エレベーターなのだから、目的地に着いたら電子レンジよりも軽い音を鳴らし知らせてくれても
いいのにと、音もなく無造作に開いた扉を見て思った。
灰色の扉がスライドして、左から徐々に闇が広がる。
そこは申し訳程度に明かりが備えられた、上下左右をコンクリートで固められた箱のような廊下。
エレベーターから漏れる明かりの方が強く、奥の方はさらに濃い闇に占拠されていた。
一歩進み出るとエレベーターが勝手に閉まって動き出し、稼動音が小さくなっていく。
廊下は長く、試験会場までここから少し歩かせるらしい。とても面倒だ。
溜息をひとつ吐いて、お腹が痛いとか仮病をつかってやっぱり帰ろうかと振り返ったが、
エレベーターの扉は固く閉ざされており、ボタンも見当たらないために断念した。
仕方ない。見ても嬉しくない腹黒のところへ向かおう。仄かに灯る光の下、進みだす。
腰のベルトに挟みこんだナイフが重く感じた。



ミスマッチ15



まっすぐ突くように伸びている廊下をしばらく歩き、突き当りを曲がると重そうな鉄の扉が立ち塞がった。
出っ張っているノブを掴んで回そうとすると、が小さく鳴いた。
この向こうに受験生がいるのだろう。尻尾を小さく揺らしている。
心構えとか覚悟とかそんなものを心に刻み込んだ覚えはないが、時間がない。腹を括ってノブを回す。
錆びた、ギギギといういかにもな音をたてて扉を押し開けた。
見た目の予想を反することなく重い扉をくぐり抜けると、そこには原作で見たような筋肉隆々な奴らがいた。
惜しげもなく見せびらかされている腕には刺青が彫られていたり、何やら訳の分からないミサンガのような
紐が括りつけられていたりと、それを恥ずかしげもなく晒している。
ぜったい食事中には見たくない光景だと、あちこちにある肌から目を逸らした。
会場も廊下と同じように、光の弱まった蛍光灯が虫も寄り付かないような光を周辺にだけ散らせている。
ある受験生は壁際に座り呼吸を整え、ある受験生は武器の手入れに熱心だ。
誰一人として喋っていないように見えるが、仲間同士で小さく耳打ちしている奴も見受けられた。
この試験会場にどれほどの受験生がいるのかは、背が小さくなった私には分からない。
しかし人垣の隙間から見える蛍光灯を見る限り、ずいぶん奥まで続いているようだ。

とりあえず汗臭くないことだけを確認して一息つこうとした時、私と同じ大きさの物体が近づいて来た。
マーメンだ。
紙面で見たときとまったく変わらない顔でそこにいる。こいつ成長しているんだろうか。

「受験生の方ですね?」

肩に掛けた鞄をゴソゴソしながら聞いてくるが、頷きがたい。
私は受験者登録をしていないのだ。飛び入り参加。いわゆる不正参加。
だがここで首を横に振っても面倒になるだけだ。ばれたらばれたでその時考えよう。
小さく頷き、受験番号の書かれた札をもらった。
「718」そう書かれている。
どうやら会場には700人を越える受験生が押し寄せたようだ。
原作の、ゴンたちが受けた試験では400人に達していなかったはずだが、キルアが一人で受けた
試験はたしか1千人を超していた。この数字は例年に比べて多いのか少ないのか。
でもまぁ、1千人を超していなかっただけ良しとしよう。貰った番号札を服の右下あたりに刺した。

