証を取得してから数年後のことだ。
ハンター試験、試験官としてタダ働きするよう協会から要請があったのは。



ある試験官の話



最近手入れを怠っていたドレッド頭をかきながら、どうしたもんかなと目の前にいるオウムを観察し、
試験官なんて面倒だと思っていたのが半年前。
どんな試験内容でも良いって言うもんだからなんとなく引き受けたのは数週間前。
引き受けて正解だったなと思ったのが、木箱に詰められた大量の金の卵を眺めた数十分前。

まさかこんなに卵を集められるとは思ってもいなかった。
合格を言い渡したむさ苦しい集団の顔を思い出し、あんなのでも役に立つんだなと ミジンコの足程度に見直した。
金の卵を産むあの怪鳥は、存在自体は知られているもののその生態や行動には謎が多く残る、
つまり研究者など調査人間の興味を限りなくそそる未知の生物なのだ。
そんな状態で卵をかえしてヒナを育てられるのかとかそんな問題ここでは語らないことにする。
研究所に帰ったら当分引き篭もるんだろうな、と久しぶりにドレッドを整えようとする気持ちを どこかへ追いやった。
とりあえず報告書だけでも書いとこうかどうしようか、いやでもやっぱり面倒だなと思考が飛行船のように
上の空を飛びそうになった時、部屋の空気に雑音が混じった。
雑音と言っても聞き取れないほど小さなものが一瞬だったから、ノイズのようなものか。
この飛行船に乗っているのは自分と試験関係者数人と、あとは受験生だった妙な子供とその連れの犬だ。

妙な子供。
三次試験の試験官に病院まで送るよう頼まれた。
あの試験官には何日か前に初めて会ったのだが、よく読み取れない奴だった。
耳を澄ませてみても、目の奥を眺めてみても、雰囲気を掴んでみても、黒いっていうか空虚っていうか。
一点の小さなブラックホールに全てを吸い込まれたような奴というか。
とにかく砂時計の砂みたいな小さな変化しか表さない奴だった。
殺伐としているわけでもないし、人生を悲観しているわけでも見下しているわけでもない。
一応は薬を扱っているんだから人命を救うくらいのことはしているのだろうが、
あまり過剰に人に干渉しないというか、興味を持たないというか、なんというか。
つまりは害のないだろうよく分からん人だってことだ。
それ以上になることも、それ以下になることも全くと言って良いほどなかったはずなんだけど。

扉を開けたらなぜかいる妙な子供と犬の存在が、三次試験官の謎を更に深いところまで引きずり込み、
自分の興味を少しそそらせているのである。



カランと氷がぶつかり合い涼しげな音を鳴らしながら、子供は水を飲んだ。
こんなところだから普通は毒が入ってるんじゃないかと警戒して飲まないもんじゃないのかなと
思ってみたが、そういえば水を持ってきた時、犬がさり気なくにおいを嗅いでいたから大丈夫だろうと
判断でもしていたのかもしれない。
まだキョロキョロしているこの犬にも水を出してやろうか考えてみたが、どうやら欲しくはないようだ。
三次試験官に、おそらく特別視されている子供。そして犬。
通常、受験生が怪我しようが不正を働こうが病気になろうが、病院までは送り届けるものの
それは不合格者と一緒にまとめて、が普通だ。
一人だけ先に、それも試験関係者用の飛行船に乗せてまで送る理由はどこにあるのだろうか。
今まで医務室で寝かされていたようだけど、別段調子が悪そうにも見えない。
むしろ顔色は良好だ。
もしかしたら持病がある、とか。悪く見えなくても緊急性がある、とか。
そうであったとしても、なぜあの男がそれを知っているのかが不明だ。
試験官であるから知らされていたのであれば、自分にだって連絡は来る。
というかそもそもそんな連絡はあり得ない。何万といる受験生の体調管理をなぜしなければならないのか。
試験絡みではないとすれば…とそこまで考えたところで、視界に白いものが割り込んだ。紙だ。
元を辿っていくと無表情の子供。あ、雰囲気が似てるかもしれない。
内容を見てみると、他の受験生はどうしたのかってことが書かれていた。
この子喋らないんだろうか。口数が少ないとか、シャイだとかじゃなくて、まったく喋らないのだろうか。

