番号順に五つの扉へ。
罠の無いただの迷路。
1つのエリアを1時間以内に。
罠の設置は自由。
殺し合いも自由。
合格条件はゴール。

それって私はかなり不利なんじゃないかなと迫り来る受験生を見て思った。



ミスマッチ16



試験会場へ先に着いた奴がとことん有利なこの試験内容を知っていれば、
ナビゲーターの仕事なんか放っておいてさっさと会場を目指したのに。
そもそもシャルナークがあの試験会場入り口を選んでやって来たのが運の尽きだ。
他にも入り口は多数あるはずなのにどうしてあの森を選んだのか。
「流星街の近くで懐かしいからこっちにしよう」とかそんな軽いノリで私に迷惑をかけたのであれば、
あいつの金色の髪の毛に白いペンキをぶちまけてやる。ついでにあのふざけた携帯電話も壊してやる。
というか私は選択を間違えたのではないか。
シャルナークをエレベーターで見送って帰れば良かったのだ。どうせ住処は特定済みだろう。
もしあそこで逃げたとしてもシャルナークが家に襲撃に来るとは到底思えない。
腐っても幻影旅団。こんな子供に時間をかけているほど暇人でもないはずだ。
お宝目指して世界を右へ左へ奔走していればいいのだ。そして彼方へ行ってしまえ。

その彼方の先でシャルナークの頭がバリカンで丸められていくのを想像しているうちに、
が向かってきていた受験生を吹っ飛ばして戦闘にピリオドを打った。
相変わらず無敵だなこの犬。
壁にぶつかって頭を打ったのかそのままぐったりと項垂れて動かない。
近寄って顔を覗き込んでみると、眉を寄せて痛そうな顔をしているからとりあえず生きているのは分かった。
私はそのつもりではなかったが、仕掛けてきたのはこいつだ。遠慮なくその番号札を貰う。
ついでに肩に掛けられていた鞄を漁ると、何やら役立ちそうな水やら携帯食料が見つかる。
どうせこいつはここで失格になるのだ。それならばとその鞄ごと奪うことにした。
それを斜め掛けにするとちょうど良い。これは思わぬ収穫だ。
この調子でに闘ってもらって倒した相手から何か頂戴するのもアリだな。
まだ未開封だったペットボトルの蓋を開けてさっそく一口飲む。ぬるい温度が喉を通った。
にも、蓋に口を付けさせないように威嚇しながら水を放り込んでやる。
ちょっとした水分補給だけでもけっこうな休息だ。一息ついて、またに跨った。


前にに跨っていたのは、森の中だ。
雰囲気作りに勤しんだのか、石造りの壁に蝋燭の炎がオレンジ色に照らされている。
そこに映し出された私たちの影が不規則に揺れる火にあわせて壁を這いずった。
土や木のにおいが懐かしい。ここは空気が滞って湿っている。湿気臭い。
時おりどこから運ばれてきたのか定かじゃない風が弱く通り過ぎていく。
もしくは私たちに当たって流れが止まる。寒くないのが何よりの救いかもしれない。
ただ風と一緒に流されて聞こえてくる誰かの悲鳴とか怒号はいただけない。
背筋が寒くなるというか、いちいちそちらに意識を向けないといけなくなるので面倒だ。
できるだけ円で周りを探ってみるが、あまり意味を成さない。
いくつもの分かれ道をの気の向くままに進んでみるが、ほとんど人の気配がしない。
襲ってきた奴だってさっきのが最初で最後だ。
蜘蛛の巣のようなイメージを持たせるほど道が複雑に分かれているが、行き止まりに当たらない。
たまに遠くから衣擦れや息遣い、足音が聞こえてくる度にの耳が忙しく動き回っている。
ぶっちゃけちょっと飽きてきた。まだ始まって20分ほどしか経っていないのだろうが、
私はの背に跨っているだけなのだ。やる事といったら、選ばれなかった道の奥を見てみることぐらいで。
欠伸を盛大にひとつ漏らし、いつかのように、の頭に自分の頭を乗せた。
上下に揺れる視界には強くも弱くもない炎が静かに踊っている様が映る。
次々に通り過ぎていく蝋燭を見ているうちに、だんだん眠くなってきた。
それもそうだ。私は今日夏休み中の小学生より早く起きたのだ。まだ暗い時間に。
ハンターたる者2日間は眠らなくても思考が低下しないよう鍛えなくてはいけない、なんて
化け物じみたことは一般人から逸脱した奴らが目指せばいいことだ。
そう自分に区切りを持たせて、特に抗うこともなくにうつ伏せたまま、浅い眠りに入った。


