眠気という絶大な力を持った引力に意識を引っこ抜かれそうになりながら、
半ば足を引きずるようなかたちで私と男性を背負ったは歩き続けた。
何度から力なく垂れ下がった足を持って引き摺り下ろし、
私専用のベッドと化しているこのふわふわの毛に飛び込もうと思ったかわからない。
しかしいくらなんでもそれは非情すぎると自分を制御しここまで来たのだ。
ようやく獣道から山道に出ることができ、その踏み固められた土を踏みしめた。
やっとだ。やっと私は一般人に会うことが叶うのだ。長かった。

 

ミスマッチ07

 

前方には人工物の明かりが夜道を照らしており、その下で歩き回っている人々がいた。
各々の手には懐中電灯が握られており、皆一様に険しい顔をしている。
その様を森から出ながら近寄ってみると、若い青年がぎょっとした目で私を見た。
その近くにいたおばさんも青年の表情に気付いてこちらを振り向き、同じようにぎょっとした。
あれ、私そんなに汚い格好をしていたっけな、と体を見渡してみるとなるほど。
数日森の中で過ごし洞窟で寝ていただけあって私の服は土にまみれてボロボロだった。
髪はかろうじて水浴びしたおかげでそこまで酷くはないと思う。

前方からのざわめきが消え、顔を上げてみると皆クリオネの食事シーンを見たような顔をしている。
目と口をポカンと開き、電池切れしたロボットみたいだなとなんとなく思った。
人って驚くと本当に固まるよねと冷静に観察していると、その内の、最初私に気付いた青年が叫んだ。

「父さん!」





森で倒れていた男の顛末はこうだ。

彼には子供と孫がいた。孫は難病に苦しんでいた。
医者に見せてもお手上げ、どんな薬を試しても一向に良くならない。
じわじわと弱っていく様をただ見ていることは出来ないと、男は立ち上がった。
森の中にはどんな病気も治すと言い伝えられている薬草があった。
それを探して森に入ったが、もともとあまり人が入らない森の中。
案の定道に迷いかれこれ2日が経過した。
夜通し歩き回った男は疲れ果てとうとう意識を失い倒れた。


そもそも「どんな病気も治す」というところでそれは嘘だろうと思ったが口には出さなかった。
きっと男性もそれを薄々感じていたが、藁にもすがる思いだったのだろう。
あれから男性はこの街の病院へと搬送され、手当てを受けているようだった。
体が冷たくなっていたのは貧血とか熱とかそんなことかな、と頭を撫でられながら思った。
私を完全に子ども扱いしているこの青年は男の子供である。
成人を過ぎ、若いと思っていたがもうすぐ三十路だと言う。童顔だ。
お礼がしたいと家に招き入れてもらった。
子供相手に律儀だな、と思いながらきっと裏があるんじゃないかと思う。
普通に考えてこんな子供警戒の対象だろう。
汚い格好で森から犬とともに現れた裸足の子供。
まさかこの街には「森から犬と共に現れた子供は悪魔だから殺せ」みたいな
言い伝えとか風習があるんじゃないだろうか。
まずは餌を与えて信用させ、睡眠薬の入った茶を飲ませる。
眠ったところをザクリと一刺し。お陀仏。
みたいなことを頭の中で展開させていたが特に問題なく私は食事を済ませ風呂を借りている。
も特に警戒することなく家人に撫でられていたからそんな黒い背景は存在しないのだろう。
ちょっと高級なご飯をもらったから懐いたとかそんなじゃない。きっとそうだ。そう信じたい。

久しぶりの風呂を浴びた私は用意されていた服を見て毛が逆立った。
可愛らしいピンクのパジャマである。
これどこから持ってきたんだと問いたくなるほど丈はぴったりだった。
いやそれよりも私はピンクの服とか苦手なんだけどとは思ったが、
私は食事と風呂を与えてもらった身である。
さらにパジャマが用意されていることからして泊まっていけと言っているのだろう。
まさか宿まで用意してくれるとは思わなかったがピンクは勘弁してくれないかと 心底思った。
しかし私はお邪魔しているのだ。訴える術も材料も持っていない。ちくしょう。

