朝6時。
まだ外は薄暗くて寝起きの頭を覚醒する役目を果たしてくれない。
空気は氷が舞っているように寒くて、被っている布団の暖かさが更に夢の世界へと誘った。
私は今日これから受験生に試練を与えるが、その前に私にはこの天国のような空間から起きだすという
試練が待ち構えていたようだった。
これを乗り越えたところで何の報酬もゴールも待ってはいないが仕事を一度引き受けた身。
ここで挫けようものなら一飯どころじゃない恩を仇で返すのと同じである。
こういうときはノロノロと起きるんじゃなく一気にがばっと起きたほうがいいことは知っているが、
如何せん布団が気持ちいい。呼吸もだんだんとゆっくりになって知らぬ内に思考がまどろんでいく。
朝の幸せを噛み締めて二度寝の体制に入り始めたとき、何かが顔に乗せられた。
わずかに冷たくて弾力のある、表面がすべすべしているそれ。
思い切り払いのけ目を開けてみるとの肉球であることがわかった。
私の「6時に起こせ」という言葉を忠実に実行しているのだが、寝起きはどうも感情の抑制が効かない。
私は腹の中を這いずり回る感情そのままに、へとラリアットをかまして布団から出た。
清々しい朝である。

 

ミスマッチ12

 

冬の朝、干したてのぬくぬくした布団から這い出すという試練を乗り越えた私は待機すべきポイントへと赴いた。
森に入って比較的浅い地点にある細い川である。辺りには先日降った雪が少しだけ残っていた。
その川辺にごろごろ落ちている岩のひとつへと腰を下ろし、持ってきていた本を隣に置いた。
吐く息が白く空気中へと投げ出され、長い間消えずに漂っている。吸い込む空気は冷たい。
今日はここで受験生が来るのをひたすら待つのだ。靴に仕込んだカイロが夜まで持つだろうか。
朝靄が薄っすらと立ち込める森に川の流れる音だけが響く。風もなく鳥もいない。静かな場所だった。

受験生の辿るルートはサマルトリア王子を見つけ出す以上に面倒である。
少女の祖父に説明されたが、その説明時間は10分にも及んだ。つまり、ひたすら遠回りなのだ。
しかしここが最終地点。この近くの小屋に試験会場へと続く道が作られている。
一体いつから試験会場として使用するのに工事をしていたのだろうと疑問に思ったが、
念能力者が周をすればショベルカーもいらず短期間で道程は完成するだろう。
まったく現代文化を嘲笑うような化け物の集団である。
私はこれからその化け物集団に仲間入りしようとする卵たちに会うのだ。
といっても皆が皆強いわけではない。8割は試験会場に着くまでもなく落ちていくんじゃないだろうか。
そんなことを呆としながら考えた。相変わらず川の流れる音だけが意識の底辺を撫で付けている。
雪解け水で元気に泳ぐ魚を見ながら、元気だなと老人のようなことを思った。

ナビゲーターは受験生に試練を与える。お眼鏡にかなわなければ独断と偏見で失格だ。
ハンターを目指そうと意気込む荒くれ共にはさぞかしプライドを傷つけられる試験だろう。
私が用意した試練は、こんなひ弱そうな子供に手を上げることなく感情の抑制が効くか否か、だ。
ここまでの鬱憤晴らしのためにちゃっかり殺してしまおうなんて慢心を抑えられるか試すことにした。
には岩陰へと身を潜めてもらい、手を出そうとした奴を容赦なく川へ投げ捨てるよう言ってある。
ハンター試験の試験場まであと少しという所で油断して、自分の力を驕る奴も出てくるだろう。
そいつらを試すのだ。しかし試すと言っても、ハンターたる者こうでなくてはならない、と説教する気はない。
世間的に見て悪者であるからでもない。ならなぜそれを試練としたのか。
それは、 体が縮み不便さを必死に考えないようにしている私への侮辱であるからだ。冷水の中で後悔するがいい。
いや決して特に思いつきもしなかったし用意も面倒だったからとかそんな理由じゃないのだ。
しかしまぁそんな奴はそうそういないだろう。ここまで来るのに相当試されているはずである。
疑心暗鬼になって手を出さないか、私が何者か判断するまでは大人しくしていると思う。
さてどんな奴がここに来るのか、とつらつら考えながら置いておいた本を手に取った。
街の古本屋で見つけた、珍しくも日本語で書かれた本である。
史書とか教本ではなく、どこぞの著者の短編集。ただの文庫本だ。
久しぶりの日本語を懐かしく思いながら、私は本を開いた。もうすぐ7時になる。