目が覚めたのはが立ち止まったこともそうだが、それよりも鼻につく臭いが漂ってきたからだ。
ゆっくり体を起こしてみると、仄かな明かりの先に闇に紛れた階段が見えた。
上り階段になっている。おそらくあれが、試験官の言っていた通路というものなのだろう。
できればすぐにそこを走り抜けてもらいたいところだが、階段入り口の前に死体が転がっていたら
躊躇もする。粘着質のある、むわっとした血の臭いが嗅覚を刺激して非常に不愉快だ。
が腰を低くして降りるように促す。戦闘に巻き込まれるのはシャルナークが笑顔で家を訪ねて
来るよりも嫌なので、素直に地に足をつけた。
人の死体、というものは初めて目にする。死んだ瞬間を目撃した訳ではないので、顔面蒼白になるとか
そんな重大な心的ショックはないが、やはりそれなりに動悸は乱れる。視線が釘付けになる。
少しずつ広がる血の海に、蝋燭の火が反射していて血は赤黒く妖しく光っていた。
うつ伏せで腹を支点として、くの字に折り曲がっているのを見ると、森の中で見た熊を思いだす。
血の量は比較できるものではないが、やっぱり動物と人の死とではどこかが大きく違った。
あの時よりもより現実を突きつけられている感覚がする。人は死ぬんだと改めて知らされる。
現実世界でも親戚や友人、家族でも誰かが死ぬなんてことはなかった。みんな生きていた。
死ぬことは誰にでもやってくる事だと分かっているつもりではいたが、それは決して身近ではなかった。
遠い宇宙の果てを想像しているような、もしくはテレビのニュースを聞いているような。
直接私に係わり合いのあることではなく、必ずそこにはフィルターが敷かれていたのだ。
その死が目の前で起きている。観察したいわけではないのに、その様子を焼き付けるように視線が逸らせなかった。

血の広がりがおさまった頃、コツリと靴音が響いた。
階段上からわざと靴音をたてて降りてくる人物は、恐らくこの死体を生み出した奴だ。
どうせ待ち伏せでもして殺したのだろう。
徐々に足もとから顕になっていく姿に、自然と手が腰へと伸びた。鞘と柄の感触を確かめる。
も平常に見えてその実、足の配置に気を遣っているようだ。いつでも飛び出せるように。
顔までがオレンジ色に照らされて、ようやく相手を確認する。
中肉中背。現れたのは特徴のない、どこにでもいるような顔のどうにも憶えにくい男だった。
虫も殺せないような表情をしながらも、その手にはまだ血の滴るナイフが握られている。
そこから垂れた血液がポタリと床に円を描く。
何も言葉はないが、殺気が先ほどよりも濃くなっているのは感じている。
肩に掛けていた、先ほど奪った鞄を床に放り投げた。
が闘ってくれるだろうが、何が起こるかわからない。きっと邪魔になるだろう。
その動作に慣れようと、ナイフを引き抜いた。どのように持てばいいのか分からない。
とりあえず私にとっては大振りなそれを、両手でしっかりと握った。これで取りこぼしたら笑いものだ。
階段を降りきった後も、躊躇せず歩み寄ってくる男を見据える。
目は愉快そうに細められ、狂気じみた気配がひしひしと感じられてきた。
何かの拍子に大笑いとかしそうだ。口が下弦の月のように縁取られている。はっきり言って気持ち悪い。
トンパのような汗臭い親父とはまた別の気持ち悪さだ。不愉快、というよりも不快。
それ以上近づくなと、私も殺気を滲ませる。それを合図にも私の前に踏みだし、威嚇するように唸った。
低い響きが壁に小さく反響する。
それらに一瞬立ち止まったが、その後も一歩、また一歩と近づいてくる男の間合いに気をつけながら
相手の動きと自分の動きとの動きを頭の中でシミュレーションする。
殺人など犯したくはないが、殺されるくらいならやってやる。こんな快楽殺人者の獲物になるくらいなら、
クラゲに刺されて死んだ方がまだマシだ。
男の足が、光を反射している血を踏みしめて発せられた水音を聞いた瞬間、が動いた。



