ジーザス。

そう小さく呟かれた言葉に、そんなやる気のねえジーザスは初めて聞いたぜと
私よりも魂が抜けかかったようなやる気のなさで呟いたフィンクスに心から同情した。





細かな砂が擦れる音が靴底から響き、この一帯の悪環境を如実に物語っていた。
は目立つし不都合という理由から今は人形となりポケットに突っこまれ、隣には代わりにフィンクスが。
歩幅が違いすぎて私は早歩きになってはいるが、一応気遣っているのかフィンクスの歩みも遅い。
なぜ街までの道のり(スラム街)を一緒に仲良く歩いているのか。
それは言うまでも聞くまでもましてや考えるまでもなくあの無自覚自己中、通称クロロのせいである。

発端は、未だロングコートとジャージを羽織った姿でいた私に対する気まぐれ的なものだろう。
(もしそれが気まぐれではなく情けからくるものであれば拉致後4日間も放置はされかったと思われる)
日中は陽に当たって過ごすようにしていたから凍えるような寒さはなくとも、夜になれば冷え込みは一段と厳しくなり。
に埋まっていたとしても隙間から入る風が体温を奪っていく。
小さく丸まった私をクロロがふと横目で見遣り、一言「寒いか」と。
そりゃまあ寒いが薄着でいる当人を目の前にしてダルマ状態である私が寒いと言うのはなんだか癪で、
何も答えず無言でクロロを見返していると、俺は用事があるしな、とポソリと呟いて。
ぐるりと反対側に回った視線が、どこからか新調してきたジャージを着てぼけっとしていたフィンクスにロックオンされた。
あ。
嫌な予感、なんてことを思う間もなく放たれた言葉は冷えた冬の空気以上に私たちを凍らせることとなったのである。

そんなこんなで歩く人相の悪いヤンキーと、ジャージを羽織った無表情な子供1人。
なんだろうこの組み合わせは。
(私が考えた)設定上は兄と妹であるが、これではどう見ても誘拐犯と被害者である。
まだスラム街なので影から視線が飛ぶ程度で済んではいるが、きっと街中に出た途端警察に職務質問を受け
不機嫌最高潮のフィンクスを刺激し乱闘騒ぎから始まり逃亡劇に終わるというシナリオは想像に難くない。
その時はフォローとしてお兄ちゃんとでも呼べばいいのだろうか。いやいやパパの方が楽しい気がするな。
もしそこでふざけておじさんなどと呼べば警察の不審を煽ぐのみで窮地に立たされることは容易に想像ができるが、
その時のフィンクスの顔を見てみたいともちょっと思ってみたりもする。

「なんとなくお前が何考えてるかわかってきたぞ」

眉間に皺を寄せてこちらを見下ろす構図は威圧感ばっちりである。

「お兄ちゃんとパパとおじさん、どれが良いと思う」

ちなみにお勧めはパパなんだがと応えたがふざけんなと一蹴されてしまった。
仕方ない、おじさんは洒落にならなそうだからお兄ちゃんでいくとするか。
呼び名が決まったところで周りの雰囲気は貧困層から徐々に華やかになっていき。
平日の昼でも賑わいを保つショッピング街へと足を踏み込んだ。


私の服を買ってくること。
それがフィンクスに課せられた(押しつけられた)本日のミッションである。
たまたまアジトにいたという理由だけでこんな面倒なことが起きていることには同情するが、
私だって被害者である。そんな目で睨まれたってそれは八つ当たりというものだ。
もちろん今の服装にまったく不満を持っていない訳ではない。というよりも不満タラタラだ。
突然病院から拉致され4日間放っておかれたのだ。あの暖房器具もない寂れた廃墟で。
何がしたいのだと頭を抱えたくなるのも当然というか必然である。
しかしだからといってこの展開を望んだのかと問われれば全力で首を横に振るだろう。
今までにない速度で残像が見えるほどにNOと表してやる。私はそんな気持ちだ。
それに、こんなぶかぶかのジャージを着たまま街で自分の服を買ってくるよう言われた私の身にもなってほしい。
往来の激しいショッピング街を異様な組み合わせで、そして似たようなジャージを着て歩くこの恥ずかしさ。
それはフィンクスも同じであろうが、私が言いたいのはこうなったのは私のせいではないということである。
先にも述べたように黒ずくめの二重人格者が犯人。私は無実だ。
袖がだらりと手を覆い隠し膝辺りで揺れている。
周りの好奇心からなる視線に耐え抜いているのだ、褒められても良いと思う。
道のど真ん中に設置された噴水を通り過ぎ、ついに子供服が売られている店が目前まで迫ってホッとしたその時。
パトロール中であっただろう警官ふたりが視界に入り。