ここはナビゲート地点ではあるが、すぐ近くに試験会場への入り口もある。
勘の良い奴なら私を経由しなくてもその入り口を見つけてさっさと入っていくだろう。
それに試験会場に集まる受験生は百単位から千単位までいる。
そんな人間が一箇所の道だけを使って試験会場に行こうものなら、ドラクエ3発売初日のように
この森の中には長蛇の列が形成されてしまう。
そんなことにならないよう、入り口はここだけでなく他にもたくさんあるはずだ。
だからきっとここにはあまり受験者も来ないだろう。
と、こんな事を考えていた。1時間に一人か、2時間に一人か。きっと暇だと。
しかし予想に反して私が案内する受験者第一号が現れたのは、本を読み始めてから5分と経たない頃だった。
几帳面そうな顔をした、30代程の男である。しかし荒くれとは思えないほど紳士的な立ち振る舞いであった。
特にどこが、とは具体的には分からなかったが、私に危害は加えない。それだけは分かった。
律儀に「おはよう」と声を掛けきた男に、私は試験の合格を心の中で言い渡す。

「この辺りにアムラスというお爺さんは住んでいるかい?」

合言葉として定められた、「アムラスという老人を訪ねろ」というものを至極丁寧に聞いてくる。
穏やかそうな空気を纏っていたが、この短期間でここまで来たとなると結構すごいんじゃないだろうか。
にこにことしているその顔が、他人を傷つける時に見せる冷酷な表情を勝手に想像する。うわ、怖い。
思考が遊び人のように吹っ飛んでいても、体は仕事に従事する。
小さく首を縦に振り、岩から飛び降りて「付いて来い」と視線を投げかけた。
私がナビゲーターであることは前の地点で聞いているはずなので、事はスムーズに運ばれた。
川辺から小屋までの間、私と男性の間には距離が開いており会話もなかった。当然のことだが。
男性のもっと後ろの方にはの気配がある。どうやら気付かれずに付いて来ているようだ。
歩いて数分で目的の小屋まで到着する。
どこにでもあるログハウスではあるが、今立っている足元には空洞があることだろう。
ドアの前に立ち、ノックを数回、事前に決められたリズムで叩いた。
そして現れたのは少女の祖父である。「アムラス」だ。
そこで一度私と少女の祖父は視線を交わし、受験生を受け渡した。
「アムラス」が気さくに私の背後にいた男性に話しかけ、お茶でもどうかと誘っている。
その会話を耳にした後、私は持ち場に戻るべく踵を返した。が出てきたので、遠慮なく跨った。


その後も思ったより短い間隔で受験生が訪ねてきた。
太陽が南中を通過する頃には小川と小屋の往復を十数回こなしている。
本に集中することもできず、小さな子供に試されるのがお気に召さないのか刺々しい雰囲気を
隠そうともしない受験生を引き連れて小屋へと移動するのは、かなり神経をすり減らす重労働であった。
しかし今のところ私に手を出そうという奴はいなく、至って平和ではある。
小屋のノックのし過ぎでリズムと振動が手に残り、時おり幻聴が聞こえる以外は。
その幻覚を消そうと手を開閉していると、また背後に気配が現れた。見知った気配だ。
振り向くと、そこにはカレンが立っていた。
いやいやいや、お前ここで何してんの。すごい危険なんだけど。
ここは自称猛者が通る道なのだ。私にはが付いているから良いものの、こいつは身一つ。
今ここでそのお気楽な頭に現状と迫り得る危険と何をすべきかの説教をしてやりたい所だが、
それよりもここを早く離れろと言いたい。本当に何しに来たんだこいつは。

、お昼ごはん!」

いっそのことバシルーラでも唱えてやろうかと思っていると、カレンは元気良く「じゃん!」と言いながら
ショルダーバックからサンドイッチと水筒を取り出した。
それを私に押し付ける勢いで渡してくる。呆気にとられて反射的に受け取ると、
そういえば腹が減っていることに気が付いた。そうか、これを届けに来てくれたのか。
ありがとう、と素直に礼を言い、でも危ないから早く帰りなと世間話を始める前に言っておく。
途端に頬を膨らませてふくれっ面になってしまった。私とがいないから暇なんだろう。
その膨れ面は可愛いが、やっぱりまだここは危ない。早々に帰らせるべきである。
しかしこのまま一人で帰らせるのも同じく危険であった。少しの間思考を巡らせ、仕方がないと一つ溜息をついた。

を付かせるから、早く帰れ。危ない」

岩陰に隠れていたを呼び、カレンを家まで送るように頼んだ。もちろんその後ここへ戻ってくることも。
その間私は無力な子供と化すが、あの家から借りてきた果物ナイフを忍ばせてある。丸腰ではないだけマシだ。
まだカレンは納得のいかないような、寂しそうな顔をしていたが仕方がない。
きっと私がやっていることの大半をカレンは理解していないだろうが、"仕事"であることは分かっているらしい。
渋々ながらも小さく頷いて街の方角へ走り出したカレンを追って、も小走りに付いて行った。
駄々を捏ねないまでも、私の心情としてはちょっとしたハリケーンが過ぎ去った後のような情景を携えている。
想像以上に素直に引いてくれて助かった。に無理やり連れて行ってもらうことにならずに済んだのだ。
私は早く食べてしまおうと、水筒から暖かい紅茶を注ぎ、サンドイッチにかぶり付く。
卵とマヨネーズと胡椒の絶妙な味加減が口の中一杯に広がった。美味い。
そういえば最近は(カレンに連れ回される日々を遊びと称するなら)平和な毎日が続いていた。
しかし忘れていたのだ。この世の定理を。悪いことはタイミングの悪い時にやってくる条理を。