ううんと唸ってみたけど答えなんて出るはずもない。
いやそれは三次試験官と子供の関係でも言えることなのだが。
そう思ってしまうと、明かそうとする探究心が薄らいでいくのが分かった。
熱しやすく、冷めやすい。自分の悪いところだと思いながらも長所でもあるんじゃないかと勝手に思っている。
大体自分は子供らの関係を知ってどうすると言うのだろう。
謎を解明するのは面白い。知識を増やすのは楽しい。
だが他人への過剰な干渉が趣味な訳ではない。知りたがりでもない。
あまり深く詮索するといつかしっぺ返しを喰らうかもしれない。
そんなリスクを負ってまでも探る必要はない。
紙を手に持ったままボーっとそんなことを考えて、ジェットコースターも真っ青なくらい自分の好奇心が
急降下したところで、他の受験生は今頃三次試験中だろうと話した。
ついでに試験用の飛行船でもないことも言ってしまう。
どうせ言わなくてもまた質問を紙に書いて渡してくるだろうから。無駄な応酬は好きじゃない。

子供の視線が右下へと移る。
僅かに、本当にマイクロ単位で眉間に皺が寄ったことも分かった。
それから視線は左下へ。
オーラが少しだけ揺れてアメーバのように広がる。
吟味と状況判断と予測とが行われているんだろうと、半ば癖のように一連の行動を観察した。
現状を伝えてあげれば、またマイクロ単位で眉間にしわ寄せ、プラスで片眉が上がる。
この子は三次試験官よりもいくらか分かりやすい。
凝をして自分のことを疑っているのだろうことも分かる。
でもこれは、念ではないんだ。生まれつき。天性なんて格好良いものではなく。
その気になれば動物の言いたいことだって読み取れる。
だからこそ鳥の研究所になんて居座っている…んだけどまぁいいやそんなことは関係ない。
空気がちくりと頬を刺す。この子供きっと今失礼なこと考えてる。




「ねぇ、君は何者?」

一度はどうでもいいかと投げ出した疑問は、しぶとい事にまだ腹の底でくすぶっていた様だった。
最初は知ってどうするといなした筈なのに、再燃するのは研究者の性分だろうか。
実験や観察は必ずいつか結果をもたらす。だから続けられると言うのに。
先ほどまでの子供との応酬で分かったことは、絶対喋らないこと。
三次試験官とまではいかずとも、表情や雰囲気はほとんど変わらない。
動物以上に読み取りにくいことにお手上げ状態になり、もういいやと真正面から目を見つめて直接聞き出した。

「あの試験官がここまで君に執着するなんてね、今世紀最大の仰天出来事だ」

強調して言ってみるものの、胡散臭いとでも思われているんだろう。
昔から自分のやる気というものはあまり他人に伝わらないようだから、仕方ないけど。
また視線を下に向けてしまった子供の答えを根気強く待ってみたが、軽い浮遊感と共に
高度が下げられていることを感じ取った子供は立ち上がり、犬と一緒にどこかへ行ってしまった。
あー、逃げられた。残念。
再燃した熱はいとも簡単に冷めはじめ、今度こそ本当に燃え尽きた。

自分も降りる支度をするかと解かれていない荷物を手元に持ってきて、コップを片す。
ふとテーブル上に放置された紙に、何かが書き足されているのに気付いた。
紙の端っこに、走り書きのような字で書かれたそれは、子供が意外にも何かを
考えているのだということを示していて。に、と口角が持ち上がる。
やっぱり面白い。
詮索心はなくしたけど、興味はあるかなと妙な気持ちを抱いたところで、いよいよ地面が近づいてくる。
部屋を見渡し、私物が転がっていないことを確認する。
最後に子供が座っていた椅子を眺めた。妙な子供。最後までそんな感想。
やっぱり久しぶりにドレッド頭を整えようかと計画を立てながら、部屋を出る。

飛行船から降りていく子供を窓から覗きながら、水道水に対して"ごちそうさま"はないよなと誰にでもなく突っ込んだ。



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