ああ、終わった。

そう思った。
(ちなみに余談だがフィンクスの人相はいよいよ犯罪者と化しており、子供向け店舗のメルヘンな雰囲気との
アンバランスさはそれだけで犯罪と成り得るであろうほど破壊的であった。)





職質その1。職業は?
回答。A級首盗賊集団、幻影旅団団員。

職質その2。その子供は?
回答。拉致してきた子供。

職質その3。ちょっと荷物見せてくれる?
結果。銃砲刀剣類所持等取締法違反(子供が)


これはない。
この世界に銃刀法なんてものが存在しているかは知らないが、これはない。
誰がなんと言おうとどんなに饒舌な奴がのらりくらりと言い訳をしてみたところで一片の誤りも狂いもなく犯罪である。
もちろん上記は私が心の中で正直に回答そして想像したものであり、現実はフィンクスが応対しているのだが、
それにしても事実は当人たちが認識しているよりも深刻だ。
現状に不満は覚えどもそこまで深く捉えていなかった私でさえ、改めて考えるとこれは冗談なんかで済まされる
レベルでないことは歴然で、こんな目立つコンビで街中に出なければ良かったと後悔が押し寄せてくるのは仕方ないことだ。
怪しい誘拐犯もとい顔が怖いお兄さんと、おかしな服装の子供。
一般人が見ても警戒に値するであろう私たち、というかフィンクスに対し、警察が黙ったままでいるなど有り得ない。
不穏な空気が霧のように立ち込め視界を奪うのであれば、正面に立つ警官の顔でさえ判別できないだろう。
暗雲漂うとはよく言ったものだ。
フィンクスの、嫌悪感を隠そうともしない不遜な態度が険悪な空気に拍車をかけているのは間違いない。
警官2人は先ほどから何やら小声で呟きあい事あるごとにアイコンタクトを取っている。
手は腰に当てられいつでも銃が抜けるように腕は緊張しており。
その状況にフィンクスが気付かない筈もなく、額には当社比20%増の青筋が浮かんでいた。
未だ血を見ずに職質が続けられていることが奇跡である。
物好きで命知らずな野次馬が一人二人と散ってきた頃、先に痺れを切らせたのは警察のほうであった。

「ちょっと署まで一緒に来てもらえる?」

細身ではあるが荒事に慣れているだろう雰囲気を纏い、鍔の影の奥からは鋭い眼光が覗いている。
限界かな、と。
優しい笑顔を私に向けてくれる警官の身を守るための意味も含めて、場の雰囲気を壊すように口を開いた。



「ついた」

長かった。
どうして服を買うのにここまで疲れなければならないのか。
主に精神的な疲労が私をげんなりとさせたが無事目的地へ着いたのだからまあ良しとしよう。
さっさと服を見つけてさっさと帰りたい。
幸いにも私は直感で服を選ぶのでどっちが良いだろう、ねえどっちが似合う? などと面倒なことはしない。
ずらりと並んだカラフルな色合いやフリルの付いた可愛らしいスカートの列には見向きもせず、
保温性の高いダウンコートが並ぶコーナーへ足を進めた。
なおフィンクスは買い物に来ていた奥様方からの熱い視線(もちろん良い意味ではない)に晒されながらも
律儀に店内へ入り私に付いてきてくれている。
もちろん私は一銭も持っていないのだから付いてきてくれないと困るわけだが、フィンクスのことだから
金だけ渡して外で待つかどこかふらりと行くであろうと思っていたので、ちょっと意外である。
試着室が設置されている店内中央を抜け、奥へ。
赤、ピンク、オレンジ……虹のように並んだ棚を伝い、紫、紺、黒あたり。
ツと視線を滑らせて一点で止める。
これでいいか。
そう即決して手に取ったのはカーキ色のフードとファーが付いたダウンコート。
ポケットもそこらに付いているし、これは使い勝手が良さそうだ。

