い終えた青年がリュックの口をしっかりと閉め、「さて」と元気よく立ち上がった。

「これからどうしようか?」

「……」

何も言わない。目を逸らさない。答えない、というより答えはないと言ったほうが正しい。
じっと体も動かさず時間だけが私たちを取り残して、ベルトコンベアに類似した動く歩道のように
平面に過ぎ去っていく。通り抜けていく風はそれらを具現化した象徴のように感じる。
近く遠くから聞こえてくる小さな鳥の高い鳴声が、平和な時間だと主張しているが、
それは私たちの領域には届かなかった。
空気は流れず滞り、コンクリートの壁に囲まれているような閉塞感に包まれている。

「卵も見つけたし、やる事はなくなった。安全な場所でも探す?」

「卵を"見つけた"」

ここで初めて口を開く。
青年はちょっと驚いたように目を見開いたが、それでも態度は一貫していた。

「卵を"手に入れた"、ではなくて"見つけた"」

「……」

今度は青年が黙る。口元には笑みが残留しているが、目元が笑っていない。
こいつは卵を"見つけた"と言った。"手に入れた"ではなく。
最初はどこかに隠してきたのだろうかと考えたが、それならば鞄の横に掛けられている
アルミ製のコップも置いてくるだろう。わざわざ歩くたびに音のするコップをなぜ持ち歩いている。
それがまず疑問だった。
卵をリュックに入れている可能性も考えてみたが、さっき果物を入れた際には金色なんてものは
見当たらなかった。卵だし、試験終了後に取り出すのだから下の方に入れるメリットもない。
そこで大体の確信がついた。他人の疑いを確信にするのには、大体で充分なのだ。
こんなハンター試験などという、周りすべてが敵というような環境下ではなおさら。
青年が言う"見つけた"とは手に入れたという意味合いではなく、私の手中にあったものを指していた。
子供から奪う方が簡単だと思ったのだろうか。もしくは今まで見つけられなかったのだろうか。
どちらかは分からないが、どちらでも変わらない。

「気付いてたんだね」

ついさっき確信しましたと心の中で呟く。わざわざ声に出すことでもない。

「…君、僕と会ってからずっと腰に下げてるナイフにさり気なく手を掛けてたでしょ」

だから上手くいくとは思えなかったんだよね、と困った顔をしながら頭をかいている。
焦った様子もなく、戦意も敵意も殺意も感じられない。なんだか調子が狂う。
うーんと唸ったまま自分の世界に入ってしまった青年を見て、こいつ実はやる気ないんじゃないだろうかと
思えてきてしまう。腕を組んで下を向いたまま考え込み、先ほどとは別の意味で時間が止まる。
私はこの間に何をしていればいいんだろうと迷ったが、目を離すことも出来ないのでただ見つめるしかない。
鳥が頭上を羽ばたいていく音を何回か聞いたあと、ようやく青年は「よし」と何かを決意した。

「ハンター試験降りよう」

今私たち並びにこの森全体を覆っている広大な青い空のように、まったく晴れ渡った顔で言いのけた。
唖然とする。思わずいつでも引き抜けるよう緊張していた左手から力が抜けてしまうほどに。
お前何のためにハンター試験受けにきたんだと言いたくなるような潔さだ。
私から卵を奪えずとも、鳥かもしくは他の受験生から奪えばいいじゃないか。
そんなに気持ちの良い笑顔で落ちる宣言をされてしまうと、訳の分からない罪悪感に蝕まれてしまう。
私がかけるべき言葉が見つからずに固まっていると、青年はさらに自己完結したらしく、
帰ったらラーメン食べようとか呟いている。なんだこいつ。

「と、言うわけで僕はもう君の敵ではなくなったんだけど、一緒に行動したくないでしょ?」

ここで別れようかと提案をされ、私としては願ったりだが急速な進展についていけない。
なんとかぎこちなく頷きだけを返すことができた。
これ餞別ねと果物をさらに2つ取って貰い、青年は「じゃ」とだけ言い残して消えていった。
これが俗に言う「嵐のように過ぎ去った」存在というものなのだろうか。
私の両手に乗せられている果物をしばらくポカンとしながら見つめていたが、ちょっと気の強そうな
鳥が鋭く鳴いたことで、気を取り直そうと頭を振った。

果物を鞄に詰め込もうと思ったがすでにいっぱいで一つだけしか入らない。
もう一つをどうしようと迷っている時に、そういえばとの存在を思い出した。
何かあった時のためにを草むらへと忍ばせていたのだが、無駄に終わったようだ。
無駄というか空振りというか。
草を掻き分けてを見つけ、オーラを送り込みながら小さく名前を呼ぶ。
骨が再構築される音と共にいつも通りのサイズへと戻っていった。
すっかり元通りになったは怪我も治ったようで、体を伸ばしたり大きな欠伸をしたり、
ちょっと心配そうな目で見上げながら擦り寄ってきたりしてくる。
大丈夫だった、むしろ肩透かしをくらったと意を込めて頭を撫でた。
足の具合も見てみたがもう大丈夫なようだ。良かった。
鞄に入りきらなかった果物をに食わせ、卵を抱えてその背中へと飛び乗った。
1日ぶりだがその感触がとても懐かしく感じられ、何度もその背中を撫でる。相変わらず手触りがいい。
さっそくだが寝床を探してくれるよう伝えた。あとは試験終了時間まで寝て過ごせばいいだけだ。

ぐうたらに過ごそうと決意しながらゆっくりと動く周りの景色を見るともなく見ていると、
森の奥のほうから金髪が目立っているどこぞの青年が歩いてくるのが見えた。
げ、と顔をしかめそうになったが、その手にはあの大きな鳥が引き摺られているのを見つけて、
夕食は鳥肉だろうかとちょっとテンションが上がった。



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