ゴォンと腹の底に響くような音とともに、私が出てきた扉とは別の扉からまた一人、受験生が入ってくる。
頑張ってくださいねと言葉を残してマーメンは去っていった。本当に豆みたいな生物だ。
後姿を見送り改めて会場を見回してみるが、やはり視界はマッチョが埋め尽くしている。気味悪い。
それにいろいろな所から視線を感じる。首元がざわざわして落ち着かず、自然と眉間に皺が寄った。
分からなくもない。
ハンター試験に子供が現れることは度々あるだろうが、こんな幼児が来ることはほとんどないのだろう。
分からなくもないが、私だって来たくて来たわけではないのだ。そんな見世物小屋の商品のように見られても。
動物園の動物はこんな気持ちなのだろうか。だとしたら本気で同情する。今度動物園に行って檻を壊してこようか。
他人の視線を気にしないようつらつら考えていると、広げていた円に誰かが引っ掛かる。
広げると言ってもたかが1メートル。だがそれ故に、円に引っ掛かったとなると近くにいるのだ。
殺意は感じなかったのでゆっくり振り向くと、そこにはあの四角い鼻を持つ親父がいた。
名前はなんと言ったか。
下剤入りジュースを持っていること、性格が癪なこと、すこぶる嫌いであったことは憶えている。
それ以上近寄るなと意を込めて睨みつける。こいつ臭そうだ。
私の心境の変化に気付いたが割り込む。親父は数歩下がった。

「いきなり近づいて悪かったって! 俺はトンパ。特に何しようって訳じゃないんだ」

だからこいつ退かせてくれよ、との気迫に負けたトンパが冷や汗混じりに言う。
両手をあげて乾いた笑いをもらしている様は、今すぐ消えて欲しいと思えるくらい気持ち悪い。
軽くどころではない殺意が湧いてきたが、試験前から面倒なことはしたくない。
踵を返して去ろうとすると、トンパが慌ててを避けながら前へ立ち塞がった。
ナイフの錆にしてやろうか、と映画で聞いた事があるような一説がふと頭の中に浮かぶ。
それもいい。勝てるかどうかは別として、今大事なのは自分の気持ちだ。牽制程度だけでも。
腰にかかる重みを、体の支点を変えることで確かめる。
まだきちんと握ったこともないナイフだ。うまく鞘から抜いて扱えるだろうか。
もしかしたら取りこぼすかもしれない。
でもがいるから大丈夫だろう。いざとなったら噛み付くはずだ。
いや、でももしかしたら、まかり間違って私に噛み付くかもしれない。それは危険だ、どうしよう。
ナイフを引き抜こうかを説得しようか迷っていると、私の行動をどう取ったのか、ずっとの動向を
伺っていたトンパは笑顔でチョコを差し出してきた。それも2個。
こいつ本当に私のことを馬鹿にしているのだろうか。チョコで私の心が動くとでも。
そもそもチョコはあまり好きではない。こいつが持っていたのならなおさら嫌だ。体温で溶けていそうである。
どうせロクでもない物も含まれているのだろう。奪いとってこいつの口に捻じ込んでやろうか。
ふつふつ沸いている嫌悪感や殺意のようにオーラがゆらりと揺らいだ、その時。

「あ、いたいた」

この場にはあまりに似つかわしくない陽気な声とともに現れたのはシャルナークだ。
探したよオーラを隠そうともせず走り寄ってきて、私の頭に手を置く。

「探したよ、もう」

どこ行ってたのさと膨れっ面をしてみせるが、それはこちらの台詞だ。
私はお前と同じ扉から出てきただけだと言ってやりたい。ついでにその顔も止めて欲しい。
もっと言わせてもらうと頭に乗せたその手を今すぐどかせ。

「で、おっさん。俺の妹になんか用?」

…妹。
トンパの異常なまでの怯えようなど意識の外に放りだせるほど今の言葉に衝撃を受ける。
こいつ今私のことをなんと言った。
もし私が表情豊かでリアクションの大きい性格であったなら、「この子言葉を喋るんですよ、うふふ」という
どこぞの貴婦人が自慢する喋っているかどうかわからない猫の言葉のような文字に起こしにくい、
奇怪な言葉を発してシャルナークの顔面を思いっきり殴っていたことだろう。
だが私はもともとリアクションが薄い。と言うよりもびっくりすると固まって状況を理解しようとする。
従ってトンパがどこかに走り去った今も、1点を見続けながら頭をフル回転させているのである。

、大丈夫?」

大丈夫じゃない。
きっとトンパに絡まれていたせいで私の動きが鈍っているのだと思っているだろうが、それは違う。
お前のせいだこの野郎とその目に語りかけてみるが伝わるはずもなく。
まだ試験が始まっていないのに、この疲れようはなんだ。頭が痛い。
私を疲れさせて大人しくさせようとするこいつの戦略なのだろうか。
非難がましい私の視線を気付いていないのか、それともサラリと流しているのか、シャルナークは
笑顔で「大丈夫みたいだね」と言いくさった。