「それにすんのか?」

手元に影が落ちる。
後ろから覗きこんでくるフィンクスにコートを持ち上げて示す。
値札なんぞ見ていないが、高級そうな店ではないし子供服だから目玉が飛び出るような値段ではないだろう。
それにフィンクスのお金だし。

「決まったんならさっさと店出るぞ」

あっさりと踵を返したフィンクスに置いて行かれまいと続く。
神経が図太そうに見えても、やはり一般人の不躾な視線には耐えがたいものがあるのだろう。
心なしか歩く速度が速い。
小走りでついて行ったが、出口付近、レジカウンターの近くで妙なことに気付く。
迷いがない。迷いなく出口に向かっている。右手にはレジ。私の手には未決済商品。
おいおいおいまさか。嫌な予感がよぎる。
ぐいと目の前のジャージを引っ張った。

「あ? ンだよ」

ンだよじゃない。

「お金」

くれ、と手を差し出すがフィンクスは初めてデメニギスを見るような目つきで小さな掌を凝視するだけである。
微動だにしない。
予感は確信へと変わり。
まさか、本当に。

「……金」
「持ってるわけねぇだろ」

眉ないけど片眉をひょいとあげた目つき。
なんで俺が。顔がそう物語っている。
ここで思考するにも値しない事柄ではあるがあまりにも平然としたフィンクスに自分が間違っているのかと
錯覚してしまいそうになるのであえてこの世の常識について再確認しておこうと思う。
物を買うにはお金が必要。
盗賊なんぞという無職にも値する職業に就いていようがなんだろうがこの認識は誰しも持っている。
私はみじんも間違ってなどいないのだ。
たとえ別の世界から来た人間であろうがこれはルールであり規範である。
私だって偉そうなことを言える立場でも、良識を持ち合わせた手本とするべき性格でもないが
社会通念をそよ風程度にしか受け止めないコイツの前ではまっとうな生き方をしていると胸を張って言えるだろう。
しかも小さな子供がいるこの店で窃盗を堂々とやる気かこの野郎。
場合によっては略奪にも発展しうるというのに。

なおも店から出ようとするフィンクスを留めていると、前方、つまり店の外に先ほどの警官2人が立っているのが見えた。
何故こんなところに、こんなタイミングで。
ふと店内を見渡すと、異変に気付いたのだろう訝しげな目でこちらを見ている店員と目が合う。
アイツだ。きっとあまりにも人相の悪いフィンクスに気付いてSOSでも出したのだろう。
それは紛れもなく的確な判断であるが、関係者の私としては面倒なことこの上ない。
さてどうしよう。
一番良いのはコートを一旦預けて後日金を持ってきて買うという流れであるが、
ここまで疑いを持たれた状態で素直に見逃してくれるとは到底思えない。
それもこれも眉毛のないフィンクスの所為だとかなり上の方にある顔を見上げてみるが、
自覚のない当事者は私の視線なんぞに気付く様子はまったくない。もしくは無視している。
フィンクスは一層怖い顔をして前方を睨みつけていて。おそらく焦点は警官。
視線で人が殺せたら人口が半分は減るだろうなとどうでもいいことを考えていると、チッと大きな舌打ちが聞こえてきた。
まさかここで暴れる気じゃあないだろうな。人知れず冷や汗を一筋流したその瞬間。

突然の浮遊感、高くなる視界。すぐ近くにフィンクスの形相。
ああ、抱きあげられた。
……慣れとは恐ろしい。
当初は驚きすぎて不覚にも目の前の服を掴んだりしたものだが、
もう何度目になるか分からない現在では動揺することも不思議に思うこともなくなった。
子供扱いに舌打ちはしたくなるが歩かなくてすむという自堕落な思いがその行為も抑制し、
傍から見ると大人しく腕の中に収まっているように見えるだろう。
もちろん心境はそんなに穏やかなものではないが。

