鬱蒼と茂る木々は、夜の海を吸い込んで育ったかのように背後で蠢く闇と同調している。
そして静かに私たちを招きいれ、気まぐれで殺し気まぐれで生かすんだろうか。
そう、今私たち受験生の前に立ちふらふらと安定しない重心を「マダツボミの塔」のように、
地震で崩れるのを恐れるかのように前後左右に小さく揺らせている若者のように。
こいつには声を張る腹筋よりもまずその体内に耐震構造を埋め込むことが必要だろうな。
ともすれば波に押されて引かれて揺れ動くイソギンチャクのようでもある。
こいつの頭をハサミでさっぱりさせてやりたい。なんだこのドレッドもどきは。
幾分気だるそうな声が壁に反響してかろうじて聞こえてくる。
都心の裏道やコンビニ横にたむろしていそうで、ジャンクフードが好きそうな青年。
二次試験の試験官、ヤチだ。



ミスマッチ17



私は今デジャブを味わっている。
この世界に来て、と暮らしたあの森のような中で浅い洞窟を見つけ、そこに寝転がっているのだ。
あの時のようにの毛に埋まって、月に照らされた空を見上げながら。

風が吹いたら髪の毛と一緒に体が傾きそうな青年が、受験生を連れてきたのは深い森の入り口だった。
これからこの森で「金の卵」を見つけ、2日後の12時、つまり58時間後にまたここへ戻って来ること。
それが試験官から伝えられたただ一文の試験内容。
一次試験で他人の番号札を手に入れた奴は、「金の卵」の写真を見せてもらい、
ゴールした順に森の中へと入っていく。原作で見た4次試験のようだ。
見せてもらった「金の卵」とやらは、そのまんま卵の形をしていた。本当に金色をしている。
しかし写真を見せられただけでは、それがどれ程の大きさなのか、その卵を産むのはどのような生物なのか。
鳥なのかはたまた爬虫類なのか。見当もつかない。
とりあえず森に入ったら探すしかない状況だ。
ガサリと草を掻き分けながら奥へと進み、人の姿が見えなくなってからに跨り、
まずは睡眠を貪ろうと安全な場所に案内してもらう。
腹が減っては戦はできぬというが、私の場合は眠気に負けて戦ができぬだ。眠気強い。

夜半、はすでに規則的で深い呼吸を繰り返している。
それでも耳はそばだてており、起きている私でさえ聞こえない音に反応して動いている。
これなら寝入っても大丈夫だろう。さらに体を小さく丸めてへと寄りかかった。
外が寒い分、高い体温が気持ちいい。目を瞑るとすぐに夢が迎えに来た。


日が真上まで昇った頃、ようやく私とは体を起こした。
大きく伸びをし、欠伸を噛み殺すことなく盛大に漏らす。
に向かって「おはよう」と声を掛ければグゥと返事が返ってくる。
試しに「おそよう」と声を掛ければワンと返事が返ってきた。何が言いたいこの野郎。
寝起きで麻痺している頭を動かそうと穴から首を出すと、下から強い風が吹きつけた。
危ない。落ちるところだった。すぐに顔を引っ込める。
切り立った崖の中腹、鳥でもない限りその窪みへ辿り着くことは出来ないだろう場所に私達はいる。
どうやって、なんて思い出したくもない。あの浮遊感が蘇ってしまう。
でもここから出るとなると、やっぱりあの感覚を味わうことになるのだろう。憂鬱だ。
窪みから出る前に、落ち着けるこの場所でサンドイッチでも食べたいところだが、
そんなことをしたら下に着いた瞬間リバースする。それは勿体ないし、何しろ私が嫌だ。
空腹を訴える腹の虫に黙ってろと心の中で牽制して水だけを飲んだ。
狭い中でに跨り首に腕を巻きつける。
さあ、富士急アイランドも顔負けの絶叫体験が降りかかるぞ。
そう自分に語りかけて、これから襲ってくるあの胃が浮いて横隔膜との間に空洞が出来たような
感覚に備える。が窪みの縁へと歩み寄っていく。
強い風が通りすぎたその直後、一瞬の浮遊感に支配された。