こんなに長くナイフの使い方とか殺さない方法とか死なない方法とかをダラダラと考えていたのに、
はいとも簡単にかの奇妙な笑い方をする男を叩きのめし、何事もなかったかのように私を背に乗せて
階段を駆け上がっていったのである。
私の先ほどの覚悟やちょっとした緊迫感をどうしてくれるのかと言いたくなるほど鮮やかな戦闘だった。
ちくしょう。何か言ってやりたいが、そうすると次の被害者は私なのだ。ここは我慢しなければならない。
的外れな逆切れを押さえ込みながら、気持ちを落ち着かせようと周りを見渡す。
たぶんここはエリア2にあたる所なのだろうが、見た目がまったく変わらないから不安だ。
もしここがまだエリア1だったとしたら、急がなくてはならないはず。
そんな焦りを感じたが、ふと、そういえば私は落ちても問題ないんじゃないかということに気付き、
じゃあどうでもいいやと全ての力を抜いた。
とにかくここから生きて出られればそれでいい。合格でも不合格でも好きにしてくれ。
気を抜いた途端、またもや眠気が襲ってくる。何かが起きてもが対処するだろう。
私は寝ると宣言し、またもやその頭に体重を乗せた。すぐに目を瞑る。
たまに道を曲がっている感覚を受けながら、のびた並みとはいかずとも不眠症とはお友達になることはない
だろうスピードで私の意識は沈んでいった。



意識は浮いたり沈んだりで、ぐっすりとは眠れないだろうと思っていた私は、目を開けて視界に入った
景色を見て呆然としてしまった。
どうやらおやすみ3秒ではなくても、どこでも眠れるという神経の図太さはのびた並みだったようだ。
まだちらほらとしかいない人たちを見ながら、広い空間の隅を陣取ってそんなことを考えた。

私が目覚めたのは、先のように血の臭いに不快感を感じたからでもなく、他人の殺気に当てられたからでもなく、
スピーカーから聞こえてくる大きな声に軽く殺意を覚えたからだ。
から身を起こしてみると、そこには受験生が腰を下ろしているホールのような空間だった。
どうやら熟睡していたらしく、エリア2の途中からずっと寝続けていたらしい。
これはちょっとショックだ。私は少しでも繊細な心を持ち合わせていると信じていたのに。
今はもののけ姫状態を見られながら隅っこへと移動し、洞窟で寝ていたときのようにの腹を借りて横になっている。
試験会場や迷路の続きのような錯覚を覚えるほど、ここの雰囲気もそれらに酷似していた。
蝋燭が燃えてそこにある凸凹な存在の私たちを照らし、影を伸ばす。
頭上にある炎を見つめてみるが、もう眠気は襲ってこなかった。迷路の中で寝て、ここでは起きて。
一次試験が終わるのは夜中の1時過ぎ頃だ。その後に二次試験も続くのだろう。
不規則な生活になりそうだが、私は基本的に夜の方がテンションが上がるので願ったりだ。
しかしこのままでは後々眠気が襲ってくるだろう。それでは困る。
今は眠くなくてもその内寝られるんじゃないかと期待を込めて、体を縮こませた。の毛に埋まる。
最近はあまり聞かなかった人より少し早い心音に、不覚にも安心した。


その後はウトウトとしながらも、受験生がゴールに辿り着くたびに目が覚めてしまったので寝た気がしない。
睡眠が妨げられるって、理不尽でも殺意が芽生えるよねとの耳を引っ張った。
次々と聞こえてくる足音にもう眠る気がしないと起き上がったところに、シャルナークの晴れやかな笑顔があったら
ナイフを投げつけそうになるのも致し方ないと思う。いや投げられるか分からないけど。

「おはよう、。随分早くゴールしたんだね」

あぁそうなんだ。
生憎私は時計も持っていないし、に全て任せて寝ていたから時間なんて分からなかった。
とりあえずゴールした受験生はまだ少なかった、とだけ言えるがどれ程の時間でゴールしたんだろうか。
広いフロアを見てみると、結構な数の受験生がいる。
この人数が合格したのであれば、相当早かったことだけは分かった。

「迷路迷わなかったの? もー、行き止まりだらけで疲れたよ」

…行き止まりなんてあったんだ。
私が起きている限りでは行き止まりに当たったことなんて一度もなかったのに。
もしかしたらが時おり吹く風のにおいを嗅ぎ取ってゴールまで進んでいたのかも知れない。
さすが犬。よくやったじゃないかと今さらになってその頭を撫でた。

その後も「その鞄どうしたの」とか「誰かに会った」とかの質問攻めを、無言か適当な相槌かでやり過ごした。
特に寝る気もなかったから良かったが、よく喋るなこいつ。お前の舌は高速回転可能なのかと。
試験が終わりに近づくまで、私はトマトの厚みの差が激しいサンドイッチを貪りながら
シャルナークの話を大雨が降った後増水した川のように聞き流していると、終了の合図が出た。
迷路への通路が塞がれる音とともに、私とも起き上がり残ったサンドイッチを自分の鞄に入れる。
まだ残っているたまごサンドの塩と砂糖を間違えたとか在り来たりな失敗をされていたらどうしようと
本気で心配しながら、新しい試験官の声に耳を傾けた。

二次試験が始まる。



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