一歩、二歩、フィンクスが前へ進む。
支払いも弊害も取るに足らないとでも言うかのような迷いのない歩み。
警察はあからさまに身構えているし店内はいつの間にか静かだ。
奥様方は子供の手をしっかりと握ってこちらの様子を見ているし、店員だって会計の手を止めて動向を窺っている。
中にはまだおしゃぶりを咥えたままの幼児も。泣かず、静かに、じっとこちらを見て。
小さな頃の体験はその後の人生に大きな影響を及ぼす。
もしここでフィンクスが暴れ警官が発砲し、怪我人や最悪死人が出たとしたら……。
徐々に遠ざかる店内と、近づく出口。警官。
歩みを止めないフィンクス。
よぎる血塗れ現場。

――駄目だ。
意を決して、大きく口を開けて――

「い、ッてぇ!」

がぶり。
効果音にしたらそんな感じだろうか。
緊張の糸を引きちぎるかのような私の行為とフィンクスの声。
警官が口をぽかんと開けているのが見える。
てめ、と文句を言いかけた口を避けるように腕から飛び降り、レジへと向かった。

「また買いに来る」

だからとっておいてくれと。
唖然としている店員が反射的に受け取るのを見届けて、さっと踵を返した。

「なん、」

みなまで言わせるものか。どうせ文句とかそんなだろう。
体当たりする勢いで飛びついてよじ登る。先ほどの位置へ。

「また買いに来る」
「はあ!?」

店員に向けたのと同じことを言えば、やっぱり文句を言われそうな雰囲気。

「早く。目立つ」

フィンクスだって無駄に目立つのは本意ではないだろう。
その意味を汲み取ったのか、仕方ねえと諦めたように呟いてまた歩き出した。
商品はなにも持っていないし犯罪は特に犯していない。
このまま見逃してくれるか。
そうヒヤヒヤとしていたが、急な展開に付いていけないのか、それとも空気に呑みこまれたのか
横を通り過ぎても警官は動かなかった。

「……なに考えてんだお前」

私語は慎んでくれ。まだ警官だってすぐ近くにいるんだから。
しかしフィンクスの目はちょっとマジで。ああおっそろしい。
だから素直に答えたのだが。

「穏便に」
「はッ、お前が穏便にだなんて笑い話か」

"かちん"、"ピキ"。
どちらでも良い。とにかくそんな音がした。
自分を棚に上げるとかそんな生易しい勘違いぶりではない。
こいつにだけは。こいつにだけは言われたくなかった。

ああそうか。
そんなに荒事を引き起こしたかったのか。
せっかく静かに立ち去れる筈だったのに。
ここはもう店内ではない。だったら願いどおりにしてやるさ。
まだこちらを見ている警官に聞こえるように、街中を歩く人々に聞こえるように。
洒落にならないその言葉を、言った。

「おじさん、誰?」


今更なにを。
これまでの成り行きを見守っていた者が聞いたら思わずそう言ってしまうだろうこの言葉でも、
固まっていた正義の味方を動かすには充分。
たとえ、最初に"お兄ちゃん"だなんて呼んでいたとしても、だ。

「……てめ、裏切りやがったな」

なんのことやら。
口笛でも吹きたい気分だ。吹けないが。

「ちょっと」

すばやい動きで迫った警官の手がぽんと肩に置かれる。
勇気があるなと感心していると、結局はこうなるんじゃねえかと嘆息が聞こえた。






行きとは比べ物にならない速さで廃墟へ戻ると、いつ帰ってきたのやら廃材の上にはコートを新調したクロロが。
手ぶらの私たちを見て「服は?」と至極もっともな問いに、私は「奴が後日取りに行く」と意味を込めてフィンクスを指差した。
「俺は絶対行かねえぞ」という押し問答を数分続けた。



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  リクエスト : 主人公とフィンクスのお出かけorお買い物