人の魂を背後に浮かばせながら私は風呂場から出た。
リビングをそろっと覗くとおばさんが私に気付き近寄ってくる。
この人は倒れていた男性の奥さんだった。綺麗な人だがふくよかである。

「あらよく似合ってるじゃない。サイズもピッタリね!」

うふふとものすごい嬉しそうな顔をして私の前にしゃがみこむ。頭を撫でられた。
度重なる子供扱いにイラッとしながらもそれを表に出さないようがんばった。
私は居候。私は居候。私は居候。
湧き上がる感情を押さえ込み、かろうじて首を一度縦に振って返事を返した。
リビングで一緒に寛いでいたも近寄ってきてフンフンと鼻を鳴らす。
なんだ畜生似合わないとでも言いたいのか知ってるよそんなこと、と鼻を掴んでやった。
しかしそれでも鼻を鳴らし続けている。パジャマに反応しているのか。
私の周りを一周してようやく落ち着いたは一度私を見上げ、目を合わせてる。
そしてすぐに家の廊下へと出る。どこへ行くのだろうかと私も後を着いていく。
背後からおばさんの声が聞こえたが聞こえないフリをした。
私は勝手に歩いていくを咎めるんですよと聞こえないのを承知で心の中で呟いた。
はある部屋の前で座っていた。その状態で私を見上げている。
開けろということかこの野郎。私に命令しやがってと思ったがここで断ったらきっと
ピンクのパジャマが赤に染まるのでおとなしく部屋のドアノブを捻って押し開けた。

そこは人形やおもちゃが飾ってある可愛い子供部屋であった。よく片付いている。
いや、よく片付けられすぎている印象がある。まるで使っていないように。
掃除担当の家人が綺麗好きならば納得できるが、台所に置かれていた調味料は
整然というよりも使いやすいように並べられていた。
汚くもなく特段綺麗でもなく、一般家庭の台所そのものだ。
は遠慮もなく部屋の中へと踏み込みベッドの上を見ている。
私は勝手に部屋へ入ったを叱りにきたんですよといった顔をしながら部屋へと入った。
そこまで広い部屋ではない。入ってすぐにベッドの上を確認することができた。
そこには少女が寝ていた。栗色の毛の可愛い顔立ちをした女の子である。
布団も整えられていてまるで人形のように静かに眠っていた。
これで顔色が悪くなければ私は勝手に部屋に入った罪悪感を感じていただろう。
少女は森で見つけた男性のように顔色が悪かった。体も冷たい。
なるほど、この子が今回の出来事の中心人物なのか。
医者に見せても原因不明、病状不明、ただ眠りながら弱っていく。
食事をしなくてもやせ細ることはなく、この少女の時間だけがゆっくりと
過ぎていっているようだと思った。

だがそんなこと起こり得ないのだ。通常では有り得ない。
背後で物音がする。少女の父親が立っていた。
悲しそうな顔をしながら私の頭をなで、眠り続けてもうすぐ1年になるのだと教えてくれた。
私を見ている目はどこか遠く、私を映していないことは瞭然だった。
きっとこの少女のことを思っているのだろう。
このピンクのパジャマもこの少女のために買い与えられていたに違いない。
どんよりと肺の中に重量のある黒い煙が溜まっていくのを感じた。
この子の話し相手になってくれるかと聞かれたので、首を縦に振った。
話すことなどできないことは分かっていたが、私は試したいことがあったのだ。
少女の近くにいる許しをあちらから差し出してくれたのだから断る手はない。
椅子を持ってくると出ていった少女の父親を見送り、改めて部屋を見回す。
置いてあるものは家具よりも人形やおもちゃが多かった。
小さな本棚は大部分が人形により支配されていたが、絵本がいくつか置いてあった。
その背表紙を見つめてふとした違和感を感じたので手にとって捲ってみる。
もとの世界でもよく見かける赤い頭巾を被った女の子と狼の話である。
見開きの左側には可愛い絵が。右側にはハンター文字が書かれている。

