平面世界で見た事のある携帯を片手に草むらから出てきたのは、笑顔を貼り付けた金髪青年だった。
手の平に収まりきらない携帯の頭部に動物の耳が見える。間違いなくあの腹黒マッチョだ。
確かに原作で彼はハンター証を持っていた。しかしよもや今期の受験生だと誰が予想できようか。
私はこの世界に来てから総計1年も行動していないが、幻影旅団との遭遇率がちょっと高い気がする。
美術館や展覧会での殺戮に巻き込まれるならまだしも、どうしてこう日常生活の中で出会うんだろう。
どこの星の下で生まれれば「出会う」よりも「出遭う」に近い奴と鉢合わせになるんだまったく。
あぁ、そうか。そういえば私は流星街のお膝元で目が覚めたんだった。
なんて偶然。なんて不測の事態。迷惑千万とはまさにこの事である。



ミスマッチ13



シャルナークの歩みを目の端に入れながら、とりあえず体が傾きながらもまだ突っ立っている男に近寄り、
体重がかけられている右足の膝窩部を殴った。要は足かっくんを拳で、だ。
後ろに倒れてこないかと心配したが、面白いくらい綺麗に膝から崩れ落ちて、ゆっくりと前のめりに倒れていった。
その項部分に手を伸ばし、刺さっていた針を引っこ抜く。画鋲のようなアンテナだ。
アンテナが抜ければ目を覚ますかと思ったが、重力に従い仲間の上へと伏した。仲の良いことだ。
動かないことを確認してから漸く腹黒に向き直る。
私から約3メートル程だろか。離れた場所で立ち止まっていた。
携帯を片手に持ったまま何が面白いのか無言でこちらを見つめている。
その視線には観察めいたものも感じ取れ、居心地が悪い。ついでに腹が立つ。
私の不審気な視線に気付いたのか、人の良さそうな、好青年のする笑顔を貼り付けたまま、
小首を傾げて可愛く言えばコテンと、正直に言えばそのまま折れてしまえと思う動作をした。

「こんにちは」

こんにちは。半ば投げやりのように心の中で返事をする。
ついでにお前のその服はドラえもんに出てくる未来人の服ですかと。
じっと相手の出方を見極めようと緊張させていたが、それらがまるで無駄だと言うかのように
シャルナークは好青年の姿勢を崩さない。あくまでもそれを突き通す気なのだろうか。
ずっと手に持っていたままだった携帯をポケットに捻じ込み、それ、と私の掴んでいるアンテナを指した。
言わんとしていることは分かるが、近づきたくない。
それがこの胡散臭い笑顔からくる不信感なのか、幻影旅団の一員であることへの警戒心なのかは
わからないが、今はもいない状態だ。迂闊に近付かない方が良いだろう。
これだけ近ければ一歩踏み出そうが後ろに下がろうが大して変わらないかも知れないという考えが
ちらりと頭を掠めたが、あえて気付かないふりをした。
もうここまで距離は近いのだ。遠ざかれば私が不審だし、近づくのは勘弁願う。
私は手に持っているアンテナを見もしないまま、目の前の腹黒に投げ返した。
絡まれていたところを助けてくれたのか定かじゃないが、一応恩人に値する人物だ。
でもまぁいいだろう。きっと奴は気にしない。
放られたアンテナを難なく受け取り、それを一瞥した後、携帯と同じようにポケットへと入れる。
貼り付けた笑みのまま、腹黒は言った。

「後ろにいる犬、君のペット?」

やっぱり、ばれてた。
こんにちはの挨拶場面くらいからが腹黒の背後の茂みに潜んでいたのだ。
さすが幻影旅団だと思いながら、この有能な頭脳に妬みではない、後ろから脅かそうとして
その前に気付かれた類の舌打ちしたくなるような衝動にかられた。
ずっと垂れ流しにしていた殺気を収めると、が茂みから出てきて私の横に並ぶ。
腹黒と私を交互に見やり、状況判断をしているようだ。の頭を1度撫でる。
これからどうしよう。とりあえずこの腹黒をあの小屋まで届ければいいのだろうか。
いやそれともここで白を切って普通の子供を装ったほうが良いのだろうか。
さっき突っ掛かってきた奴とのやり取りだって、私は喋ってもいないし攻撃もしていない。
まだ頑張れば普通の子供として演じきれるような気がする。
私は無害で無関係であることを示して、腹黒には勝手に試験会場に行ってもらおう。
よしじゃあまずは普通の子供らしく犬と戯れてみようかと、にタックルを仕掛けようとしたところで
思考中ずっと黙っていた腹黒青年は声を発した。

「俺、シャルナーク」

よろしく的な笑顔と手を差し出す。いきなりの自己紹介ですか。
シャルナークはさっきよりも眩しい笑顔を私に向けている。
こいつが太陽だとするならば、世の一般人の笑顔は豆電球だ。それほどに眩しい。
でも私眩しいの嫌いなんだよなとその顔から視線を外す。川で泳ぐ魚の体が陽に反射し、光った。