地面って最高だね、との頭を撫でた。
柔らかく生えている雑草の上を踏みつけながら、辺りを見回してみる。
しかし人の気配どころか動物の気配もしない。鳥はさっきからピーチパーチク喋っている。
受験生がいないのは、この森が思った以上に深いからか、もしくは今頃寝ているか。
二次試験が始まったのは夜中の2時頃。それからこの森に入り込み、きっとすぐに寝入ることはしない。
森の雰囲気を読みとり、安全な場所を見つけ、できれば水と食料を確保する。
もしそうであれば今の時間帯がちょうど睡眠時間の頃合だ。
私から他の受験生を襲おうとする気はないが、あちらから現れないのは良いことである。
「金の卵」の捜索がしやすい。
だが「金の卵」とはどんな生物の卵なのだろうか。まずそこが分からないとどうしようもない。
というか「金の卵」が言葉のままの形であるなら、ヒントとして写真を見せる意味はないんじゃないのだろうか。
よもや「卵」とはそんな形をしているだけでただの石かも知れない、と探すよりはマシだが、
せめて実物を見せてくれてもいいじゃないか。もしくは大きさを教えてくれても。
冷えた空気で肺を満たし、長く細く吐いた。力が抜ける。
と、同時に悲鳴のような音をだした腹の虫に、そういえばと鞄からサンドイッチを取り出した。
今のうちに腹ごしらえをしてしまえ。厚みのあるトマトをに食わせた。


太陽が傾いてきた頃、それまでずっと淡々と歩いていたが急にピタリと止まった。
なんだろうかと辺りをうかがってみても、不穏な空気はない。私の分かる限りでは。
鼻をひくつかせながらゆっくりと再び歩き出したところをみると、危険が迫っている訳ではなさそうだ。
嗅覚でなにかを感じ取ったのか、鼻を天高くまで突き上げて探っている。
進行方向を見極めるように、ときどき立ち止まりながら首をめぐらせた。
ずいぶんと長い間その状態で進んでいるようだが、未だ私の嗅覚は何にも刺激されない。
私もにならい無駄に息を吸い込んでみたが、喉が乾燥して痛くなるだけだった。
ここはもう犬の嗅覚に任せるしかないなと思い、私は意味もなく空高くにいる飛鳥を目で追うことにする。
なんかキョエーとか鳴いてる不思議な鳥だ。かと思えば短くエギョと繰り返し鳴いている。
姿としてはポケモンのホウオウに似ているな。あの頭飾りとか特に。
鳥が両手を広げている木の影に隠れて見えなくなる直前、何かが鳥の足もとで光った。
きらりと太陽を反射する。
その一瞬の眩しさにびっくりして咄嗟に目を瞑ってしまい、次に目を開けたときには当然の如くその鳥は
どこかへ飛び去ってしまっていた。何だったんだろうか、さっきのは。
足に何かを掴んでいたのは見えたが、それが何だったのかまでは見えなかった。
他にも同じ種類の鳥がいないだろうかと見回してみるが、時おり小さな鳥が空を横切るだけである。
諦めて前方を見やっても、さっきと特に景色は変わっていない。
だがの足取りは定まったようで立ち止まることなくすたすたと歩みを進めている。

、走っていいよ」

気持ち悪くなるかもしれないが、いざという時のために慣れておかなければならない。
ちらりと見上げてくる目を見つめて頷いた。早歩きになり、小走り程度になり、本格的に走りだす。
流れる景色が不明瞭になり、水彩画のように木と草の色が混じり合った。
その中で自分との姿だけが切り取られたかのようにはっきりと形を成す。
やはり落ちはしなかったが体がぐらぐらと揺れる。この感覚をどうやってやり過ごそうか。
が後ろ足で体を前に押しだすとき、どうしても私の体は揺れ動くのだ。
そういえば。馬に乗っている騎手は酔わないのだろうか。
経験や慣れの差はあれど、騎手は腰をあげ、体を低くして馬に乗っている。
腰を上げることはできないが、試しに体を低くしてみる。するとどうだろう。
揺れは安定し、胃がシャッフルされる感覚も薄まったのだ。これは良い。
そのまま自分のちょうど良い姿勢を見つけるまでもぞもぞと体の位置を動かした。