サンドイッチを食べ終わり、食後の一杯も済ませた後のことだ。
どうやらカレンに捕まったらしくは中々帰ってこなかった。
ご愁傷様と心の中で呟き、きっと今頃はおもちゃにされてるんじゃないかなと思いを巡らせていると、
背後から話し声が聞こえてきた。2人組みの男だ。
すぐ近くにまで来てようやく私の存在に気付き、足とお喋りを止めた。
あの話し方からするに、どうも穏やかな内容ではない。大方この試験に対する不満か何かだろう。
現にその視線からは不機嫌オーラが漂い、こちらまでも不機嫌にさせる表情をしていた。
私に対しての態度を露骨に表したまま、片眉を上げている。その眉間には皺が深く刻まれていた。

「もしかしてお前がナビゲーターか?」

ふざけんなよ、とでも言いたそうな口調で姿勢を正そうともしない横柄な態度。
こいつ絶対自分の歩いている前を横切られたら腹を立てるタイプだ。ついでに酒に酔ったら性質が悪くなる。
年下には年長者の言う事を聞くものだと豪語し、部下には目上の人間を敬えと言っていそうである。
すべてにおいて癪に障る、私としては目障りこの上ない存在だ。
それは相手も同じなのだろう。この道すがら訳の分からない多人数に試され不快な思いをしてきたのに、
最後に現れたのは年端も行かない、自分の足元にも及ばないような子供。
そんな子供に試されるというのは、どうにも納得のいくものではないらしい。

「おい、アムラスっつー奴を知ってるか」

ガラスのテーブルにガラスのコップを置くようなピリピリした雰囲気の中、最初に話しかけてきた
奴ではない方から、同じく邪険にするような扱いでぞんさいに聞いてくる。
この2人組みはやっぱり身長の高低差があり肥満系と痩せ…てはいないが太ってもいない体格で、
あの流星街で出遭った雑魚を彷彿とさせた。
ただあの時との違いと言えば、こいつらの腰にこれ見よがしに大口径の銃が吊り下げられていることだ。
この試験会場間近まで来れたのだからその腕前は相当なものなのだろうが、私はこいつらに合格を
言い渡す気はない。完全に私の偏見ではあるが、試験管の気分を損ねれば失格にもなるのだ。同じことである。
私が首を縦にも横にも振らず、ただじっと立っていた事が癇に障ったのか、イライラしているのが
手に取るように分かった。なんて表情が出やすい奴らなんだ。
ガラスのテーブルに亀裂が走り、砕け散るまでカウントダウンされそうな状況であったが、
私には焦りの一つも現れなかった。今私の元にははいない。ついでに相手は銃だ。
勝算など自然数の中に存在しなかったが、こんな奴らには死んでも屈したくない。その思いだけが腹の底で蠢いている。
水筒を地面に置く振りをして、そっと腰に隠していた果物ナイフの柄を握った。
これを投げて上手くいけば、片目ぐらいは潰せそうである。
初めて意図的に殺気を出し、拡散させたオーラに練りこんだ。脅し程度のものではあるが。
一瞬びっくりしたような顔をしたが、しかしその殺気に圧されることはなかった。
それどころかバネの役割を与えてしまったらしく、あちらもやる気満々である。
子供相手、ということで銃は抜いていないようだが、この殺気の状態を感じてただの子供ではないことは
察知したようだ。太った奴が指の骨をバキバキ鳴らしながらゆっくりと近づいてくる。
こういう時って何でか太った奴から前に出てくるよなと思いながら、私もゆっくりと片足を後ろに引き、前足に支点を置いた。
私がここで飛び出しても避けられるのは目に見えている。カウンターを狙おう、と近づいてくる男の一挙一動に集中する。
攻撃をする時、どうしても予備動作や体重移動が必要となるのだ。それを見逃さないように集中をして。
凝をするような体制になり、自然と男のオーラが目に見えてくる。垂れ流し状態だ。
とうとう男の腕が届く距離まで近づき、足元で石と石が擦り合わさるじゃり、という音を合図に男は地を蹴った。
何を考えるでもなく、その場を飛び退いた。相手に背を向けないよう、体を捻りながら着地した私が見たものは、
ゆっくりと前倒れになっていくその男の姿だった。
その隣にいたのは、この男の相棒か仲間であった奴である。
突然何が起こったのか、と驚愕する前に、太った男は軽い地響きを上げながら地に伏せた。動かない。
行動の真意を測るように立ち竦むもう一人の男を見やると、そこには先ほどとは打って変わって
目に生気が宿っていない男が見て取れた。こちらも動かず何もない宙の一点を見つめるばかりである。
状況の理解に苦しみながらも観察していると、男の体にある異変があることがわかった。
首元だ。項の部分に、こいつの物ではない異質なオーラの塊があった。
それが何かを理解するのと同時に、草むらの向こうから人影が近づいてくるのが分かった。
ガサガサと足音を消そうともせず、草を掻き分けながら出てきたのは、偽者くさい笑顔でお馴染みの金髪だった。




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