脱力気味で突っ立っていると、どこからともなく振り子時計の8時を知らせる音が鳴った。
弦をゆるく叩いているような古い音だ。
それが鳴り終わると同時に、背後にあった扉からカチリと音がする。たぶん鍵がかけられたのだろう。
時計の音が反響する会場の空気が硬くなる。地面に座っていた人々が荷物を持って立ち上がる。
いよいよハンター試験が始まるようだ。緊張した空気に静かな衣擦れの音が乗せられる。
唾を飲みこむ音でさえも聞こえてきそうな中、前方で重い扉が開かれた音が響いた。そして硬い足音。

「ようこそ。私は一次試験の試験官を務めるトルエと申します。どうぞよろしく」

礼儀正しいが威圧感を与える喋り方だ。
例に違わずマッチョな壁に遮られて試験官の姿が確認できないが、声からして初老。
トルエという試験官は、一次試験の会場まで距離があると告げて移動しだしたらしい。
受験生が誘われるように歩き出す。上から見たらきっとカルガモの親子のようなんだろうか。
どうやら原作のようにマラソンというわけではないらしく、徐々に走り出したりはしなかった。良かった。

しばらくして見えてきたのは、大きな扉が五つ、横一列に並んでいる広い空間だった。
見比べてみるが、それぞれに違いはない。どれも両開きで鉄製の、洋風屋敷にありそうな扉だ。
トルエがよく通る声で威厳たっぷりに説明した一次試験の内容は、こんな感じだった。


この扉の向こうはただの迷路。入り口は五つ。番号札の順番通り、左の扉から入っていけ。
試験の合格は当然ゴールまで辿り着くこと。制限時間は5時間。
なお迷路には五つのエリアが設けられている。
第一のエリアから第二のエリアへ渡るには、ある通路を抜けなければならない。
通路は二つあり、どちらか一つの通路を通る必要がある。
しかしその通路は1時間毎にエリア1から順に塞がれていく。
つまりエリア1を1時間以内にクリアしなければそこで失格になる。

以上が条件だ。それ以外にはない。
同じくそれ以外に規約はない。ゴールが出来るのであれば、中で何をしようと勝手だ。
迷路内には罠などは一切ない。しかし罠を設置するのは自由だ。殺し合いも好きにしてくれ。
ただ他の受験生の番号札を持ってきた者には、二次試験で多少有利になるとだけ言っておこう。

以上だ。


説明が終わった後、1番から順に番号を呼ばれ扉へと吸い込まれていく。
時間をほとんど置かずに次の受験生が隣の扉へと潜りこむ。
速いスピードで受験生がいなくなっていく中で、やっと試験官の姿を目にする事ができた。
黒い上品なスーツに身を包み、背の高い帽子を被っている。ステッキを片手に持っているその様は、
英国紳士そのもので、白い髭を生やした老人だった。
しかし時おり帽子の下から見える眼光は鋭い。さすが試験官を任されるだけはある。

「714番」

もう扉の前に待機している人数は10人もいない。もうすぐここは無人になるだろう。

「715番」

扉の中はどうなっているのだろうか。暗くてよく見えない。

「716番」

試験官のトルエは微動だにせず残っている受験生を射抜いている。

「717番」

シャルナークが動く。絶対ゴールしてよね、と釘を刺すように言って音もなく闇に紛れた。

「718番」

私の番だ。真ん中の扉へと歩を進め、その扉をくぐった。
大きな黒い口に埋まれ、小さな不安に襲われる。
しかしすぐ横にはがいて、そのふさふさした毛が感じられる。
きっと私の後には誰も入ってこないだろう。
奥に向かって進んでいる背後で、最後の番号が呼ばれる声が聞こえた。
そのすぐ後に、低音を響かせて扉が閉められる。
迷路の明るさは試験会場とほとんど変わらなかったが、入ってすぐ道が4つに分かれていた。
明かりは曲がった先から漏れている。
だから入り口は暗く見えたのかと思いながら、とりあえずに行き先を決めてもらおうと、その背に跨った。



14 text 16