私は漫画を読んだことはあるが、地図が書ける友人のようにはまった訳ではない。
面白いから読み進める。その程度だ。買ってもいない。
しかしどうだろう。紙面に記されている記号のような文字を私は詰まることなく
読み込むことができたのだ。
もちろん平仮名や片仮名だって忘れていない。漢字も思い出すことができる。
赤い頭巾の少女がお婆さんの家のドアをノックしたあたりで私は絵本を閉じた。
釈然としない思いが喉のあたりで引っ掛かっていたが、まぁいい。
読めるのであれば大変便利だ。深く追求するのはよそう。
ここで追求したら6本足の蛇についても追求しなければならない気がして早々にやめた。
もとの本棚へと戻したところでちょうど少女の父親が椅子を持って戻ってきた。
お礼のつもりで一つ頷き、ベッドの横へと置いてもらった。
そこに腰掛けて改めて少女を見る。年は5歳くらいだろうか。まだ幼い。
も私の横に腰を下ろし、少女を見ている。
いや、少女というよりも少女の周りだ。
やっぱりそうなんだなと確信した私は、少女の父親がリビングへ戻ったことを確認し、
目に力を込めた。本当であれば「集中する」行為であるが私には「力を込める」方がやりやすかった。
イメージとしては意図的に瞳孔を絞るように。一点の小さな黒い穴の先にあるものを定めるように。

そして見えてきたそれらは白く浮かび上がり煙のようにその先の壁を霞ませていた。
形は銀時計をぶら下げ燕尾服を着ている兎である。
アリスの話に出てくる白兎のようでもあったが、それよりも遥かに凶悪であることを
吊りあがった赤い目が物語っていた。
あぁやっぱりそうだ。こいつは念だ。誰かの念だ。
兎はちらりと私に目をやったが全く興味がないというように逸らした。
徐に銀時計を開き時間を確認している。
遠視ですかと聞きたくなるような距離で時計を見ていた兎はまたすぐにパチリと閉じた。
一瞬見えた時計の目盛りが通常では考えられないほどあった気がする。
白い時計盤に対して兎の目のように赤い針があった。もうすぐ一周する位置に。
普通の時計であれば「12」と表記されている場所には3桁の数字が存在した。
そういうことかと理解した瞬間、信じられない気持ちとともにゾッとした。
少女の命は長くない。もうすぐ死ぬだろう。
チリチリとした痛みを訴え始めた目を考慮して凝をやめた。白兎が消える。
部屋全体を覆っていた禍々しい空気も消え去り、部屋の閉鎖された空間独特の空気が戻った。
深く長い溜息を吐きだし、見えてはいないが今もまだそこにいるだろう兎を睨みつけた。
もうこの部屋で凝をしたくない。
流星街の悪臭とはまた違う、もっと意識の深い部分へと侵食してくる流動物に嫌悪感を覚えた。

時間があまりない焦りを感じながらも、これから試す結果への興味が大きく揺れ動いた。
体に纏わり付いていたオーラをゆらりと動かし、ゆっくりと少女を覆う。
この状態を累計24時間保たなければならない。先は長い。
少女の上の空間を見続けていたが私を見やった。
これから私がやることに対して興味を抱いているのか。私を心配しているのか。
膝の上へと顎を乗せて見上げてくるに大丈夫だと意を込めて撫でた。
先ほどまで兎がいた空間に視線を移し、銀時計を思い浮かべる。
時計の上部には「365」と記されていた。
私を撫でながら少女を思う父親の姿が同時に思い起こされ、私は目を閉じた。
集中するように。自分の今着ているピンクのパジャマを視界に入れないように。

 

06 text 08