尊敬する人はイギリスの登山家、ジョージ・マロリー。
「そこに山があるから」との名言を残した偉人。
好きなことは登山道具の手入れ。
好きな言葉はもちろん彼の名言。
夢は全世界の山を制覇すること。
それこそが僕の人生の目標であり到達点であり、そして出発点にも成り得るのだ。
そして何より、それがエベレストに登ったまま姿を消した父の夢であったから。
僕は父の夢を叶えるため、昔も今もこれからも、山に登り続ける。



ある登山家の話




なんてそんな小難しい話は存在せず、山を登るのは僕の趣味だからだ。
父はピンピンしているし登ると言ってもせいぜい富士山。そして途中まではバス。
「そこに山があるから」の名言はジョージ・マロリーの言葉でないことは、もっぱらの噂。
信憑性について熱弁したって、その真相を知っている人は当の昔に死んでいる。
そもそも熱弁するほど僕は彼に詳しくないし、そこまで関心もないんだよな、と考えたところで
ジョージ・マロリーに対する思考はやめた。よいしょ、と道を塞いでいた倒木を跨ぐ。
背負ったリュックからカランと音がなった。



偶然と気まぐれがあいまった結果、僕はハンター試験を受けることになった。
試験を受けて まず最初に驚いたのは、試験会場に辿り着くまでの面倒な道のりとか入り口とかじゃなくて、
ナビゲーターとして一役買っている小さな子供の存在だった。しかも女の子。
びっくりしすぎてなんか止まっちゃったけど、よくよく見ると眼光は鋭いと言うか、一般人のそれではなかったから
あぁナビゲーターなんだなって思って、用意されていた合言葉を伝えた。白い息が舞う。
その子は無言で立ち上がり、読んでいた本を石の上に置いて歩き出し、しっかりと小屋まで僕を連れて行った。
しっかりしてるなーと感心して思わず頭を撫でようとしたけど、さすがに失礼かと思って止めておいた。
そして優しいおじさんに案内されて試験会場へ、と。

普通の都市の地下に大きな空洞を作ってハンター試験会場としたことにも驚いたけど、
次に驚いたことと言えばやっぱりナビゲーターの子が試験に参加していたことだ。
それも金の卵を抱えて、子供には釣り合わないくらいの大きなナイフを引っ提げて。
警戒心ばりばりかと思ったけど、手を振られて僕の緊張はいくらか解けた。
普通の子かも知れないな、なんて。
僕はまだ卵を見つけていなくて探し途中。残り時間はあと1日くらい。もう探し出すのは困難だ。
目の前では小さな子供が卵を抱えている。手足は細くて、華奢だ。折れそう。
そんな子から卵を奪い取るのはあまりにも非人道的かなと迷ったが、ここはハンター試験。
仕方ないんだと自分に言い聞かせて、悟られないようあえて卵から意識を逸らせた。

そういえば、 小屋に案内された時、ふと後ろを振り向くと大きな黒い犬に跨って戻っていく子供を見た。
その姿があまりにも格好良くて、まるで野生児みたいだと思ったのを覚えているのだけど、
今この子の近くにあの大きくて黒い犬は見当たらない。
少女もつまらなそうに地面を見ているし、沈黙が痛い。好奇心とその場凌ぎの言葉が浮かぶ。

「えーと…ねぇ、ひとり? 犬と一緒にいなかったっけ」

ほらあの黒くて大きい犬、と表現してみたけれど、何も反応はしなかった。
言葉が空間に浮かんで消えていって、沈黙が重みを増して僕に襲い掛かる。
電気ねずみでも肩に乗ってるんじゃないかと思うほどの重力の中、子供は何もアクションは起こさない。
聞こえてるんだろうかと心配にもなったが、先ほどまで足もとを見回していた視線が僕に向けられていることで
とりあえず聞こえてることだけは分かった。でも喋らない。
沈黙が凶器になってきたと思っていたけれど、それより何より子供の視線に耐え切れなくなってきた。
心を見透かされるとかそういうのじゃなくて、なんか、こう、よく分からないけど飲み込まれそうになる感じがする。
視線を逸らして、もう喋らないのならそれでいいやと結論付けた。なるようになれ、だ。