の頭に吐くことなく、私たちはある一本の木の下までやってきた。
すべての影が長く細く地面を埋めている。夕方だ。
木を見上げてみると、上のほう、とても高いところの枝になにかが引っ掛かっている。
丸く、受け皿のような形の、枝でできたもの。鳥の巣だ。
巣の近くの太い枝には大きな鳥がとまっていて、こちらを鋭い目で睨みつけていた。
なぜがここに来たのか。その答えはすぐには分からない。
しかしこの試験の合格条件は「金の卵」を見つけることだ。
だとすれば、あの鳥の巣にお目当ての卵があるとみてまず間違いないのだろう。
でも、

「無理だろ」

あんな高いところ。
いくら崖の中腹にある窪みまで行けたとしても、それは上から落ちてうまく穴に足を掛けられたからだ。
木の天辺まで下から駆け登って辿り着くなど、至難の業である。
それこそジャングルに住む一族が「うちの村長すごいんですよ」と自慢するような人間離れした
木登り術をみせることができる奴がいたなら別だが、私にはそんな特殊能力はない。
それにこの木は天を刺すように真っ直ぐで枝と枝の間も広い。
枝自体は太いが、この高さだと猿でもない限り無理である。いくらと言えども、こいつは犬だ。
どうしようかと大きな鳥にロックオンされたまま暫し考える。だが良い案など出てくる筈がない。
ここは諦めるべきだろうか。
あの鳥の卵が目当てのものであるなら、当初よりはまだ探しやすい。
他を探せば、もしかしたらもっと入手しやすい場所に金の卵が転がっているかもしれないのだ。
ここは諦めて、別の場所を探そうかとに提案してみるが、鼻息荒く返事をされただけだった。
あ、もしかしてやる気満々なんだろうか。尻尾の振りかたが激しい。
がやる気なら私は止めないが、でもちょっとあの親っぽい鳥殺気立ってるけど。
これってもしやちょっとした死亡フラグだろうか。が取りに行ってる間に捕食されるとか。
簡単に想像できるんだけどどう思う、とを見てみても無反応だ。
でもここで断ったらきっとに捕食されることになるだろうから、これ以上反対するのは危険だな。
しかしどうやって登る気なのだろう。
いくらなんでもその大きさでは難しいんじゃないだろうか。その、大きさ、では。

「…巨大化」

あ、そうか。を巨大化させればもしかしたら。
最近はずっとこのサイズだったから、大きさが変わるなんてことすっかり失念していた。
いやでも巨大化されたら私の心臓に悪いんだが。本当に捕食されてしまう。
だがここで断ってもやはり捕食される可能性がある。どちらにしろ私に決定権はないのだ。
だったら頑張ってもらおう。
から降りて、ほとんど投げやりな感じで「ファイト」と呟きながら、オーラをへと流した。
いつか見たように毛がざわめきだし、骨が再構成される嫌な音が聞こえて空気が振動する。
それらが治まるとは水を払うみたいに体を振るわせた。
極力口のあたりを見ないようにしながら、すり寄ってくるの鼻頭を撫でる。
最後に強く体をすり寄せてから、数歩下がって目指す場所を見上げた。
私も邪魔にならないように、近くの木の根元まで下がる。
鳥の巣を見上げてみると、親鳥が今にも飛びかからんとする姿勢で威嚇するように羽ばたいていた。
その状態でたっぷり十秒、睨み合いが続き、そしてとうとうが後足で強く地面を蹴った。
黒い塊が通りすぎたとしか表現できないような速さで走りぬけ、木の数歩手前で飛び上がる。
爪を幹へ突きたてて皮を剥がしながら勢いが消えるまで登っていく。
勢いが消息してきたら枝に足を掛けてさらに飛び上がった。
するするとまるで蛇が木に巻きつきながら登っていくように、一定の方向へと走りぬく。
徐々に鳥の巣まで近づいてきた時、枝から身を投げ出して滑るようにへと鋭いくちばしを向けた
親鳥が突っ込んでいった。高音と低音が混ざったような奇怪な雄叫びを上げながら。
は枝を踏んで進行方向を僅かにずらすことでいなし、構うことなく着々と巣へと近づいた。
しかしバランスを崩したぐらいで親鳥が諦めることはない。今度は巣の前に立ちはだかりを迎え撃とうとする。
羽を限界まで広げて自分を大きく見せながら鋭い爪を飛び込んだに突き立てようとした。
だがの方が大きいし、爪も鋭ければ速さもある。
仕掛けられた親鳥の爪を薙ぎ払い、その勢いのまま叩き落した。
羽が枝に当たってまたもやバランスを崩し、体勢を立て直す前にまた別の枝へと体を打ちつけ、
そのまま親鳥は木の根元の草むらへと、落ちた。