「ねぇ、君の名前は?」

どこかで聞いたことのあるような台詞に、ふと黒髪少年を思い出す。
少年時代の団長と同じ質問を受けたわけだが、生憎ここには以前と同じような文字を書けるものがなかった。
声を出すつもりもないので、とりあえず諦めてもらおうとそのままじっと黙っていたが、
何を思ったかシャルナークが紙とペンを取り出して渡してくる。
ポケットティッシュみたいにいつも常備してたらちょっとイメージ崩れるなと思いながら、
私は少し戸惑いながらもあの時と同じように名前を書いた。



久しぶりの日本語で書く。読めるとは思えないが、ちょっとした悪戯だ。
特に何の意味もないが、先ほどに気付かれた時の仕返しだ。せいぜい困るが良い。
紙とペンを返し、その反応を伺う。
もう1回紙を手渡されたらハンター語で書こうと思っていたのだが、予想に反して腹黒は
眉をひそめたり紙をひっくり返したりせずに、じっと文体を見つめている。
それどころか先ほどよりも"面白い"という雰囲気がありありと漂っていた。
顔を下に傾けたまま視線だけをこちらに寄越し、口角を上げる。
すごく嫌な予感がする。というか嫌な予感しかしない。またもや世の定理に縛られそうだ。
ナビゲーターとかもうどうでも良いから帰ろうか。本気でそう思う。
こんな奴のナビゲーターをやるくらいならカレンに連れ回されていた方が楽かもしれない。
天秤にかけてもどちらが傾いているかわからない程の差だが。でもカレン自体は無害だ。
とりあえず小屋の方向だけ指差してあとは手を振って見送ろう。
す、と腕を上げて行くべき道を案内した。後は勝手に行けとその顔を見続ける。
きょとんとした顔して、私と私の指差す方向を見比べる。
勝手に行けという意思と少しの嫌味がわからないのだろうか。
さようなら、と意味を込めて手を振ってみるが、やっぱりどうにも動かない。
最初のような貼り付けた笑みではない、ちょっと楽しんでいる節がある笑顔で、ね、と言った。

「これからハンター試験受けに行くんだけどさ、」

知ってる。
シャルナークは歯を見せて笑った。

「一緒に行かない?」

私の中で、思考の固まる音が、聞こえた。
さらさらと川の流れる平和な音だけが聞こえる。たまに魚が跳ねる音。
朝と変わらない音と場所で、ただ立ち尽くす。こいつは今、何と言った。
頭の中でその言葉が反響しているが、理解しようとするのを脳が拒否している。それだけは分かった。
しかし脳が拒否していようが、紙に水を垂らすかのようにその言葉は浸透していくのだ。
ようやく再開してきた思考で何かを考えるよりも、思わず笑みが零れそうなほどの殺意が湧いた。
ふざけるな。なぜ私が行かなければならないんだ。こいつの思考回路が理解できない。
シャルナークの頭の中で現状と企みがどんな構成をされてこの結論に至ったのか。
1度でいいからその頭を割って見せてくれないだろうか。
半目になっていくのを抑えられず、睨みつけるような形でシャルナークを見やることになったが、
特段気にしている様子はない。そこがまた腹の立つ所である。
私が黙っていても大人しく返事を待っているのか、何もアクションは起こさなかった。
ただじっと私を観察している。あぁ腹の立つ。
を嗾けてやろうと思ったが、きっと勝てない。負ける戦をした所で無駄な怪我を負うだけである。

シャルナークはきっと、私のことを知っている。
昔クロロに流星街で会った時、私は日本語で自分の名前を書いた。
クロロはそれを読めなかったはずだ。
そこまで固執するかは断言しかねるが、奴ならきっとその文字を読もうとする。
だとするとノブナガか、もしくはシャルナークにその文字を見せている可能性がある。
間違ってもウボォーギンとかフィンクスには見せていないだろうが。
であれば、だ。その時シャルナークがクロロから私の事を聞いていてもおかしくはない。
私は黒髪黒目で容姿に特徴があるわけではないが、との組み合わせは特徴的だろう。
そして決定打は先ほどシャルナークに渡した自分の名前が日本語で書かれた紙だ。
その時からシャルナークは貼り付けた笑みをしなくなった。代わりにおもちゃを見つけたような顔をしている。
これはもう決定的だな。奴は私を知っている。
やっぱりに生肉の味を覚えさせてあの筋肉質な青年を食べてもらった方がいいかも知れない。
いやでもしかしそれだと次の犠牲者は私である可能性が高い。それは避けるべきだ。
このシャルナークの提案をかわす良い手立てはないかと思案していたところに、
とうとう待ちきれなくなったのか、それとも私の邪気を感じて止めに入ったのか、奴は追撃をしてきた。

「行かないなら、攫うよ」

とても良い笑顔で言ってのける奴の首が、本当に折れてしまえと、そう思った。



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