一緒に行こう、と誘って成功した途端、子供のお腹から切ない鳴声が上がった。
ちょっと笑いそうにもなったけど、それは失礼だと思い直した。相手は子供でも女の子。
でもずっと無表情で無口だったから、いきなり人間味溢れる事が見れてよかった。思わずはにかむ。

じゃあ一緒に行こうと歩き出し、川は簡単に見つけられた。もともと近かったようだ。
次は食料か、と森の中を歩く。ちらりと後ろを歩いている子供を見やった。ずっと無表情で歩いている。
さっきから薄々思っているんだけど、この子から卵を奪うのは無理じゃないかな。
僕と歩き始めてからずーっと、必ず後ろを歩くし、一定の距離を開けている。
極めつけは腰のナイフに手が掛かっていることだ。
卵を抱えながらカモフラージュしているんだろうけど、右手が柄に触れている。
やっぱりあの歳で試験を受けるだけのことはあるんだ。きっと僕なんかじゃ敵わないんだろうな。

そもそも僕はどうして試験を受けているんだっけ。
きっかけはあいつだ。登山仲間のあいつ。一緒に試験を受けて、どこまで残れるか賭けよう、なんて。
ちょうど山も登り終わって一息ついた頃、そんな話を持ち出された。
次に登ろうとしている山はまだ気候が厳しく、早くても3ヶ月は待たないと登山の許可が降りない。
つまりそれまで暇な訳だ。だからその話に乗った。
あいつが勝ったら『防水加工済! これひとつで気温・湿度・気圧、さらには居場所が特定できるチップも内臓済!』
て言ううたい文句が躍る腕時計を僕が買うことになっている。遭難しても大丈夫、なんて不吉なことも書かれてたなぁ。
僕が勝ったら同じような文句が書かれていたゴーグルを買わせることになっている。
どちらも10万20万ではきかない高級品だ。

そういった経緯があり、僕は今ここにいる。そして金の卵を探し、狙っている。
最初こそ負けないように(試験の合否はどうでも良く、あいつに時計を買ってやるのが嫌だった)と思い、
けっこう頑張って試験会場に着いて一次試験に受かった。
だが肝心のあいつはどうやら試験会場にすら着かなかったらしい。携帯に連絡が入っていた。
そうであれば、僕が命をかけてまでここにいる必要はなくなったんだ。
賭けには勝って、あいつの時計なんて買わずに済んだのだから。さらにはゴーグルが手に入る。
ここらが潮時なのかもしれない。試験は勝ち残っていくほど危険度が増すし、最悪の場合は死が待っている。
小さな子供にすら怖気づくなんて情けない話だが、もう次元が違うのだ。
集っているのは誰にも負けない強い芯を持った化物。僕は一般人。
とりあえず行けるところまでゆるーく行っておいて、駄目だと思ったらすぐ逃げよう。そうしよう。
そう心に誓ったところで、見えてきたのはオレンジ色の実がなった木だった。




「卵を"手に入れた"、ではなくて"見つけた"」

普通を装ってみたけれど、予想通りすべて読まれてた。
子供特有のまっすぐとした目に射抜かれて、嘘はダメだな、なんて思って。
ハンター試験が始まって、3度目のびっくり。この子喋った。
声は高くて、鈴、というよりも風鈴のような消失する脆さがあるけれど、その実揺れ動かない声色が
精神的な強さを物語っている。平坦で、真っ黒で、容赦のない感じ。
まじまじと見てしまったけれどその子の目はやっぱり揺らがなかった。こんな小さいのに、すごいなぁ。
頭をかいて、もうここまでかなと見切りをつける。
どうせ賭けには勝ってる。この子の将来を奪ってまでこの先の試験に進む意味もない。というか勝てない。
その後ひとこと二言話したけれど、怯む様子はまったくなかった。鳥がはばたく音。
もういいか。
よし、と決意を固めて、ハンター試験は降りると宣言した。




日が落ちていく森の中、周りから死角となる岩陰に座って月を見上げた。
ほんのりと黒い空に侵食して、淡い光を投げかける。
星なんて数えずその月だけを見つめて、帰ったらさっそくゴーグルを手に入れようと思った。



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