耳に痛いほどの静寂が訪れる。先ほどまで頭上で行われていた攻防戦が嘘のような静けさだ。
木の上にいるも私も鳥が落ちた草むらをじっと見ていたが、ガサリとも揺れなかった。
知らぬ間に入っていた肩の力を抜き、息を吐き出した。良かった、捕食されなくて。
頭上からの呼ぶ声がする。見上げてみると、巣の中から卵を落とそうとしているようだった。
いやいやいや、待て。そんなことしたら絶対割れる。卵だぞおまえ。リンゴとはわけが違う。
しかしそんな私の懸念にも動じることなく鼻先で卵を転がしているようだ。
巣から傾きかけたオレンジ色の太陽に反射する金色の卵が姿を現した。
こうなったら受け止めないわけにもいかない。
とりあえず私は纏をするから痛くないのだが、心配なのは卵だ。もし鶏の卵のように割れやすかったら。
不安が募っていくが、だがはそこまで頭は悪くない。割れそうなら、そもそも落とさない。
そう信じて、巣からぽろっと零れ落ちてきた卵を真剣に睨み、腕を伸ばした。
だんだんと大きくなってくる卵に、あれ、サイズおかしくないかと今さらながらに思った。
私は鶏の卵のような、手の平サイズを想像していたんだが。なんだあれは。ダチョウの卵みたいじゃないか。
ずし、と腕いっぱいに落ちてきた卵を抱え込み落とさないように足と腰と手と…全身に力を入れる。
昔10Kgの米を素敵な笑顔で投げてきた友人の顔がふと思い出されて、なんだか殺意が沸いた。
ぐ、と踏んばって、ようやく腕の中におとなしく収まった。とりあえずキャッチには成功だ。
割れていないか卵を見回して、傷一つないことを確認した。ほっと息をつく。
ところではどうやって降りる気だろうと見上げてみると、今にもジャンプしようとしている信じられない姿が見に映った。
げ。
まさか飛び降りる気じゃないだろうなと思っていたが、そういえば巨大化以外にも、小さくなることもできた気が。
であれば、大丈夫だ。きっともそのつもりなのだろう。
私が手を上げて降りてこいと合図すると共に、何のためらいもなく空中へと身を投げ出した。

「戻れ」

まで届くよう声をかけると、煙を漂わせながら小さく小さくなっていく。
ぎりぎりで戻り終えたを両手で掴んだ。黒いお父さん犬のように人形になっている。
ご苦労様と声をかけながらオーラを流し込めば、また骨が組み立てられる音と共に普通のサイズへと変化した。
やっと終わった。これであとは卵を期間内で死守し、スタート地点に戻るだけだ。
満足そうに鼻をならしたの頭をめちゃくちゃに撫でてやる。
むに、と顔の肉を下から持ち上げてみるとなんとも平和な顔になった。精悍な顔つきが台無しである。
途端、目を開いてが顔を上げた。すいません調子に乗りましたと謝ろうとしたが、
それは空から聞こえてきたギョエーという明らかに怒ってますよ雰囲気をかもし出した鳥の鳴声に遮られた。



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